中島みゆき 作詞/作曲『十二月』ソロ:モーツァルトの旅行用クラヴィコード(1763, J.A.Stein)の複製(2002年)で
さぁいよいよ年の瀬が見えてくる12月2日は不肖ワタクシの誕生日でございます。この年齢になっても誕生日はそれなりに嬉しいモノでありますが、折り返し地点をとっくに過ぎたんだなぁ・・・とも思わざるを得ないフクザツな日とも。まぁワタクシ一回しか折り返さないつもりは毛頭ございませんがね〜 (`・ω・´)
さて、この記念すべき(?)日に全くふさわしくないw曲、中島みゆきの『十二月』を、かの神童モーツァルトが7歳のとき(1763年)に買ってもらったJ.A.シュタイン製の旅行用クラヴィコードの複製で弾きました。クラヴィコードはピアノ以前の鍵盤楽器のなかで最も大切とされていたフシがあり、現代古楽器界w周辺では「独りで音楽の神さまと向き合う」ための楽器とみなされて過度に神聖化wされていたりします。ですが、実は、そのような内なる世界は優しく親密な世界でもあるはずで、現代人にとって大切なのはむしろ後者の性格ですよね。なお、クラヴィコードの音量は世人の想像を超えて小さいですから、背景のノイズが気にならない程度の音量に抑えたうえで少〜し耳を澄ませてくださいませ。聴こえてきますよ〜(・o・ゞ
『十二月』は1988年発売のアルバム《グッバイ ガール》のA面ラストに収録されておりますが、二番の歌詞のあまりの鋭さにアルバムではカットしてしまったといういわくつきのとんでもない曲だったりするんですわ。なお、この「幻の二番」込みのフルバージョンは、アルバムリリース翌年1989年の『夜会』第一回と1997年のコンサート『パラダイス・カフェ』で披露されています。ニワカなもんで1番と2番のつなぎがどう処理されていたのかは知らないのですが、安直につなげて(おっと(^x^;)疑似的フルバージョンに仕立ててみました。なお、このアルバム《グッバイ ガール》と同じ題名の楽曲『グッバイ ガール』はこのアルバムには収録されておらずにシングルのみであるとか、このアルバムはCD時代になってからのLPアルバムのラストなのでプレス枚数が少なく中古市場では高値で取引されているとか、いろいろと余計なハナシもございまして。最近ちょっと値が下がったので某ヤフオクでウッカリ落札してしまったというのもココだけのハナシ(・x・ゞ
<自殺する若い女が この月だけ急に増える
それぞれに男たち 急に正気に返るシーズン
大都会の薬屋では 睡眠薬が売り切れる
なけなしのテレビでは 家族たちが笑っている>
・・・イヤ、そもそも、ダメでしょ、この唄い出し。新年を控えた歳末にあらためて現実を整理して省みるというごく普通のことを、現実を家庭に置き換えて男たちが急に正気に・・・という表現のネタにするとはかなりのアタマのキレっぷり。しかもその家庭には<なけなしのテレビ>でテレビの中で<家族たちが笑っている>のですからね〜。《グッバイ ガール》が発売された1988年といえばバブル期まっただ中そして20年にわたるスキーブームの終末期、前年の1987年には映画『わたしをスキーに連れてって』の封切りもございました。そういえば『わたしをスキーに連れてって』の音楽はユーミンで『恋人がサンタクロース』が主題歌を凌駕して大当たりしましたね〜。そんな年のスキーシーズンが始まる時期の11月16日に、『十二月』をA面ラストそして『吹雪』をB面ラストに据えたアルバム《グッバイ ガール》をリリースするなんて、よくもまぁヤッたもんで。販売サイドでキラキラなユーミン vs ダークな中島みゆきという図式があったのかもしれませんが、バブル期でパワーが半端なかった時代とはいえいくらナンでも真っ黒に振らせ過ぎでしょw
<誰を責めるつもりもない 誰に語るつもりもない
横たわる口元は 周到な愛を笑っている
膝を抱えた掌が 力尽きて凍えていく
開かれたアドレスは 連絡先がひとつもない
何万人の女たちが あたしはちがうと思いながら
何万人の女たちと 同じと気がついてしまう月
人の叫びも 鴃(もず)の叫びも
風の叫びも 警笛(ふえ)の叫びも
みんな似ている みんな似ている
人恋しと泣け 十二月>
かの「幻の二番」がコレ。う〜ん、別に自主規制するほどの内容かな〜と思いますし、逆に昨今はやりの「自己責任」という決まり文句wとは次元の違う覚悟の強さを感じてしまうのはワタクシだけでしょうか。とは言え<開かれたアドレスは 連絡先がひとつもない>のはバブル期にあってはむちゃくちゃに淋しい状況ですし、いづれにせよ酷い歌詞ですわ (´・_・`)
一般的な十二月の景色はクリスマス・年の瀬・正月という華やかな景色で、しかも1988年当時はバブルまっただ中ですから年がら年中「華やか」だったところに上乗せされた華やかさでしたね。まぁ世間がそうであってもごくごく普通の人の日常とは華やかさとは無縁で世間に触れてもらえない部分で、そして世間に乗れていなかった人々こそがバブル崩壊を乗り切れたであろうことにも眼を向けたいと思います。タピオカは台湾では昔っから日常ですが、日本でのブームはいつまで続くんでしょうね〜w
<人よ信じるな けして信じるな
見えないものを
人よ欲しがるな けして欲しがるな
見果てぬものを
形あるものさえも あやういのに
愛よりも夢よりも 人恋しさに誘われて
愛さえも夢さえも 粉々になるよ>(『愛よりも』1988年)
《グッバイ ガール》B面2曲めがこの『愛よりも』ですが、まさにバブルに浮かれていた時代を見極めていたかのようなこの1番の歌詞。そしてB面ラスト=アルバムのラストに置かれた『吹雪』の最後の最後で浮かれた雰囲気にとどめを刺されます。
<疑うブームが過ぎて 楯突くブームが過ぎて
静かになる日が来たら 予定どおりに雪は降る
どこから来たかと訊くのは 年老いた者たち
何もない闇の上を 吹雪は吹くだろう>(『吹雪』1988年)
<愛さえも夢さえも粉々に>なって<ブームが過ぎて静かになる日が来たら><何もない闇の上を 吹雪は吹くだろう>・・・と部分を切り取って物語を作りなおすwのもどうかとは思いますが、はやりすたりと無縁の「変わらぬもの」ってなんでしょうね。思春期を帯広で過ごした中島みゆきですから、一夜にして周囲を一変させる存在であって解けてしまえばウソのように元通りになる「雪」という自然現象に特別の感覚を持ち、はやりすたりと無縁の「変わらぬもの」を人間の力の及ばぬほど強大な自然の営みに例える感覚を育んでいたのかもしれません。「雪は天から送られた手紙である」と遺したのは雪の結晶の研究で名高い物理学者の中谷宇吉郎博士(1900-1962)ですが、中島みゆきはこの言葉を手がかりとして雪と氷の不思議な世界を『夜会VOL.11 ウィンター・ガーデン』で表現しようとしたとのこと。『夜会VOL.11 ウィンター・ガーデン』が上演されたのは2000年、<中谷博士が生まれてちょうど百年目の年の冬>であります。どうぞ『六花』の怪説もご覧になってくださいませ。
・『六花』ピアノソロ:1894年ベーゼンドルファー社製ピアノ(ウィーン式アクション/85鍵)で
<好きになるのも 信じきるのも
待ちわびるのも 思い切るのも
みんな自由だ みんな自由だ
人恋しと泣け 十二月>
中島みゆきの詩の中でも指折りの酷さを誇るこの『十二月』の唯一の救いはここでしょうか。はてさて、自由とは。
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