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2019年11月の7件の記事

2019年11月28日 (木)

『マリーゴールド - あいみょん』を、100年ちょい前の大型リードオルガンで

あいみょんの『マリーゴールド(2018年)』を、100年ちょい前の1905年に北アメリカのパッカード社で作られた棚付きリードオルガンで弾いてみました。現代の音楽に100年前のリードオルガンをどこまで追随させられるか、どうぞお愉しみくださいませ!(`・ω・´)

リードオルガンやハルモニウム(足踏みオルガン)は19世紀後半から20世紀初頭にかけての音楽の一翼を担ったとも言うべき大切な存在なのですが、当然ながら現代的合理的な設計なんぞされておらず修復の労が「馬鹿馬鹿しいくらいに面倒」だったりします。そのためもあってかとりあえず音が出てくれれば良しとされてごまかしの修復しかされていないことが少なからず、マトモな楽器とみなされず「懐かしくてイイ感じ〜」程度で強制終了wされてしまいがちなのがホントに残念でなりません。ですが19世紀後半から20世紀初頭にかけてはアコースティック全盛の時代で、そんな時代に隆盛を極めていた楽器がマトモでないはずがないことに、そろそろ気づいても良いのではないでしょうか!

ですが、とりわけ古いお道具な世界では「100%理想的な状態」というのが理想論でしかあり得ないことにも感づかれるかと思います。多かれ少なかれ限定された状況で「カタチにして仕上げる」ためにはやはり愚直で泥臭い作業に勝るものはなし、館林の渡邉祐治氏はそこを妥協せずに根本からやってのける希有の大職人です。渡邉氏の手にかかったリードオルガンを弾くたびに、深く正しい理解に基づいた的確な見立てこそが大切なんだなぁ・・・と痛感させられます。

・リードオルガン修復:渡邉祐治
https://www.youtube.com/channel/UCSiix1iGPuO6XR54th_BjHw

2019年11月19日 (火)

Lee Conklin Reed Organ Museum の W.W.Putnam 社1907年製リードオルガンで、Theodor Kullak(1818-1882) 作曲『Ein fromm’ Gebet, op.81-1』を(ピアノ演奏版もあり!)

2019年の Reed Organ Society gathering が行われた、ミシガン州の小さな村:ハノーヴァーにある Lee Conklin Reed Organ Museum には100台ものリードオルガンが展示されており(日曜午後の4時間のみ公開;;;)、遠く遠くの日本からはるばる訪ねたよしみで(?)まとめて録画する時間を取らせてもらえました。

ウォルター・ヘンリー・ルイスの『リードオルガン・プレイヤー:休日の鍵盤愛好家のための曲集 〜あらゆる機会のために〜』(1914年)には小品が36曲おさめられておりますが、実は玉石混淆で弾き手の理解力が問われるのはココだけのハナシw。その中から、Theodor Kullak(1818-1882) 作曲の『Ein fromm’ Gebet, op.81-1』を、1907年にヴァージニアの W.W.Putnam Organ Co. で作られたリードオルガンで弾きました。

この『Ein fromm’ Gebet, op.81-1』はオルガン用のオリジナル曲ではなく、もとは1854年にベルリンで印刷されたピアノ用の作品『Kinderleben, op.81』の第1曲「Ein fromm’ Gebet」です。ルイスは曲自体はほぼ改変していませんが、題名を『A Silent Prayer』と変えています。まぁ作品番号は明記されていますし、悪くはない改変かなぁとは思います(^o^;;;



オリジナルのピアノ曲の方も、ウチの1894年製ベーゼンドルファーで弾いて見ましたよ〜 (`・ω・´)

2019年11月17日 (日)

Piacenza から日本人ワイン醸造家一時帰国!

農工大ピアノ部の後輩で、ワインにハマって脱サラしてあれよあれよという間にイタリアのワイン造りの現場に斬り込んでいるという愛すべき大変態:美濃和 駿(みのわ しゅん)くんの一時帰国イベントに参上っ(`・ω・´)

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なんでも Milano から南へ1時間程度、弦楽器の街として有名な Cremona のほぼ隣町の Piacenza で地元の土壌の性格に逆らわずに何年も(!)かけて発酵させるというおよそ現代のスピード感とは真逆の造り手のところで修業ちぅとのこと。畑も借りてようやくこぎつけたという試験醸造のワインは、やはり先輩のワインの性格を受け継いでいることがはっきりと伺えて頼もしい限り。

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妹さんの悪意を感じるがごとく味の濃いwおでんなどもめっちゃ美味しくて、ワタクシ最近めっきり酒が飲めなくなったハズなのに全種類飲めてしまったのが良いのかどうなのか(*´-`)

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実はワタクシ、ちょうど彼らが農工大ピアノ部在学中にワインとチーズに傾いていたんですわ。わりかし頻繁にw国分寺南口マルイの地下(ちょうど改装工事が終わったのもタイミング良かったらしいw)で買ったブツを部室に差し入れて、開栓後1時間ずつとか時間を置いてワインの味の変化を一緒に体験していたのがま〜さかこんな時限爆弾になっていたとは。まぁセキニンは感じるが責任は取らないもんね。教育とは時限爆弾なり💣

2019年11月15日 (金)

Lee Conklin Reed Organ Museum の Farrand & Voter 社製リードオルガンで、S.S.Wesley(1810-1876) 作曲『Solomon’s Prayer』を

2019年の Reed Organ Society gathering が行われた、ミシガン州の人口450人弱の小さな村:ハノーヴァーにある Lee Conklin Reed Organ Museum には100台ものリードオルガンが展示されており(公開は日曜午後の4時間のみ;;;)、遠く遠くの日本からはるばる訪ねたよしみで(?)まとめて録画する時間を取らせてもらえました。

フレデリック・アーチャーの『アメリカンリードオルガン教本(1889年)の第2巻には小品が70曲おさめられており、なかなか感じ良くリードオルガン用に編集されているように思えます。その中から、Samuel Sebastian Wesley(1810-1876) 作曲の『Solomon’s Prayer』を、デトロイトの Farrand & Votey で作られたリードオルガンで弾きました。

この『Solomon’s Prayer』はオルガン用のオリジナル曲ではなく、もとはアンセムと言われる教会用4部合唱として1869年に『The Musical Times and Singing Class Circular』に発表された『O Lord, my God(Solomon’s Prayer)』です。アーチャーの編曲では明らかな音の誤りが一ヶ所と音楽的に微妙な違いが一ヶ所ありますが、ワタクシの感覚ではアーチャーの勇み足ではないかなぁと思います(^o^;;;

2019年11月12日 (火)

鳳来/金町

葛飾のこの地で店を始めて41年とのこと、ウチから歩いて1分くらいでこの正しい佇まいなら突入するのが当然なのに今日まで不義理していた『中華料理 鳳来』にようやっと入店(`・ω・´)

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いつもいつも気になっていたサービス定食の「トリスブタ」530円税込価格据え置きがまことにいさぎよく、勇んで発注。全てが絶妙な、鶏肉に軽く衣をつけて餡を絡めた姿はもはや芸術品とも(*´-`)

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・・・高温の油をさっと通したとおぼしきみずみずしい鶏とつやっつやな餡は、ネコジタにはチト熱かったσ^_^;

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2019年11月 9日 (土)

伏見屋/駒込(染井)

某柏木Vn教室の発表会直前の合わせを終えてソフィアザールへ。同じ駒込でのんびり歩いても10分はかからぬ距離なのに開演まで二時間σ^_^;

旧古河庭園にでも行くかな〜と思ってテキトーに歩いてみたら、そういえばチト気になっていた商店街があったっけなぁと。「霜降商店街」がいつのまにか「染井銀座商店街」になってしばらく、見つけましたの町の正しい定食屋さん(*´-`)

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間口は広く、定食のお値段も750円前後で頑張っているからでしょうか、13時前に入ったら洗いものがめっちゃ山積みになっていて、これは地元の名店と確信。

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駅からけっこう遠いので簡単に足は伸ばせないなぁと思って存分に楽しまねば、とゆコトで盛り合わせ定食を発注。普通にめっちゃ美味い定食(最近少なくなりました)でしたが、とりわけ絶品だったのは美しい色合いのお新香。やはり独自の自家製だそうで、しっかり漬かっていながら塩を感じないどころかほ〜んのり甘かったのにはヤラれました。いやはや、世の中は広い!

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2019年11月 7日 (木)

中島みゆき 作詞/作曲『誘惑』ソロ:モーツァルトの旅行用クラヴィコード(1763, J.A.Stein)の複製(2002年)で

中島みゆきの『誘惑』を、かの神童モーツァルトが7歳のとき(1763年)に買ってもらったJ.A.シュタイン製の旅行用クラヴィコードの複製で弾きました。ん? 歴史的楽器で現代の音楽を弾く必然性? 別に全っ然ございませんがナニか? ( ̄ー ̄)

クラヴィコードはピアノ以前の鍵盤楽器のなかで最も大切とされていたフシがあり、現代古楽器界w周辺では「独りで音楽の神さまと向き合う」ための楽器とみなされて過度に神聖化wされていたりします。ですが、実は、そのような内なる世界は優しく親密な世界でもあるはずで、現代人にとって大切なのはむしろ後者の性格ですよね。なお、クラヴィコードの音量は世人の想像を超えて小さいですから、背景のノイズが気にならない程度の音量に抑えたうえで少〜し耳を澄ませてくださいませ。聴こえてきますよ〜(・o・ゞ

『誘惑』は1982年4月にシングルで発売され(カップリングは『やさしい女』)、前年に発売されてオリコンチャート第1位で80万枚以上のセールスとなった『悪女』に続いて40万枚以上のセールスを記録しています。なるほど、確かに『悪女』はそこらじゅうで耳にしていましたし、『誘惑』もおおむね記憶がありますが、この『誘惑』はオリジナルアルバムに収録されていないという。まぁこの曲のめっちゃ無理やりにアイドルっぽさ(当時の)を狙っているかのような「つくり方」からして、中島みゆきのアルバムにネジ込むのはチト難しそうな気もしますけどw

 やさしそうな表情は 女たちの流行
  崩れそうな強がりは 男たちの流行
  本当のことは 言えない
  誰も 口に出せない
  黙りあって 黙りあって
  ふたり 心は冬の海

  悲しみは 爪から
  やがて 髪の先まで
  天使たちの歌も 忘れてしまう


この『誘惑』はもの悲しくも軽くさらりと聴けちまいますが、なかなかにフクザツな歌詞であります。だいたい、一体全体この歌詞のどこに『誘惑』の要素があるんでしょ。これだけでは、切実さそしてやりきれなさに満ちた大人の苦悩に満ちた男女関係な唄ですがな。強いて言えば、<やさしそうな表情>がオンナの誘惑カードで、<強がり>がオトコの誘惑カードなのにはな〜るほど納得させられるよなぁと。オトコの<崩れそうな強がり>とバレては誘惑カードにはならないのですが、オンナには全てバレているのよ〜・・・というのは別のハナシかしらんw

 あなた 鍵を 置いて
   髪を 解いて
  さみしかった さみしかった
  夢のつづきを 始めましょう


ここでハタと気づかされます。会話で心を通じ合えなきゃなのにオトナになるほど素直になれなくなって、<ふたり 心は冬の海>というほどにどうにもならない状況を打開するため、否、ひとときでも忘れるための手段の一つが『誘惑』なのではないでしょうか。この場面ではオンナの方がお互いのつながりを確かめ合うべく一歩踏み出しての『誘惑』でしょう。あなた(=オトコ)は心の鍵を置いて、私(=オンナ)は髪を解いて(→情事の象徴)、ふたりのつながりを再確認して夢のようだったあのころのつづきに戻りましょう! という、妖しくも切実な詞と読んでしまいました。いや、マジでホントにこのサビは大モンダイですよ〜。

 淋しいなんて 口に出したら
  誰もみんな うとましくて逃げ出してゆく
  ・・・
  夢も哀しみも欲望も 歌い流してくれ
『歌姫』1982年)

 悲しい記憶の数ばかり
  飽和の量より増えたなら
  忘れるよりほかないじゃありませんか
『傾斜』1982年)

 肩に降る雨の冷たさは生きろと叫ぶ誰かの声
  肩に降る雨の冷たさは生きたいと迷う自分の声
『肩に降る雨』1985年)

大人とはさまざまな「どうしようもない現実」を抱えざるを得ない存在で、それでももがき苦しみながら生きねばならぬ・・・というのは中島みゆきの詩には枚挙にいとまがない、いわばテーマの一つである気がしています。その「どうしようもない現実」を癒すのが、『傾斜』では忘れるという積極的解決(なのか?w)、『誘惑』ではひとときの悦楽、『歌姫』では神の一つの化身であろう歌姫に委ねるという選択となっているのですね。はてさて、『誘惑』が1982年4月発売のシングルで『傾斜』と『歌姫』が1982年3月発売のアルバム《寒水魚》というのは単なる偶然でしょうか?

 悲しみを ひとひら
  かじるごとに 子供は
  悲しいと言えない 大人に育つ


いやはや、その通りで。『誘惑』というオトナな所業を題名にしている詞に同時にオトナのツラさを織り込むとは、中島みゆき恐るべしヽ( ̄▽ ̄)ノ

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