古き佳き時代をめぐる旅路@大宮公園
一昨日(9/21)原宿のカーサ・モーツァルト所蔵1920年代のベヒシュタインK型と同時代のフルートの共演は盛況、ありがとうございました!
さておつぎは10月5日に大宮公園にて、1927年製ベヒシュタインL型(165cm)を使ったソロ演奏会です。選曲は我ながらオモロくできた感触ありですよ〜 (`・ω・´)
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古き佳き時代をめぐる旅路
100年前のベヒシュタインピアノで愉しむ
ベヒシュタインピアノ:筒井 一貴
2019年10月5日(土)14時開演(13時半開場)
3000円(手作りケーキ&紅茶付/40名要予約)
大宮公園、バッハアカデミー(さいたま市大宮区寿能町2−210−2)
主催 バッハアカデミー http://www002.upp.so-net.ne.jp/bach/
問合せ bach@zb3.so-net.ne.jp(バッハアカデミー)
bergheil69@me.com(筒井)
E.サティ (1866−1925)
『星たちの息子』への3つの前奏曲(1891)
J.ハイドン (1697-1773)
ソナタ Hob.XVI:20 ハ短調(1771)
F.リスト (1811−1886)
悲しみのゴンドラ第1(1882)
L.v.ベートーヴェン (1770−1827)
ピアノソナタ第17番(テンペスト)op.31-2 ニ短調(1801/02)
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ベヒシュタインの創業者であるカール・ベヒシュタインは1826年(=ベートーヴェンが亡くなる1年前)ドイツのザクセン地方の生まれ。ピアノ職人となるべく修行を重ね、1849年(ショパンが亡くなった年)秋に当時ピアノ製作のメッカであったパリに移住して1850年に工房を開いたクリーゲルシュタインの工房で修行します。
このころのクリーゲルシュタインは1841年に弦を押さえるためのアグラフという部品(アグラフという機構自体は1808年にエラールが鉄骨に装備する形で開発)を開発、1846年にはエラールと異なる機構のダブルエスケープメントアクションの特許を申請し、1850年に自らのアトリエを設立・・・というまさに破竹の勢いのタイミングで、カール・ベヒシュタインにとって極めて意義深い修行だったと想像できます。
カール・ベヒシュタインがベルリンでベヒシュタイン社を創業したのは1853年のこと、ベヒシュタインのピアノの大切な特徴の一つが「総アグラフ」なのですが、この第一の理由はクリーゲルシュタインの工房で修行したためと推測するのが自然でしょう。また、あまり知られていませんが、初期のベヒシュタインにはエラールの設計が極めて色濃く反映・・・というかまるでコピーなのですがw・・・されておりまして、ベヒシュタインの師匠のクリーゲルシュタインが自分が苦労して編み出した新しい発想やら知見やらは伝えずに、自らがさんざん勉強し倒して(盗んでw)きた対象である先駆者でありライバルでもあるエラールの設計を勉強させたのかも知れんなぁぁぁ・・・とか邪推するのも愉しいです。コレ、いかにもありそうなハナシだと思いませんか〜?
このように、カール・ベヒシュタインの修行過程をたどると実はフランスのピアノ製作の伝統を継承しているという、考えてみれば当然の帰結が生まれるんですね〜。ベヒシュタインを、その日本人にとっていかにもドイツ的な「BECHSTEIN」という名前wだけで「ドイツのピアノ」としてのみ理解してしまってはならないと思います。ベヒシュタインは当初はあくまでも19世紀半ばのフランスのピアノづくりの伝統を継承した楽器であり、そこにドイツの芸風を織り込むようになったのはそのあとのハナシなのであります。ドビュッシーが「ピアノ音楽はベヒシュタインのためだけに書かれるべきだ」という言葉を残していますが、ベヒシュタインはフランスピアノの継承者の一人ですから、実は何も不思議なハナシではございませんぞ (`・ω・´)
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