中島みゆき 作詞/作曲『鷹の歌』ピアノソロ:1894年ベーゼンドルファー社製ピアノ(ウィーン式アクション/85鍵)で
中島みゆきの『鷹の歌』を、いつもの1894年製ベーゼンドルファーで弾きました。
この『鷹の歌』は2010年に発売されたアルバム《真夜中の動物園》所収。中島みゆきにしてはかなり単純な曲調ですが、この曲調がむしろ堂々たる「鷹」のイメージに見事に合致していると思います。詩もかなり簡潔で、とても一部分を取り上げられるようなものではない気がします。
<あなたは杖をついて ゆっくりと歩いて来た
見てはいけないようで 私の視線はたじろいだ
あなたはとても遅く 身体を運んでいた
まわりの人はみんな いたわりの手を差しのべた
鷹と呼ばれていた人が
這うように命を運ぶ
「見なさい」 あなたの目が
「見なさい」 私を見た
「怖れるなかれ 生きることを」
鷹の目が 見つめて来た>
「鷹」を「誇り高き存在の象徴」と例えるのは、ごく普通のことでしょう。すなはち「老いた鷹」とは、身体こそ衰えて意のままにならなくなってしまっても誇りを失わずに堂々とした存在。周囲は限りないリスペクトを老いた鷹に捧げるも、悲しいかな、老いとは残酷なもの。
<鷹と呼ばれていた人が
這うように命を運ぶ>
大空を悠然と翔けていたはずなのに、今となっては<這うように>というありさまに。しかし、それを受け入れねばならぬのが人生。なんともやるせないことですが、死ぬまで<命を運ぶ>のがさだめ/運命ですね。ホント、この二行の印象の強さといったらもう、グッと来ますよ〜。しかも、その老いた鷹がたじろいだ私に<「見なさい」「怖れるなかれ 生きることを」>と、これは強烈ですね。中島みゆきは、老いを詠う詩の一つである『傾斜』で・・・
<のぼれども のぼれども
どこへも着きはしない そんな気がしてくるようだ>(『傾斜』1982年)
と老いの一つの特質を衝いていますが、それでも、ひとりひとりの人生を裏打ちしているのは各人の「誇り」ではないでしょうか。まぁ無論、ホンモノの鷹を目の当たりにしてしまうとたじろいで視線をそらしてしまうのも無理はございませんが。ハイすんません、ワタクシにも思い当たるフシが数限りなく(・x・ゞ
さて二番。
<世界は変わってゆく あなたはいつもそれの
変えてはならないことを つよく叫び続けて来た
世界は変わってゆく あなたを嘲笑いながら
私はあなたの歌を 痛々しく聴き返す
灰色の翼は痩せて
かすれた鳴き声をあげて
「見なさい」 あなたの目が
「見なさい」 私を見た
「命を超えて続くものを」
鷹の目が 叫んでいた>
いま現在、社会が加速度的に「おかしく」なっているような感覚を持っている人は少なくないだろうと思います。この違和感はあまりにも漠然としているために論理立てて説明するのは困難なこと、それがためにいわゆる「エビデンス」を求められたとたんに口をつぐまざるを得ないんですよね。コレ、自分が世界に嘲笑われた瞬間とも言えようかと思います。・・・はて、鷹が叫び続けてきた<変えてはならないこと>とは・・・そうです。<命を超えて続くもの>に他なりませんね。
科学技術も医療も目覚ましい発達を始めたのはわずかに百数十年程度昔のこと、この動画で使っているベーゼンドルファーのピアノは1894年製ですから、まさにその時代の楽器です。まだまだ解明できないことだらけで音楽に呪術的な意味が多分に残っていた時代に作られた楽器ですからそもそも「持っているモノ」が現代の楽器とは全く異なり、入手してからけっこうな年月が経ちますが、いまだにこんなに不可思議な音が出てくるのか! と驚かされることが少なくありません。このベーゼンドルファーが作られた19世紀末のウィーンと言えば、クリムト(1862-1918)が活躍していた時代でもあり、その当時の美意識がこのピアノに吹き込まれていたのは想像に難くないでしょう。芸術や思想とはまさに<命を超えて続くもの>であり、それはゴッホ(1853-1890)の例を挙げるまでもなく、生前に世間に知られたかどうかとは無関係です!
<街は回ってゆく 人1人消えた日も
何も変わる様子もなく 忙しく忙しく先へと
・・・(中略)・・・
100億の人々が
忘れても 見捨てても
宇宙の掌の中
人は永久欠番>(『永久欠番』1991年)
老いた鷹は生涯の終わりが近いことを知っているのでしょう。老兵は消え去るのみとも申しますが、それでも自分の歩みを変えず(変えてもイイ気もしますがネw)に<命を超えて続くもの>を伝え続けてこその「生き様」であります (`・ω・´)
<あなたは停まりもせず そのまま歩いてゆく
面倒な道ばかりを あえて歩き続けてゆく
私は自分を恥じる あなたを思って恥じる
ラクな道へ流れくだる 自分の安さを恥じる
鷹と呼ばれていた人が
這うように命を運ぶ
「見なさい」 あなたの目が
「見なさい」 私を見た
「怖れるなかれ 生きることを」
鷹の目が見つめて来た>
<面倒な道ばかりをあえて歩く>ことが尊くて<ラクな道へ流れくだる>ことが恥ずかしい、と他を断ずるのはしてはならぬと思います。なにしろ、人間という存在はみな誰しも後ろめたさを背負って生きているワケでして。むしろだからこそ、偉大な存在を目の当たりにしたときに起きた自分の変化をどのように扱うかこそが、その人の個性としてにじみ出てくるのではないでしょうか。個性とは作るものではなく、普段の習慣や癖などなどから隠そうにも隠しきれずににじみ出てくるものなのでありま〜す。
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