SPレコードコンサート@神保町
本日(5/26)は蓄音器なオトコのコも〜どにて、神保町は富士レコード社によるSP盤コンサート。
かの サクラフォン でマニアック極まりない(褒め言葉)復刻CD制作を精力的に続けている 夏目久生氏 による『SPレコードで聴くレシェティツキの弟子たち』となれば、馳せ参じなければバチが当たる(`・ω・´)
定期的に調整されているクレデンザの威力、電気再生であってもキョーレツでございました(*´-`)
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本日(5/26)は蓄音器なオトコのコも〜どにて、神保町は富士レコード社によるSP盤コンサート。
かの サクラフォン でマニアック極まりない(褒め言葉)復刻CD制作を精力的に続けている 夏目久生氏 による『SPレコードで聴くレシェティツキの弟子たち』となれば、馳せ参じなければバチが当たる(`・ω・´)
定期的に調整されているクレデンザの威力、電気再生であってもキョーレツでございました(*´-`)
自由学園明日館 で行う演奏会でいつもお世話になっている某氏と池袋北口のディープな地帯へ突入(`・ω・´)
四川・東北料理ですが、なにしろ店名が 麻 辣 誘 惑 ですからとにかく赤い料理wがふんだんなこの店、日本語はあまり聞こえなかったのもポイント高し。また真っ赤で油もたっぷりなのにギトギト感がなく、イイ感じのスパイシーさが秀逸でした。この料理は「水煮雙色豆腐」で、この「雙色」というのが「二色」という意味。白いのがいわゆる豆腐でもう片方はメニューによると「血豆腐」すなはち血を固めた食材、鍋料理の具として普通の食材ですね。日本人にとってはギョッとするかもしれない食材ですが、コレが全くクセがなくて少し物足りないくらいのシロモノ。ビックリしたのは、ここの血豆腐にはちゃんと味が染みていたこと。いや、美味しゅうございました。
まぁ・・・紹興酒と56度の白酒を同じ量(グラスになみなみw)出されたのには、さすがにノケぞりましたけどね〜σ^_^;
7月27日14時開演、高円寺の ソフィアザール高円寺バロックで行う、 バロック方面より風来たる act.1 のためのチェンバロ鳴らし込み祭り、怪催ちぅ!
完成してようやく半年の二段フレンチというコトもあって、音響振動をどんどん加えて成長させるべく、製作者の永野光太郎氏ともども悪業の限りを尽くしてますよ〜(`・ω・´)
おっと・・・永野氏は悪業ではなかったかσ^_^;
半年に一度の恒例となった、小田原駅近の「しずく会」でのくされ縁wな柏木真樹師との日本酒ライヴ、はや3回めと相成りました(・o・ゞ
電子ピアノの立奏もちゃっちゃとコナせるようになり、「電子ピアノってこんなにちゃんと音が出るんだ〜」という驚きの声もあったりして、まぁ嬉しい限りでございます。実はナマ楽器と合奏するとかなり「 手 伝 っ て も ら え る 」ので、電子ピアノでも充分にいろんな音が出ているように聴こえさせられるんですよ〜。これこそが合奏の不思議なところであり醍醐味でもあり、これができなきゃ意味が無いところでもありま〜す (`・ω・´)
残念なのはここ1年でアルコールの処理能力がガタ落ちしてしまったことで、せっかくのウマい日本酒を十全に嗜めなくなってしまったこと。
・・・まぁそれでも一杯めのビールはウマい♪
大宮公園の「バッハアカデミー」主宰の 山田康弘 氏が「ドミソを弾いただけで惚れ込んだ」・・・という、まさに運命的な出会いをした1927年製のベヒシュタインL型(165cm)を使って、モンポウの『風景/Paisajes』から第一曲「泉と鐘/La fuonte y campana」を弾きました。
・バッハアカデミー:http://www002.upp.so-net.ne.jp/bach/
・・・ベヒシュタインを弾きに行ったのに写真を撮り忘れて 小山屋の取材報告 になってしまったこともあり、動画収録をイイことにソッコー再襲撃してその足で 西川口で本格中華を食したw、というのはココだけのハナシ ヽ( ̄▽ ̄)ノ
モンポウの作品にしばしば見られる不思議な響きは、鐘作り職人の家に生まれたと知れば容易に納得できようかと。ピアノという楽器は弦楽器的な性格と打楽器的な性格とを兼ね備えているとは先刻ご承知でしょうが、モンポウはその両面に神秘性を加えて大変な世界を描き出していますね〜。「静寂の音楽」とはモンポウを語る枕詞になっておりますが、この作品は極めて絵画的なこともあって、この一見相反する「音で静寂を表現する」意味がわかりやすくなっている気がします。
このベヒシュタインL型がバッハアカデミーにやってきたのは2018年4月だそうで、1年を経て空気にもなじんできたことでしょう、光栄にも動画を録らせていただけました。古いベヒシュタインですが古臭い音色ではなく、現代的に平板になりやすい(おっとw)わけでもない、という素晴らしい楽器です。ですが・・・それはとりもなおさず、まことに「教育的」な楽器である ということでもありまして、変な凸凹を作らず、かつさまざまな声部を弾き分け整理できるように心がけて一曲を弾くのは、なんとも大変なことでした。いやはや、止められませんわ〜 (`・ω・´)
ここしばらくな〜んとなく調子がスグれず、ソロの演奏会は控えておりましたが、よ〜やっと活動再怪しますよ〜 (`・ω・´)
蓄音器なオトコのコも〜どで遊んでいただいていたソフィアザールのオーナー氏から「秋じゃ遅い、高円寺はわりかし空いてるんだからとっとと演奏会やって!」と尻を叩かれまして(いや、ホンマ、ありがとうございますw)、7月末という暑いさなかですがホールの中は涼しいですしwどうぞおいでくださいませ!
<プログラム>
フォルクレ (1699-1782)
「クラヴサン曲集第4」抜粋
フランソワ・クープラン (1668-1733)
「クラヴサン組曲集」より、第6オルドル、第13オルドル
J-N-P. ロワイエ (1705?-1755)
「クラヴサン曲集」抜粋
若き巨匠、永野光太郎氏、我が地元に来襲ちぅ(`・ω・´)
まずは古くからの金物店に突入、鉄のマイナスネジを総ざらえする などの乱暴狼藉をハタラき、もうじき90歳の看板娘 にエラく気に入られてしまった模様(*´-`)
まぁ実は二人して大盛り上がりで3時間半も居座って、なんと大工さんレベルに作られた3mmの鑿や、カチッとした非常に良い木材が使われている反りカンナ、そして初めて見たぞの蟻カンナ(さすがに買ってないw)などを発掘。興味のある方は、どうぞご連絡くださいね〜。
さらに仰天したのは、板ネズミ捕りの新品が当時の価格で!
と思ったらヨドバシカメラの通販でも取り寄せで扱っていて、これまたビックリw
そしてウチでは、おなじみモーツァルトの旅行用クラヴィコードの寸法取りなどなど、まことに愉しき一日でございました(・o・ゞ
中島みゆきの『誰のせいでもない雨が』を、かの神童モーツァルトが7歳のとき(1763年)に買ってもらったJ.A.シュタイン製の旅行用クラヴィコードの複製で弾きました。ん? 歴史的楽器で現代の音楽を弾く必然性? 別に全っ然ございませんがナニか? ( ̄ー ̄)
クラヴィコードはピアノ以前の鍵盤楽器のなかで最も大切とされていたフシがあり、現代古楽器w周辺では「独りで音楽の神さまと向き合う」ための楽器とみなされて過度に神聖化wされていたりします。ですが、実は、そのような内なる世界は優しく親密な世界でもあるはずで、現代人にとって大切なのはむしろ後者の性格ですよね。なお、クラヴィコードの音量は世人の想像を超えて小さいですから、背景のノイズが気にならない程度の音量に抑えたうえで少〜し耳を澄ませてくださいませ。聴こえてきますよ〜(・o・ゞ
『誰のせいでもない雨が』は1983年のアルバム《予感》のB面最初に置かれた一曲。この全編に漂うなんとも寂しく悲しく孤独で切なくうすら寒い雰囲気と間奏部分のエレキギターの泣きったら、どうしてくれましょう。まぁ、そりゃ、雨が降ったらどんなに防護しても必ずどこかは濡れるwモノで、このときのなんとも言えぬ微妙な感覚って独特ですよね。難しいことを簡単な言葉で表現できてこその、一流の表現者でありま〜す。・・・まぁ単なる比喩の積み重ねなんですけどw
人の数ほど唯一無二の人生があります(これも中島みゆきのテーマの一つですね)が、<誰のせいでもない>というのは、とどのつまりはどうあがいても抗えない「決まりごと」であって、散るか諦めるか以外の選択肢はないのでしょう。だからこそ、その裏には言いようのない強烈な悲しみそして怒りその他もろもろ複雑な情緒が人の数ほど込められることになります。
そう思うと、この↓出だしって、むちゃくちゃ強烈と思いません?
<誰のせいでもない雨が降っている
しかたのない雨が降っている>
この詩の難解さは並みいる評論家諸氏の腕を鳴らすようですが、どうやらほぼ「学生運動の挫折と当事者の悲哀」という観点に基づく解釈で一致しているようです。・・・ですが、せっかく難解に詠まれた詩なのにそんなに直接的一意的に結論づけてしまってはもったいないと思いませんこと? 結論づけて「わかって」しまうと、下手するとそれ以上味わえなくなるかも知れないですぜ(・o・ゞ
<怒りもて石を握った指先は
眠れる赤子をあやし抱き
怒りもて罪を穿った唇は
時の褥に愛を呼ぶ>
東大紛争は1968〜1969年のこと、そして連合赤軍事件の数々は1971〜1972年のこと。中島みゆきは1952年生まれでデビューは1975年ですが、さまざまなコンテストに出場して「コンテスト荒らし」の異名をとっていたのはその少し前の学生時代、同世代が武装闘争で新聞紙上をにぎわせているときに中島みゆき(当時は本名の中島美雪ですな)は音楽で闘争していたのでありました。まぁここまで直接的に表現されれば、関連がないと見なす方に問題があるでしょうw
この『誰のせいでもない雨が』は、1983年発表の《予感》収録。このタイミングは武装闘争の闘士として(念のため賛否は表明しませんよ)活動していた二十台半ばの若者たちにとって干支が一回りして四十の声を聞くタイミング、そしてバブル経済前夜で社会全体がそんな時代を忘れかけていたタイミングなのだろうなぁと。当事者たちに限らず、己がアツかった青春時代を呼び覚ますような詩であったと同時に「あぁ、あいつらも四十に近づいているんだよなぁ」とも思われたでしょうね。「四十而不惑」は『論語』の一節。うぅぅむ。
<黒い枝の先ぽつりぽつり血のように
りんごが自分の重さで落ちてゆく>
人間稼業を重ねて来れば背負うものもまた重なり重くなってくるものでございまして、一人二人と血の涙を流しながら脱落(と言うのもいささかモンダイかも知れませんが(^^;)して社会に飲み込まれざるを得ないもの。ですが中島みゆきは前の年、こうも詠っています。己の業を忘れないことが良いのか、忘れちまうことが良いのか、人により時と場合により、そして都合にwよりますな。まぁそんなモンでしょうて ヽ( ̄▽ ̄)ノ
<としをとるのはステキなことです そうじゃないですか
忘れっぽいのはステキなことです そうじゃないですか
悲しい記憶の数ばかり
飽和の量より増えたなら
忘れるよりほかないじゃありませんか>(『傾斜』1982年)
詩的文学的な表現は多様な解釈を可能とさせることで逆に真意をおぼろげながら浮かび上がらせる、という側面があると思うのですが、それは比喩だったり抽象化だったりのレトリックのなせる技。そこにいきなり投下される<滝川と後藤>という人名にはびっくりさせられます。しかも<帰らなかったってね>ですから、全くもっておだやかぢゃございませんで、やはり投獄された闘士たちを思い起こさせられずにはいられませんが、主人公たちと違う世界に袂を分かったのかも知れませんし、はたまた冷たい水の底という怪釈もできなくはなさそうで(ちょっとヤバいかな(^^;)。
<きのう滝川と後藤が帰らなかったってね
今ごろ遠かろうね寒かろうね
誰かあたしのあの人を救けてよと
跣(はだし)の女が雨に泣く>
とは言え、この詩は「学生運動の挫折と当事者の悲哀」を詠ったもの、と小さくまとめてしまうにはチト惜しいと思います。あくまでも「学生運動の挫折と当事者の悲哀」は主要題材に過ぎず、誰しも社会的生活を送っている限りは必ず直面するであろう「理想と現実とのはざまでの葛藤」の方を詠んでいるとしたいワタクシでありま〜す。
<もう誰一人気にしてないよね
早く 月日すべての悲しみを癒せ
月日すべての悲しみを癒せ>
このフレーズがサビとして繰り返されますが、なんという痛切なメッセージでしょう。<悲しみを癒せ>と叫んでいるのですから、主人公にとって<悲しみ>は月日の力をもってしてもいまだ癒されていないのです。それなのに現実世界では<もう誰一人気にしてない>という不条理。生きることとは不条理を受け入れることだとも思いますが、この<悲しみ>は底知れず深く冷たい。しかもそれが<誰のせいでもない>という表現によって、強烈な光を放ちます。なるほど、レコードのB面のトップに置かれるべくして置かれた一曲なんでしょうね。
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