中島みゆき 作詞/作曲『狼になりたい』ピアノソロ:1894年ベーゼンドルファー社製ピアノ(ウィーン式アクション/85鍵)で
中島みゆきの『狼になりたい』を、いつもの1894年製アンティークベーゼンドルファーで弾きました。
この『狼になりたい』は1979年のアルバム『親愛なる者へ』所収、通人の間では名作の誉れ高い曲とされているそうです。この曲がきっかけとなって中島みゆきにハマった人も数多いとのこと、確かに身につまされるというか、人生なんて所詮こんなモンなのかなぁとか、あ〜も〜ど〜すりゃいいんだよ〜とか、まことに複雑な気持ちにさせられる歌詞なんですよね〜(・x・ゞ
この詩は情景描写なので部分抜粋するワケにも行かず、全文引用します。場末も場末、夜明け前の「吉野屋(吉野家ではないw)」のカウンターで、数人の登場人物が酔ってまどろみながらグダっています。およそ流行歌の題材になんぞなろうハズのない、まことに見苦しい情景ですねw そしてこのグダグダつぶやいている情景をピアノで弾くという暴挙!
<夜明け間際の吉野屋では 化粧のはげかけたシティ・ガールと
ベイビィ・フェイスの狼たち 肘をついて眠る
なんとかしようと思ってたのに こんな日に限って朝が早い
兄ィ、俺の分はやく作れよ そいつよりこっちのが先だぜ
買ったばかりのアロハは どしゃ降り雨で よれよれ
まぁ いいさ この女の化粧も同じようなもんだ
狼になりたい 狼になりたい ただ一度
向かいの席のおやじ見苦しいね ひとりぼっちで見苦しいね
ビールをくださいビールをください 胸がやける
あんたも朝から忙しいんだろう がんばって稼ぎなよ
昼間・俺たち会ったら お互いに「いらっしゃいませ」なんてな
人形みたいでもいいよな 笑える奴はいいよな
みんな、いいことしてやがんのにな いいことしてやがんのにな
ビールはまだか
狼になりたい 狼になりたい ただ一度
俺のナナハンで行けるのは 町でも海でもどこでも
ねえ あんた 乗せてやろうか
どこまでもどこまでもどこまでもどこまでも
狼になりたい 狼になりたい ただ一度
狼になりたい 狼になりたい ただ一度>
特別な存在である「狼」に「なりたい」と願うばかりで実際のところはしょ〜もない行動しかできないのが圧倒的多数で、それこそが「大衆」なのでしょう。おそらく、誰しもチクリと胸に刺さる刺を何本も持っていることでしょう。いやワタクシも苦しいっす (´・ω・`)ショボーン
<夜明け間際の吉野屋では・・・>
横でうつらうつらしている<シティ・ガール>を<なんとかしようと思ってた>(送り狼ですなw)のに断念せざるを得なかったのでしょう。ナンパするためにアロハまで買った主人公(これぞ1970年代!)、そっか、どしゃ降り雨でそれどころじゃなかったのかも。あぁ(送り)狼になりたい(なんか違うw)!
<向かいの席のおやじ見苦しいね ひとりぼっちで見苦しいね
・・・>
グダグダきわまりない主人公、自分より下に見られる存在を見つけてさげすむほどの救いの無さ、そう、ここは場末のおそらく安牛丼屋。このあふれ出るみじめな生活感はいったいなんでしょ。そして「おやじ」はいつの世にもさげすまれる存在ですな。ほっとけっっっw
さて「狼になりたい」というささやかでグダった想いが次第に強くなって、最後の<俺のナナハンで>以降の一連は、全てが主人公の心の中の叫びでしょう。
おそらくこの主人公はナナハンなんぞ持てるハズはないでしょう。ですが、このような場末の一人の主人公にも夢はあるでしょうし、それは等しく尊重されねばならないかけがえのない夢なのです。世の中にはさまざまな人生があり、このようにおよそ歌の題材になんぞならぬような人生を送らざるを得ない人々も数多くまたいるんですよね。中島みゆきの詩に詠まれる主人公は、よくもまぁこんなにも、と思えるほど多種多様ですね。
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