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スタインウェイのA型ピアノは1890年から製造が開始され、最初期には85鍵で奥行きは185.5cm。その後数多くの改良が行われ、1913年からA3型という、奥行き194.3cm(英語圏では Long A 及び Stretch A とも呼ばれる)のA型が製造されました。このモデルはニューヨーク工場で1913年から1945年までに約4500台製造されたのみで、実は知られざるレアモデルだったりします。
2018年7月27日(金)17時半開演
茅場町、グランドギャラリー東京
(中央区日本橋茅場町2-17-7 第三大倉ビル1階)
入場無料(20名)
使用楽器:
ニューヨークスタインウェイ long A(A3)
申し込み(担当:榎本)
enomoto@grandg.com
03-6206-2212
月末の金曜日で、かの「ぷれみあむふらいで〜」ではございますが、そんなのは当初っからかけ声倒れwですね。みなさま、なんとか17時半スタートに間に合いますように!
2018年7月18日に行った『古典鍵盤楽器 徒然草 七』のアンコールで弾いた、ショパン(1810-1849)のノクターン第2番 op.9-2 です。op.9 の「3つのノクターン」の出版は1832年末のこと、カミーユ・プレイエル夫人に献呈されています。
19世紀ドイツ語圏で発行されていた雑誌『Allgemeine musikalische Zeitung (General music newspaper)』に、19世紀初頭のショパンが生まれたころのワルシャワに関する記事があり、<教育熱心なほとんど全ての家庭にはウィーン、ドレスデン、ベルリンそしてブレツラフ産のグランドピアノがあり、非常に達者に弾ける者も少なからず居る>というレポートが掲載されています。ショパンは1810年にワルシャワ近郊で生まれて1828年秋にベルリンに旅行(演奏旅行ではなかった)するまで、ポーランド以外を全く知りませんでした。そして、ワルシャワを発ったのが1830年11月2日、ウィーンを経てパリに1831年9月末に到着。パリで亡くなったのが1849年10月17日。1829年に大成功を収めたウィーンでの演奏会ではグラーフのピアノを選び、パリに赴いてからもグラーフのピアノは好んでいた、という資料も残っています。
対して、初代プレイエルのイグナーツは1757年生まれ。ハイドン周辺で音楽を学び、全くの未経験からピアノ製造に手を染めたのは1805年のこと、現存最古のプレイエルピアノは1807年製、息子のカミーユに経営権を委譲したのが1813年。その後1829年にイグナーツの健康状態の悪化を機にカミーユがカルクブレンナーとともにPleyel & Co.を設立、ようやく1830年1月1日にプレイエル親子自身のサロンのこけら落としとしてプレイエルピアノを用いた演奏会を開いています。
これだけの史実からでも『ショパン=プレイエル』とまとめてしまうのがあまりにも皮相的に過ぎることに気づかれるかと思います。ここで使っているグレーバーピアノは1820年ごろのオリジナル楽器で6オクターヴウィーン式。グラーフのピアノもウィーン式であり、実はショパンの音楽的源泉を考える上で欠くべからざる楽器の一種でもありま〜す (`・ω・´)シャキーン
明日(7/18)池袋での 古典鍵盤楽器 徒然草 七 〜ウィーン式フォルテピアノでシューベルトとショパンを〜@池袋、自由学園明日館 の最終稽古のために某秘密基地へ。
・・・と、その前に、食道楽でならす秘密基地親分とランチ。意外と行きづらく東池袋というにはかなり微妙な、それでもサンシャイン裏手、都電沿いのナゾの一角の食堂でござ〜い! 基本食材の全ての組み合わせを網羅するぞ、という意思を感じる壁のメニューが圧巻!( ゚д゚)
明日の演奏会は19時開演、池袋とは思えぬ閑静な一角の重要文化財建築: 自由学園明日館 の教室、Room1921にて。1820年ごろのオリジナルフォルテピアノを間近に楽しんでくださいませ〜^^
中島みゆきの『ララバイSINGER』を、いつもの1894年製アンティークベーゼンドルファーで弾きました。
この『ララバイSINGER』は2006年のアルバム《ララバイSINGER》のラストを飾る曲ですが、そもそも「ララバイ」とは子守唄のこと。子守唄をアルバム名そしてラストの曲にしてしまうというセンス。まぁ中島みゆきがタイトルとして選んでいるほどですから、この「ララバイ」は普通の意味での癒やしの「子守唄」であろうはずがございませんね。『ララバイSINGER』とは直訳wすれば「子守唄歌い」で、ヒネりは「子守唄」の解釈にありと見ます ヽ( ̄▽ ̄)ノ
<歌ってもらえるあてがなければ 人は自ら歌びとになる
どんなにひどい雨の中でも 自分の声は聞こえるからね>
自分の歌は自分で歌うものですが、これは前向きの意思を示すだけでなく、歌うのは自分しかいない・・・という孤独をも同時に示すのですね。中島みゆきの楽曲からは、どのような形を取ろうとも生き続けろ! というメッセージを強く感じさせられることが少なくありません。それを一歩進めて(魂の)死と再生を何度でも繰り返せ! という形を取ったのが『肩に降る雨』でしょう。
<肩に降る雨の冷たさは生きろと叫ぶ誰かの声
肩に降る雨の冷たさは生きたいと迷う自分の声>(『肩に降る雨』1985年)
・・・そう言えば、『拾われた猫のように』という救いようがなく孤独な曲にも、こんな一節がございます。
<自分の声を子守歌にずっと生きてたから>(『拾われた猫のように』1995年)
どれほど孤独であっても、<自分の声>が聞こえないことは原理的にあり得ないこと。しかし表面的にはそうであっても自分とは当事者に他ならず、<自分の声>をバイアス少なく正確に聞くのは生半可でなく難しいです。中島みゆきは1995年、阪神大震災と地下鉄サリン事件が起きて間もなくの時期に大阪のコンサートで歌った『ファイト!』の導入でこう語りかけました。
<夢は叶ったほうがいいです
でも叶わない夢もあります
どうしようもない 形を変えでもしない限り
どうにもならない夢というものもあります
だから
どんなに姿かたちを変えながらでも
どんなに傷つきながらでも
いつかきっと あなたの夢が
叶いますように>
<どんなに姿かたちを変えながらでも どんなに傷つきながらでも>見続けられる夢・・・もはや「業」と言うべきか・・・こそが真の<自分の声>であり、そしてそれこそが「我々は何処から来て何処へ行くのか」を読み解く鍵でありましょう。一過性の夢ではなく生涯を通して見続けられる夢とはなんだ? というのが中島みゆきから我々へのメッセージに違いありません。
<その船を漕いでゆけ おまえの手で漕いでゆけ
おまえが消えて喜ぶ者に おまえのオールをまかせるな>(『宙船(そらふね)』2006年)
この『宙船(そらふね)』も同じアルバム《ララバイSINGER》に収録されており、ここにもやはり変わらぬ強い意思を感じます。
<ララバイ ララバイ 眠れ心 ララバイ ララバイ すぐ明日になる>
睡眠と覚醒は、死と再生の一種とみなせるでしょう。死とは一種のやすらぎ、そして生きている我々にとっては睡眠こそがつかの間のやすらぎ。睡眠は手伝えても覚醒は手伝えない存在が子守唄歌いである中島みゆきであって、覚醒するのは個々人それぞれの生きる意思=生涯を通して追い続ける夢があってこそ。
・・・そして同時に睡眠とは「夢を見る時間」であって、これすなはち「自己の内面と独り静かに向き合う時間」の象徴にも感じられてきました。その時間に我々を導いてくれるのが、他ならぬ「子守唄歌い」である中島みゆきなのかもしれませんね。
次なる演奏会は7月18日の水曜、久々に池袋の 自由学園明日館 にて、シューベルト時代のオリジナルフォルテピアノを使って『古典鍵盤楽器 徒然草 七 〜ウィーン式フォルテピアノでシューベルトとショパンを〜』です(・ω・)ノ
8日の押上から切り替えるべく稽古に某秘密基地に出向くと、やはり6オクターブのオリジナルはなんとも麗しく(*゚▽゚)ノ
※秘密基地ブログはこちら〜♪
ショパンと言えばプレイエルピアノですが、実は初代プレイエルはモーツァルトの一歳年下でハイドンの知遇を得たウィーンの作曲家でした。シューベルトとショパンは一見関係なさそうですが、ウィーン式フォルテピアノという糸でつながっているのです!
昨日(7/8)の押上猫庫(おしあげにゃんこ)での演奏会はつつがなくしぅりょう、やはりココの1959年製スタインウェイは昔々の楽器が備えていたであろう「オカルトな魔力」に満ちておりました( ̄∀ ̄)
※次の演奏会は7月18日です!
反応も上々、音楽演奏を念頭に置いた空間での演奏会はきょうびいくらでもございますが、異空間での複雑怪奇な音楽世界もなかなか悪くなかったようでございます。みなさま、ありがとうございました!m(._.)m
来年のどこかのタイミングで、サティの『星たちの息子全曲版』をココでやらなきゃなぁ・・・というヒラメキが。相当にヤバい世界になること請け合いですぞ(*゚▽゚)ノ
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