中島みゆき 作詞/作曲『肩に降る雨』ピアノソロ:1894年ベーゼンドルファー社製ピアノ(ウィーン式アクション/85鍵)で
中島みゆきの『肩に降る雨』をアンティークピアノで弾きました。
この『肩に降る雨』は1985年のアルバム《miss M.》のラストを飾る・・・というにはあまりにも落ち着いており、それでいながら歌詞のどん底ぐあいがけっこう激しい曲。しかもそれを悲しいとか苦しいとか恨むとかの言葉を一切使わずに表現しており、繰り返される<肩に降る雨の冷たさ>がさらに拍車をかけているような。中島みゆきの筆力、恐るべし。
<肩に降る雨の冷たさにまだ生きてた自分を見つけた>
ならまだカワイイもんで、その先ではこうですからどん底もどん底、冗談じゃないっす (´・_・`)
<あの人がくれた冷たさは薬の白さよりなお寒い>
この「白い薬」は覚せい剤でもまして風邪薬でもござらずw、睡眠薬ですね。そういえば、中島みゆきにはこのようなとんでもない歌詞がありましたっけ。しかもコレ、曲の出だしですぜ (((( ;゚Д゚)))ガクブル
<自殺する若い女が この月だけ急に増える
それぞれに男たち 急に正気に返るシーズン
大都会の薬屋では 睡眠薬が売り切れる
なけなしのテレビでは 家族たちが笑っている>(『十二月』1988年)
こりゃいくらなんでもクリスマスシーズンである12月を題名とした曲の出だしとして、あまりにもあんまり。ですが、凄惨さを織り込むところこそが中島みゆきの歌詞で、この不思議な魔力は一体全体なんとしたことでしょう。
<遠くまたたく光は遙かに私を忘れて流れてゆく流れてゆく>
一度でも「絶望」を体験すれば、漢字二文字ごときで表現できるようなナマヤサシイ状況ではないのは自明の理。主人公は一筋の光明さえも見出だせなくなってしまい、魂が肉体を離れてしまったかのような感覚に陥ってしまったようです。このあとの間奏(1:40)〜が茫然自失な雰囲気を実に巧みに描き出しており、ワタクシ、この曲の隠れた名場面と思っています。
<幾日歩いた線路沿いは行方を捨てた闇の道
なのに夜深く夢の底で耳に入る雨を厭うのは何故>
光明がない<行方を捨てた闇の道>ですが、主人公が<耳に入る雨を厭う>という行動を取ったのは・・・無意識のうちに何かメッセージを聞きたかったのでしょうか。そして、とぼとぼ力なく歩むテンポ感を前向きに変え、キーも半音上げて(3:23)〜力強く唄い出すのがこの一節。
<肩に降る雨の冷たさは生きろと叫ぶ誰かの声
肩に降る雨の冷たさは生きたいと迷う自分の声>
<誰かの声>がメッセージとして<生きろ>と聴こえ、それをきっかけとして<生きたいと迷う>自分の内なる声に気づいた主人公。ひょっとしたら気づかぬ(=死ぬ)方が楽だったのかも知れませんが、やはり「生き抜く」ことこそが人間。(魂の)死と再生を何度でも繰り返せ! という中島みゆきからのメッセージなのか。
<肩に降る雨の冷たさも気づかぬまま歩き続けてた
肩に降る雨の冷たさにまだ生きてた自分を見つけた>
ふむ・・・『肩に降る雨』のもう一つの姿は、万物を芽吹かせ再生させる慈雨なのかも。しかし冷たい雨なので人生が甘くないことは変わらず、慈雨であってもぬるま湯につからせてはくれませんね〜 ヽ( ̄▽ ̄)ノ
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