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2018年4月 6日 (金)

ショパン『6つのポーランドの歌』から第2曲「春」を、1843年製シュトライヒャーで

ショパン(1810-1849)の遺作『6つのポーランドの歌』の第2曲「春」を、弾き込み人足がてら個人蔵のシュトライヒャー1843年製オリジナルフォルテピアノで弾きました。この曲はリストによる編曲が有名(?)ですが、これはショパン自身による編曲です。

ショパン=プレイエルピアノ、という図式は既にでき上がっておりますが、チト待っていただきたく。ショパンがプレイエルを本格的に使い始めたのはパリに移り住んでからのことですから、実は後半生のこと。ショパンの音楽的源泉を育んだピアノがプレイエルより少し前のピアノである・・・ということを忘れてはならぬのではないでしょうか! (`・ω・´)シャキーン

この楽器はウィーンの製作家:J.B.シュトライヒャーの手による1843年製、すなはち、ショパンが生きていた頃に製作された楽器です。それだけでこの時代の音楽を弾くのに最適・・・と言えるほどコトは単純ではございませんが、少なくとも楽器を製作した人物の「心のあり方」が現代人のそれよりもはるかに共通点が多いのは明白でしょう。このような楽器で妄想をたくましくしてw演奏できるのは、それなりに意義あることと思います。

ショパンが生まれ育ったポーランドの地は東欧圏でウィーンに近く、当然ながら出回りやすかったのは基本的にウィーン式アクションのピアノです。ショパン家が所有していたのはポーランド国産のブフホルツ社、ここはウィーン式アクションのピアノもイギリス式アクションのピアノも注文に応じて製作していたとのことで、実はショパンが主にどのような楽器を使っていたかについては確たる資料はございません。

ですが、ポーランド時代のショパンはすでにオルガンの名手でもあり、しかも「エアロメロディコン」や「エアロパンタレオン」という現在残っていない過渡期の鍵盤楽器をたちどころにマスターして(操作は非っ常〜にメンドウだった由w)並みいる人々を驚嘆させたとのこと。青年ショパンにとっては、ピアノのアクションがウィーン式であろうとイギリス式であろうと、弾き分けという意識すらなく弾きこなしていたと考えるのが自然でしょう。現代人が考える程度の「性格づけ」なんぞ、この稀代の天才にとっては関係なかったでしょうね〜(・o・ゞ



*リスト編曲はこちら

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