大中寅二 作曲『前奏曲 ト長調』を、1905年製YAMAHAリードオルガンで
明治維新当時のいわゆる「洋楽導入」から第二次大戦後しばらくまでの長い間、市井の人々の音楽の大切な部分をリードオルガン(=足踏みオルガン)が占めていたことは現代ではすっかり忘れ去られ、思い出されたとしても「昔あったけど今は使われないよね」とか「まだあんなのやってるの?」とかいう存在に貶められてしまいました。
自分でふいごを足で踏んで送風する、という本質的にファジーな鍵盤楽器がリードオルガン。クラヴィコード同様にヴィブラートがかけられるこの楽器、素直で温かくしかも演奏者の悪知恵w次第で管楽器としての多種多彩な表現ができる魅力は、一部の世界だけに留めさせるにはあまりにも惜しい世界なんですけどね〜。
このリードオルガンの世界に大きな意義を感じていたのが、国民歌謡『椰子の実』の作曲者として歴史に名を残す、大中寅二(1896-1982)です。ゆうに1000曲を超すリードオルガン曲を作曲したと言われておりますが、これまたすっかり忘れられてしまっています。大中寅二 作曲、前奏曲 ト長調(1950(昭和25)年7月7日)を、おなじみ 渡邉 祐治 氏による丁寧な修復を経てよみがえった、1905(明治38)年ヤマハ製リードオルガンで弾きました。このリードオルガンが作られた5年前の1900年、ようやくヤマハはアップライトピアノ第1号機を完成させたばかりで、まだまだ時代はリードオルガンの時代でした。この明治のリードオルガン、一種独特な低音の重く深い響きにシビれますよ〜(・ω・ゞ
« 「未来を語る」企画収録の一日 | トップページ | 中島みゆき 作詞/作曲『春なのに』ピアノソロ:1894年ベーゼンドルファー社製ピアノ(ウィーン式アクション/85鍵)で »
« 「未来を語る」企画収録の一日 | トップページ | 中島みゆき 作詞/作曲『春なのに』ピアノソロ:1894年ベーゼンドルファー社製ピアノ(ウィーン式アクション/85鍵)で »
コメント