大中寅二 作曲『前奏曲 No.K255 ヘ長調』を、1954年製ヤマハ5号リードオルガンで
音楽産業の最大手YAMAHAの始まりは、創業者の山葉寅楠が足踏みオルガンであるリードオルガンを製作したところから・・・とご存知の方はなかなかおられないのではないでしょうか。明治維新当時のいわゆる「洋楽導入」から(織田信長周辺など、とかいうツッコミがアサッテなのはわかってますねw)第二次大戦後しばらくまでの長い間、市井の人々の音楽の大切な部分をリードオルガンが占めていたことも、なんと100万台を超す楽器が世に出ていたことも、現代ではすっかり忘れ去られてしまいました。
自分でふいごを足で踏んで送風するというコトは音楽の性格に応じて送風を加減できる・・・というコトで、すなはち、リードオルガンはクラヴィコード同様にヴィブラートがかけられる鍵盤楽器でもあり、演奏者の悪知恵w次第で多種多彩な表現ができるのでありま〜す。この魅力は、一部の世界だけに留めさせるにはあまりにも惜しい、否、皆が知っていなければならぬ世界ではないでしょうか (`・ω・´)シャキーン
このリードオルガンの世界に大きな意義を感じていたのが、国民歌謡『椰子の実』の作曲者として歴史に名を残す、大中寅二(1896-1982)です。ゆうに1000曲を超すリードオルガン曲を作曲したと言われておりますが、これまたすっかり忘れられてしまっています。大中寅二 作曲、前奏曲 No.K255 ヘ長調(1966(昭和41)年10月20日) を、おなじみ渡邉祐治氏による丁寧な修復を経てよみがえった、1954(昭和29)年ヤマハ製5号オルガンで弾きました。木部が合板でなく無垢材だった最後の世代の楽器、堂々とした鳴りっぷりにシビれますよ〜(・ω・ゞ
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