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2016年2月20日 (土)

2月16日/古典鍵盤楽器 徒然草 伍 〜ウィーン周辺の音楽さまざま〜@池袋、自由学園明日館ラウンジホール 詳細ブログ発見

某所で知り合った「pic kumasan」が、2月16日/古典鍵盤楽器 徒然草 伍 〜ウィーン周辺の音楽さまざま〜@池袋、自由学園明日館ラウンジホール について詳細なレポートをくださいました。

☆池袋 明日館 筒井一貴さん フォルテピアノを聴く PICKUMASAN2

<なにも先祖帰りをしろというわけではありませんが、どこか遠い記憶の中の音、ふと思い出すような音なのです>
のくだり、まさに我が意を得たり。

現代、古楽器の世界の演奏技術革新は目覚ましく、現代楽器顔負けのキレッキレの演奏も数多くなりました。事実、そのような方々は知識も技術もワタクシなんぞが太刀打ちできるはずのない見事なレベルでキッチリと弾いてのけます。現代人に提供する演奏ですからその方向が受けるのは当然で「正しい」のですが、一言言いたいワタクシの蟷螂の斧 (`・ω・´)シャキーン

このような弾き方をしてしまうと、少なくともワタクシが感じている「オリジナル楽器の深〜く幅広〜い優しさ」というまことにファジーなシロモノは跡形もなくなってしまいます。「興行」としてはこんなコトを考えている時点で見向きもされなくなってしまいますが、少なくとも自分が古楽器に求めているものは「興行」ではなく「生身の人間」であります。

<優しさ、柔らかさ>はちっぽけな存在である「生身の人間」にとって原風景の一つと思いますが、効率最優先の機械的事務的な現代社会ではどうしても忘れ去られがちです。昔の楽器で奏でる優しい音楽が再認識のきっかけとなりますように。m(._.)m

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