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2015年12月18日 (金)

「表現」とは「誇張」することでしょうか?(反語)

自分にとって極めてしっくり来るのは、ベタではありますが、実はショパンの音楽の方向だったりします。ただ、ショパンは存命当時でさえも大多数に誤解されていたわけで、当然ながら現代のショパン演奏も存命当時の資料から浮かび上がってくる方向と異なっていることが少なくありません。
このトピック、かなり言い古されたトピックなのでワタクシごときが主張するまでもないなぁ・・・とも思いますが、当時の証言をネタにして自分なりの怪釈を開陳しようと思います。

しばらく連載していても突如として不定期ときどきのアップになってしまうかと思いますが、コレ、ワタクシの性格なので、ご勘弁くださいませ〜m(._.)m

◇自然に、自然に。無理な力はかけずにリズムは正確に。そう、敬愛するわが師(=ショパン)の祖国のことを思い出して。そういう風に弾けば、あふれるばかりの詩情も自ずと感じられ、動きにもまったく誇張がなくなるものです。(中略)耳障りでもなく、効果を狙うでもなく、これが美しいもの全てに通じる素朴さというものなのでしょうね。

→美しい箇所、自分にとって思い入れのある箇所、人がイイ感じで弾いていて自分もそう弾いてみたい箇所、そのようなところを一所懸命に「歌い込む」のは仕方ないとは思いますし、自分もついついそのように弾いてしまいがちになりますが・・・のべつまくなしに一所懸命になってしまうと全てが誇張になってしまい、実は変化が乏しくなってしまう(=単調になる!)ことに気づかねばなりませぬ。

およそ「表現」と称するシロモノとは「他とどのように異なるのか」を他人にわかっていただくものですから、自分だけがひたすら懸命に「歌い込む」ことだけで他人にわかっていただけるハズはございません。必死に頑張ってしまっている他人を目にしたときに逆にこちらがシラけてしまうことって、音楽に限らずワリとよくあるコトではないでしょうか(・x・ゞ

また、クラシックな作品で現代まで歳月の厳しい淘汰に耐えて生き残ってきているものは、すなはち無限の種類とも思えるさまざまな観点からの評価に耐えて来ているものであります。そのようなものは一見「平均的でつまらないもの」になってしまいそうに思えますが、数百年もの歳月とはその程度の甘い評価ではございませぬ。そのような恐るべき作品にたかだか自分程度の「歌い込み」「思い込み」などなどをどんなに必死にブチ込んだwところで、いったいどれほどのプラスになるのでしょうか。ひたすらに作品に対して謙虚であること(謙虚とは自分を卑下することではなく、まして単純に恐れることでもありませんよね)、そしてとにかく丁寧に取り組むこととは、この項にある『耳障りでもなく、効果を狙うでもなく、これが美しいもの全てに通じる素朴さというもの』という表現を理解するための唯一の手段なのでしょう。

余談ながら・・・「大事なことなので2回言いました」とか、ネタとしてではなくかなり本質的だったりするんですよね〜。つけ加えると「でも3回同じコト言うと飽きられるから注意ネ」とかなんとか(・o・ゞ

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