フォト

カテゴリー

« 4月21日/芸能花伝舎(西新宿)ランチタイムコンサート | トップページ | 4月21日/芸能花伝舎(西新宿)ランチタイムコンサート演奏動画/サティ:グノシエンヌ第3番 »

2015年4月20日 (月)

高音域と低音域とを違う音色に、ひいては一台の楽器の中に異なる音色を共存させる、という考え方

鍵盤楽器の音色を変化させる機構は、手動であったり膝レバーであったりペダルであったり、地域によっても時期によってもさまざまです。
この操作のことは「レジスター操作」と言ったり「ストップ操作」と言ったり「ペダリング」と言ったりまちまちですが、要は音色を変える操作を機械的に行うことがごく普通であった、と頭に入れていただきたく思います。

補)昔の鍵盤楽器のこのような特徴のみを見てしまうと「この時代は機械的な階段状の表現しか行わなかった」と拙速に結論づけてしまい、現代ピアノでバロックを弾くときにクレッシェンドやデクレッシェンドはおろか、歌うような表現すら禁じる無理解をいまだに散見します。
きはめて単純に、鍵盤楽器以外の弦楽器も管楽器も歌も、そもそも「階段状ではない歌うような表現を行う」わけですから、そのような音楽世界の中で鍵盤楽器だけが「機械的な階段状の表現以外を念頭に置いていなかった」ハズはございませぬ!(`・ω・´)シャキーン


  • オルガンは違う音色の「音栓」を手動で切り替えられるようになっており、演奏家の表現意図次第で違う音色を重ねて新しい音色を作ることも可能です。
  • チェンバロも違う音色の弦を手動で切り替えられるようになっており、オルガンほどの種類はありませんが、組み合わせも可能です。

作曲家はそれを熟知したうえで、楽譜に音色の作り方を書いたり書かなかったりしていたようです。音色の作り方や変え方は基本的に自由で、しかも作曲者が指定しても演奏者が無視することも少なからずあったことでしょう(笑
(J.S.Bach の「イタリア協奏曲」や「フランス風序曲」のように<forte>と<piano>で音色変化を指定することもまぁありましたが、決して多くはありませんでした)

この「音色を機械的に切り替える」という考え方は、タッチの変化でさまざまなグラデーション的な表現が可能であるピアノにも受け継がれ、しかもかなりの期間手を変え品を変え無数の機構が試されています。
現代人の感覚では「切り替える表現」ではできることが限定され過ぎて不自由すぎますが、全組合わせで100種類以上の音色変化を備えた楽器が少なからず製作されては消えて行ったことを無視してはならぬはずです。ただ同時に奇天烈な音色変化ネタでしかなかったものも多かったようで、賛否両論が喧しく戦わされていた時代でもありました。

補)現代人は既にさまざまな可能性の発露を体験していますが、ピアノ誕生当時の人類は現代人が知っているようなピアノの可能性には気づいていなかった・・・と見做すのが自然でしょう。当時の人々はなんだかわからぬ未知の楽器に対してそれぞれ独自の興味をぶつけていた、といういわば全員がパイオニアの時代で、そこに賛否両論がない方が不自然です。情報伝達のスピードからして現代とは比べものにならないほど遅いわけですから、そもそも「標準」という概念は昔には存在しません。これは現代人が陥りやすいワナとして強調しておきますネ(・o・ゞ


  • クリストフォリは、鍵盤全体を横に手で動かすことで弦を2本叩くか1本叩くかを変えて(=ウナ・コルダ)音色変化を実現させました。
  • ジルバーマンは、ウナ・コルダに加えてチェンバロ・レジスターというさらに異なる音色変化を実現させました。特筆すべきはもう一つの音色変化装置である手動ダンパー開放装置です。右手側のレバーでは高音域を開放させて左手側のレバーでは低音域を開放させる、という機構です。
  • ウィーン式5オクターヴ時代のピアノ膝レバーはたいてい右足側と左足側とで別れており、同じ機能である場合もあり、ジルバーマン同様に右が高音で左が低音である場合もあり、右がダンパー操作で左がモデレーター(フェルトや革などを挟む)もあり、その逆もあり・・・これまた標準化は不可能です。
  • ベートーヴェンが晩年に持っていたイギリス式のブロードウッドのピアノは1本の右ペダルを縦に二分割してあり、全音域でも高音域だけでも低音域だけでも操作が可能になっていました。左ペダルは現代ピアノの左ペダルと同じ(=デュエ・コルデ)ですが、ちょっとした一手間を加えることでウナ・コルダが可能でした。これについては違う項で触れることにします。
  • ショパン時代のプレイエルピアノには、低音側のダンパーフェルトが薄くされていることで、ペダルを浅めに踏んだときに低音側のダンパーのみが開放されるように調整されている楽器がありました(2000年頃、堺、山本宣夫氏が自身所蔵のオリジナルプレイエルのダンパーフェルトの観察から発見)。このような機構を持った楽器を念頭に置いている可能性に気づくと、ショパンが頻繁に書いている、音楽的にはベース音を長く伸ばしたいのに細かく踏み替えるペダリングが指示されている箇所に対する解釈/方向性がはっきりと変わることになります。(例:『舟歌 op.60』冒頭部)

・・・ここで他の楽器に目を転じてみると、さらに興味深いネタが転がっています。


  • 足踏み式リードオルガンはかなりの教会に導入されており、また学校での文部省唱歌教育の場でも重宝されていたことは意外と知られていません。この楽器はオルガンですから複数の音栓を備えているものが多く、とりわけ興味深いのは高音域と低音域とで音栓が分けられていることです。これは高音域と低音域で音色を別々に扱う、という考え方の基本を示しているように思えます。そして、100年ほど昔の作曲家にとって非常に重要であった鍵盤楽器:ハルモニウムでもまた、基本的に高音域と低音域とで音栓が分けられています。
  • バグパイプやミュゼット、ハーディガーディなど、持続する低音(ドローンと言われる、蜂の羽音の意)を備える楽器が数多くありますが、これも考えてみれば旋律として動き回る高音域と動かぬ持続低音域とを一つの楽器に共存させている楽器と言えます。
    補)より正確には「保続音」と「旋律」を共存させているに過ぎないので「低音」と「高音」との共存と限定する必要はございませんが、論理上の都合とゆコトでご勘弁〜m(._.)m
  • バロック時代の大型リュートであるテオルボ(キタローネ)の最低音域は開放弦ですし、ハイドンが好んだバリトンという弦楽器にも共鳴用の開放弦が存在しますし、このように低音の弦を開放共鳴弦にする楽器は数多く存在します

つまり低音部を混ぜ合わせる狙いの楽器は数多く存在すると言って良く、これはいわゆる「響きの豊かさ」をかもし出す「豊かな低音の支え」を求めた結果ではなかろうかと思います。そしてそこには和音としてハモることは意外と念頭に置かれておらず、とにかく低い音が次々にたくさん重なれば良し、といういささか雑とも言えそうな極めてざっくりした感覚wが根っこである気がしてなりません。

よくよく考えてみれば、そもそも高音域と低音域とでは音色自体が異なり、音楽的にも異なる音色や役割が希求されているわけです。弦楽四重奏にしてもヴァイオリンもヴィオラもチェロもそれぞれが全く異なる音色と音楽的役割を果たしますし、木管でもオーケストラでも同じことです。そのような音楽世界の中で、鍵盤楽器だけが高音域も低音域も同じような扱いをする単調な楽器であることが認められるハズはございません。

複数楽器の合奏では雑作もなくできてしまう「役割分担」をソロ楽器の表現として求めるとき、さまざまな音質を共存させようと思うのは当然の成り行きでしょう。それを機械的に行うか、演奏者の表現力に頼るのか、唯一の正解はそもそも存在しません。それならば各自がより豊かで多彩な判断能力を身につけることが求められ、そのためのネタwとして昔の人たちの人間の感覚に対する膨大な経験の蓄積を知るのは近道です。これこそが温故知新でありま〜す。

« 4月21日/芸能花伝舎(西新宿)ランチタイムコンサート | トップページ | 4月21日/芸能花伝舎(西新宿)ランチタイムコンサート演奏動画/サティ:グノシエンヌ第3番 »

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

« 4月21日/芸能花伝舎(西新宿)ランチタイムコンサート | トップページ | 4月21日/芸能花伝舎(西新宿)ランチタイムコンサート演奏動画/サティ:グノシエンヌ第3番 »

最近の記事

2021年6月
    1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30      

最近のコメント

無料ブログはココログ