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2015年4月14日 (火)

クリストフォリからジルバーマンへ、一般的理解の非常に雑な実情

マッフェイによるクリストフォリピアノ直接取材記事(1709年取材/1711年イタリア語出版)を訳したケーニヒによるドイツ語記事(1725年出版)に目をつけて制作意欲を燃やしたのが、かの有名な鍵盤楽器制作家:ゴットフリート・ジルバーマン(Gottfried Silbermann, 1683-1753)・・・ということになっていますが、制作意欲の内容が資料から裏づけできるハズもなく、当然ながらこれは憶測以上でも以下でもございません(汗

↓現存するジルバーマンのピアノ
Silbermann_piano ジルバーマンは、おそらくこの論文のみを基本資料としてピアノの試作を開始して、手始めに2台制作したところで大バッハ(J. S. Bach, 1685-1750)に見せて批判されたと言われています。これが良く言われる「高音部が弱すぎるうえに、弾きづらい」という指摘でありました。しかし同時に大バッハがその際に楽器自体の響き自体を褒めていることは、なぜか忘れられがちなのです。しかもこの指摘が拡大解釈されて、大バッハはピアノを認めなかった、という曲解までに至るのです・・・そりゃまぁ「伝言ゲーム」がゲームとして成り立つのですから当然のこととも言えましょうが、それにしてもなかなかの誤解っぷりではないでしょうか(爆

ジルバーマンは自分の仕事にケチをつけられるのに我慢ならないタチであって、しばらく大バッハにムカついていた(^o^;と言われていますが、結局は改良に成功してプロイセンのフリードリヒ大王のもとに多数(フォルケルの「バッハ評伝」によれば15台!ちょっと誇張されているような気がする・・・(^o^;;)納入されるに至ったのでした。ジルバーマンはその改良品を再び大バッハに見せ、このときには「申し分のない保証」を与えられた、とされています。

ですが史実は・・・現在残っているジルバーマンのピアノのアクションはクリストフォリの1726年製楽器のアクションと寸法はおろか形態に至るまでまるで同じことから、独力で「改良することに成功」したわけではなく、「クリストフォリの楽器のアクションをコピー」した、ということが確実視されています。

そして、ジルバーマンが大バッハにピアノについてケチをつけられてしばらくムカついていたwくだり、オルガンについてこの両者が密接とも言うべき協力関係であったことが知られているのにピアノについては協力関係になかった、というこの説明に疑問を抱かないのかなぁ?? とワタクシは思います。

なお、古いまとめですが、ピアノの誕生周辺の資料はこのページにまとめています。ご興味があればご一読くださいませ!m(._.)m

以下、白水社、バッハ叢書10『バッハ資料集』1983年 からの引用です。つまり、一般的理解はこの資料を要約した理解に止まっているのが実情で、これだけから類推するだけでなく周囲の状況を鑑みたより重層的な理解を求めたい・・・と思いませんか?(汗

ゴットフリート・ジルバーマンはこの楽器[ピアノフォルテ]を手始めに二台制作したのだった。その一台をいまは亡き楽長ヨーハン・ゼバスティアン・バッハ氏が実見し、かつ、試奏した。彼はその響きをほめた、というよりは激賞したといってよいが、しかし同時に、高音部が弱すぎる(zu schwach lautete)うえに、弾きづらい(zu schwer zu spielen)という指摘をもつけ加えた。自分の製品に少しでもけちをつけられることに我慢のできないジルバーマンは、これを聞いてすっかりつむじを曲げてしまった。彼はこれを根にもって長いあいだバッハ氏に腹を立てていた。だがそれにもかかわらず彼の良心は彼にむかって、バッハ氏の言葉にも一理あるではないかとささやいたのだ。そこで彼は−これは大いに彼の名誉になることなのでいっておかねばならないが−これ以上この楽器の製造には手を出さず、そのぶんだけJ.S.バッハ氏によって指摘された欠陥の改良に専念しようと覚悟をきめることこそ、自分のなすべき最善の道であると考えたのだった。 この仕事に彼は多くの年月を費やした。そしてこれが製造の遅れの真の原因だったことは、それをほかならぬジルバーマン氏自身の口から彼の率直な告白として聞かされているだけに、私はいよいよもって疑う余地がない。これしてジルバーマン氏は、自分が実際に多くの改良を、とりわけトラクタメント[打弦装置]に関してのそれをなしえたと思ったとき、ようやくつぎの一台をルードルシュタットの宮廷に売り渡したのだった。ところでシュレーター氏がその141番目の『批評的書簡集』の102ページで言及している製品こそ、まさにこのときの一台ではなかったろうかというのが、私の推測である。その後まもなくプロイセンの国王陛下がこの楽器を一台、そしてこれがかしこくも陛下の御意にかなったためにさらに数台、ジルバーマン氏に制作を命ぜられた。 これらすべての楽器を見、そして聴くならば、そしてとりわけ私のようにあの二台の旧作のどちらかを目にしたことのある者ならば、ジルバーマン氏がいかに熱心にその改良のための努力したにちがいないかが、手に取るようにわかるのである。ジルバーマン氏はまた、自分の新作であるこれらの楽器の一台をいまは亡き楽長バッハ氏に見せて点検してもらおうという褒むべき功名心を発揮したが、これに対してバッハ氏は申し分のない保証を与えられたのだった。(J.F.アグリーコラ:アードルング著『楽器構造論』への註−ベルリン、1768年)

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