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2015年4月の19件の記事

2015年4月25日 (土)

クリストフォリ1726年製ピアノの複製楽器による演奏動画/ベネデット・マルチェルロ:ソナタ イ短調から、プレスト

最初期のピアノで弾いた、ピアノ(=ハンマーで弦を叩いて発音する鍵盤楽器)が発明された頃にその周辺で作曲されたとされている曲をご紹介します。2001年に録ってもらったminiDVからの資料ですが、意外と音がマトモに録れており、恥ずかしながら公開を決意しました (`・ω・´)キリッ

なお、古いまとめですが、ピアノの誕生周辺の資料はこのページにまとめています。ご興味があればご一読くださいませ!m(._.)m

2001年4月1日、帯広の相原求一朗デッサン館で行った「最古のピアノコンサート」のライヴ録画です。

ベネデット・マルチェッロ(1686-1739):ソナタ イ短調から、プレスト
Benedetto Marcello(1686-1739) Presto from SONATA in a minor played on a copy of Cristofori Piano (Nobuo Yamamoto 1999) based on the 1726 model (Leipzig)

ピアノは伊太利亜のCristoforiによって1700年少し前あたりに発明されたということになっていますが、この時期ヨーロッパでは打弦式鍵盤楽器の萌芽が複数生じていた形跡があります。
そのうち現存していて最も洗練されているものがCristoforiの手による3台(1720年、1722年、1726年)ですが、これら3台それぞれにさまざまなアイディアが盛り込まれており、単純に最古の個体に価値を見いだすのか最後の個体を最終形態として価値を見いだすのかは結論が出ませんし、そもそもこの<真の天才による偉大な発明>を現代人ごときが云々するのは意味のないことです。

ただし、ニューヨークのメトロポリタン博物館の所蔵で「現存する最古のピアノ」とされている1720年製のクリストフォリのピアノは後年に音域を高く変更する、という大改造がされていることは知っておくべきです。これに伴ってピアノの音質に重大な影響を及ぼす打弦点がクリストフォリオリジナルと異なる位置に変えられており、残念ながらもはやこの1720年製のクリストフォリピアノの音色の資料的価値は非常に乏しい・・・と言わざるを得ないのではないでしょうか。それに加えて、1938年に著名な音楽学者のクルト・ザックスの主導の下に響板とそれに付随する数多くのオリジナルの部品が交換されてしまった、という取り返しのつかない損害を被ってしまっています。

これに対して、大阪は堺のフォルテピアノ修復家の山本宣夫氏が1999年に完成させた、Cristofori晩年1726年製の楽器(現Leipzig大学所蔵)の複製は、最初期のピアノがまだまだ未熟な初歩楽器だった・・・という先入観を払拭してあまりある素晴らしい楽器で、この時代の(特に伊太利亜の)鍵盤楽器音楽の方向をまさしく指し示していた奇跡でありました。

この時代の伊太利亜の鍵盤楽器音楽については、ピアニストはおろか古楽器の演奏家ですら今ひとつパッとしない、という印象を持っているようですが、Cristoforiのピアノで演奏してみるとその香り立つ魅力に陶然となることもしばしばです。これは「時代の必然」と言っても差し支えなさそうな、楽曲と楽器とのベストマッチングでありましょう!

ベネデット・マルチェッロ Benedetto Marcello(1686-1739)の兄であるアレッサンドロ・マルチェッロ Alessandro Marcello(1669-1747)が、現在ローマの博物館に所蔵されている1722年製のクリストフォリピアノのかつての所有者であった・・・とされており、ベネデットもクリストフォリのピアノを体験したと考えて差し支えないでしょう。

補)1722年製のクリストフォリピアノについては、このコピー楽器が非常に優秀と思われます。どうぞご一読あれ!(英語ですが)
http://www.arpicimbalo.com/about_the_instrument.php


作曲当時の創造力の源泉たる楽器に対する興味(ワクワク感とも言えますネ)無くして、いわゆる「クラシック音楽」と称する音楽の理解は浅くならざるを得ません。どうぞ、楽器も曲も存分にお楽しみくださりますように。

2015年4月22日 (水)

4月21日/芸能花伝舎(西新宿)ランチタイムコンサート演奏動画/サティ:グノシエンヌ第3番

2015年4月21日(火)西新宿、芸能花伝舎にてランチタイムコンサートを行いました。

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この会場は響きが非常に心地よく、ナトリピアノ社によるマホガニー木目のベーゼンドルファー(1990年代前半)の響きも素晴らしかったこともあり、右ペダルをほとんど踏み替えずに弾いてみました。撮影位置を足元が見える位置にしたので、2回しか踏み替えていないのがお判りになるかと思います(^^)v



拙ブログでは<昔のピアノには手動ダンパー装置の楽器が少なくなく、ダンパーを上げっぱなしにする演奏はごく当然であった>という史実に基づく指摘をしていますが、右ペダルを踏み替えない表現はなにも昔の平行弦時代のピアノの専売特許ではありません。「昔のピアノは平行弦だったから音が混ざりにくく、ペダルを踏み替えなくても大丈夫だった。今のピアノはそんなの無理!」と決めつける想像力に乏しく判断が浅い方々も少なからずいらっしゃりますが、そのような一面もあるにせよ、結局は楽器演奏は演奏者の妄想(笑)と耳の使い方のタマモノで、妄想力と耳次第で相当の狼藉を働くwことができるのでありま〜す。(`・ω・´)シャキーン

ちなみに、ダンパーを上げっぱなしにする演奏習慣に対して、その当時でも賞賛する意見とともに「聞くに堪えない」とか「悪しき習慣である」とかの非難も少なからず存在しており、これは昔の平行弦のピアノでも耳前(?)次第、ダンパー開放で聴かせられる人も聴かせられない人も存在していたという証です。これはとりもなおさずダンパーを上げっぱなしにする演奏習慣が普通に行われていた証拠であり、そしてその習慣に対しての賛否両論が存在していた・・・という史実であります。「昔のピアノは平行弦だったから音が混ざりにくい」という浅い浅〜い一面的理解にもとづく決めつけがどれほど耳を使って能動的に判断することを阻害しているか、頭でっかちは有害無益であります。

まぁ、頭でっかちにならないのは誰でも確かに困難ではありますが、この「ダンパー上げっぱなしという演奏習慣」でどのようなことを狙っていたのかを知り、それを現代のピアノ演奏にどのように活かすのかを実践してこそ、マニアの面目躍如であります。人間の耳とはどこまでも柔軟なものですよ〜。

2015年4月20日 (月)

高音域と低音域とを違う音色に、ひいては一台の楽器の中に異なる音色を共存させる、という考え方

鍵盤楽器の音色を変化させる機構は、手動であったり膝レバーであったりペダルであったり、地域によっても時期によってもさまざまです。
この操作のことは「レジスター操作」と言ったり「ストップ操作」と言ったり「ペダリング」と言ったりまちまちですが、要は音色を変える操作を機械的に行うことがごく普通であった、と頭に入れていただきたく思います。

補)昔の鍵盤楽器のこのような特徴のみを見てしまうと「この時代は機械的な階段状の表現しか行わなかった」と拙速に結論づけてしまい、現代ピアノでバロックを弾くときにクレッシェンドやデクレッシェンドはおろか、歌うような表現すら禁じる無理解をいまだに散見します。
きはめて単純に、鍵盤楽器以外の弦楽器も管楽器も歌も、そもそも「階段状ではない歌うような表現を行う」わけですから、そのような音楽世界の中で鍵盤楽器だけが「機械的な階段状の表現以外を念頭に置いていなかった」ハズはございませぬ!(`・ω・´)シャキーン


  • オルガンは違う音色の「音栓」を手動で切り替えられるようになっており、演奏家の表現意図次第で違う音色を重ねて新しい音色を作ることも可能です。
  • チェンバロも違う音色の弦を手動で切り替えられるようになっており、オルガンほどの種類はありませんが、組み合わせも可能です。

作曲家はそれを熟知したうえで、楽譜に音色の作り方を書いたり書かなかったりしていたようです。音色の作り方や変え方は基本的に自由で、しかも作曲者が指定しても演奏者が無視することも少なからずあったことでしょう(笑
(J.S.Bach の「イタリア協奏曲」や「フランス風序曲」のように<forte>と<piano>で音色変化を指定することもまぁありましたが、決して多くはありませんでした)

この「音色を機械的に切り替える」という考え方は、タッチの変化でさまざまなグラデーション的な表現が可能であるピアノにも受け継がれ、しかもかなりの期間手を変え品を変え無数の機構が試されています。
現代人の感覚では「切り替える表現」ではできることが限定され過ぎて不自由すぎますが、全組合わせで100種類以上の音色変化を備えた楽器が少なからず製作されては消えて行ったことを無視してはならぬはずです。ただ同時に奇天烈な音色変化ネタでしかなかったものも多かったようで、賛否両論が喧しく戦わされていた時代でもありました。

補)現代人は既にさまざまな可能性の発露を体験していますが、ピアノ誕生当時の人類は現代人が知っているようなピアノの可能性には気づいていなかった・・・と見做すのが自然でしょう。当時の人々はなんだかわからぬ未知の楽器に対してそれぞれ独自の興味をぶつけていた、といういわば全員がパイオニアの時代で、そこに賛否両論がない方が不自然です。情報伝達のスピードからして現代とは比べものにならないほど遅いわけですから、そもそも「標準」という概念は昔には存在しません。これは現代人が陥りやすいワナとして強調しておきますネ(・o・ゞ


  • クリストフォリは、鍵盤全体を横に手で動かすことで弦を2本叩くか1本叩くかを変えて(=ウナ・コルダ)音色変化を実現させました。
  • ジルバーマンは、ウナ・コルダに加えてチェンバロ・レジスターというさらに異なる音色変化を実現させました。特筆すべきはもう一つの音色変化装置である手動ダンパー開放装置です。右手側のレバーでは高音域を開放させて左手側のレバーでは低音域を開放させる、という機構です。
  • ウィーン式5オクターヴ時代のピアノ膝レバーはたいてい右足側と左足側とで別れており、同じ機能である場合もあり、ジルバーマン同様に右が高音で左が低音である場合もあり、右がダンパー操作で左がモデレーター(フェルトや革などを挟む)もあり、その逆もあり・・・これまた標準化は不可能です。
  • ベートーヴェンが晩年に持っていたイギリス式のブロードウッドのピアノは1本の右ペダルを縦に二分割してあり、全音域でも高音域だけでも低音域だけでも操作が可能になっていました。左ペダルは現代ピアノの左ペダルと同じ(=デュエ・コルデ)ですが、ちょっとした一手間を加えることでウナ・コルダが可能でした。これについては違う項で触れることにします。
  • ショパン時代のプレイエルピアノには、低音側のダンパーフェルトが薄くされていることで、ペダルを浅めに踏んだときに低音側のダンパーのみが開放されるように調整されている楽器がありました(2000年頃、堺、山本宣夫氏が自身所蔵のオリジナルプレイエルのダンパーフェルトの観察から発見)。このような機構を持った楽器を念頭に置いている可能性に気づくと、ショパンが頻繁に書いている、音楽的にはベース音を長く伸ばしたいのに細かく踏み替えるペダリングが指示されている箇所に対する解釈/方向性がはっきりと変わることになります。(例:『舟歌 op.60』冒頭部)

・・・ここで他の楽器に目を転じてみると、さらに興味深いネタが転がっています。


  • 足踏み式リードオルガンはかなりの教会に導入されており、また学校での文部省唱歌教育の場でも重宝されていたことは意外と知られていません。この楽器はオルガンですから複数の音栓を備えているものが多く、とりわけ興味深いのは高音域と低音域とで音栓が分けられていることです。これは高音域と低音域で音色を別々に扱う、という考え方の基本を示しているように思えます。そして、100年ほど昔の作曲家にとって非常に重要であった鍵盤楽器:ハルモニウムでもまた、基本的に高音域と低音域とで音栓が分けられています。
  • バグパイプやミュゼット、ハーディガーディなど、持続する低音(ドローンと言われる、蜂の羽音の意)を備える楽器が数多くありますが、これも考えてみれば旋律として動き回る高音域と動かぬ持続低音域とを一つの楽器に共存させている楽器と言えます。
    補)より正確には「保続音」と「旋律」を共存させているに過ぎないので「低音」と「高音」との共存と限定する必要はございませんが、論理上の都合とゆコトでご勘弁〜m(._.)m
  • バロック時代の大型リュートであるテオルボ(キタローネ)の最低音域は開放弦ですし、ハイドンが好んだバリトンという弦楽器にも共鳴用の開放弦が存在しますし、このように低音の弦を開放共鳴弦にする楽器は数多く存在します

つまり低音部を混ぜ合わせる狙いの楽器は数多く存在すると言って良く、これはいわゆる「響きの豊かさ」をかもし出す「豊かな低音の支え」を求めた結果ではなかろうかと思います。そしてそこには和音としてハモることは意外と念頭に置かれておらず、とにかく低い音が次々にたくさん重なれば良し、といういささか雑とも言えそうな極めてざっくりした感覚wが根っこである気がしてなりません。

よくよく考えてみれば、そもそも高音域と低音域とでは音色自体が異なり、音楽的にも異なる音色や役割が希求されているわけです。弦楽四重奏にしてもヴァイオリンもヴィオラもチェロもそれぞれが全く異なる音色と音楽的役割を果たしますし、木管でもオーケストラでも同じことです。そのような音楽世界の中で、鍵盤楽器だけが高音域も低音域も同じような扱いをする単調な楽器であることが認められるハズはございません。

複数楽器の合奏では雑作もなくできてしまう「役割分担」をソロ楽器の表現として求めるとき、さまざまな音質を共存させようと思うのは当然の成り行きでしょう。それを機械的に行うか、演奏者の表現力に頼るのか、唯一の正解はそもそも存在しません。それならば各自がより豊かで多彩な判断能力を身につけることが求められ、そのためのネタwとして昔の人たちの人間の感覚に対する膨大な経験の蓄積を知るのは近道です。これこそが温故知新でありま〜す。

2015年4月18日 (土)

4月21日/芸能花伝舎(西新宿)ランチタイムコンサート

急遽、今度の火曜日、4月21日に西新宿にてランチタイムコンサートを開くことになりました。予約不要入場無料です( ̄^ ̄)ゞ

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西新宿の廃校を活用した「芸能花伝舎」の一階ロビーにて、12時開演で30分間、ナトリピアノ社のベーゼンドルファーを使います。

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・・・打ち合わせで軽く音出ししましたが、実にベーゼンドルファーらしい素敵な音色の楽器ですよ〜(((o(*゚▽゚*)o)))

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昇降口の八重桜は見ごろ、天気が良ければピアノをウッドデッキに出してもイイなぁ・・・とのことですが、ワタクシは雨男(・x・ゞ

2015年4月17日 (金)

パンタレオン(演奏会用大型ダルシマー)のイメージをフォルテピアノ演奏に活かす!

前項では、ピアノ発明への起爆剤として極めて重要な存在としてパンタレオン・ヘーベンシュトライト(c.1668-1750)の演奏会用大型ダルシマーについて述べましたが、ダルシマー演奏の「ダンパーがなく響きっぱなし」という感覚を鍵盤楽器演奏に一体全体どのように使うのか?? 「ペダルは濁らないように細かく踏み替えるべし!!」とさんざん刷り込まれている現代人にとっては、極めつけの大難題でありましょう。

まずは論より証拠、この動画をご覧ください。
これは、2014年11月20日に行った「古典鍵盤楽器徒然草 壱 〜手動ダンパー装置の可能性〜」のライヴ録画です。ハイドンのソナタ Hob.XVI/20(1771年)第2楽章、ルイ・デュルケン(一時期シュタイン製と見做されていた)1790年モデルのピアノでダンパー全開放&バックチェック取り外しで弾いています。ダルシマーの録画はYouTubeに数多くアップされていますので、是非とも比較してみてくださいませ。



・・・いかがでしょう?(・o・ゞ
現代ピアノ人の一般的感性からすると右ペダル踏みっぱなしでは音楽になる<はずがない>でしょうが、18­世紀のピアノには手動ダンパー装置のものが全く珍しくなかった、という史実は現代人の感覚とは無関係に厳然と存在します。このような手動式ダンパー操作のピアノでは、ダンパーを「下げっぱなし=現代ピアノの右ペダルを踏まない状態!」にするか「上げっぱなし=現代ピアノの右ペダルを踏みっぱなしにする状態!」にするか、の奏法以外は原理的に不可能です。

ここで想像していただきたいのは・・・ヨーロッパの教会では残響4〜5秒なんて当たり前(もちろん短いところもありますが)であることです。音楽家に限らず、皆がそういうところに毎週日曜に礼拝に行ってオルガンが「響き倒す」状況を体感している人種の音楽がいわゆる<クラシック音楽>ではありますが、現代はもはや日本人も西洋人と同じような音環境を体感することは不可能ではなくなりました。残響が長い教会で大オルガンが響き倒している状況、これは規模こそ異なるとは言え、ダンパーを備えていないダルシマーのみならずリュートやハープなどの演奏とも相通ずる感覚である、と気づいていただきたいと思います。また同時に、昔は鍵盤楽器、リュートやビウエラ、そしてハープが同じ括りで語られていたことをも思い返していただきたく願います。

補)昨今、自分の観察では「音が響く」という現象を「大きな音がする」という理解をされてしまうことが多い気がしてならないのですが、そんなに単純な理解では全く追いつかないことも同時に強調したいところでありま〜す。

2015年4月16日 (木)

ピアノ発明への起爆剤:パンタレオン・ヘーベンシュトライト(c.1668-1750)の演奏会用大型ダルシマー

ピアノはイタリアのクリストフォリによって1700年少し前ごろに発明されたということになっていますが、それのみでなく、この時期ヨーロッパでは打弦式鍵盤楽器の萌芽が複数生じています。
イタリアのBartolomeo Cristofori(1655-1731)、ドイツのChristoph Gottlieb Schröter(1699-1782)そしてGottfried Silbermann(1683-1753)、フランスのJean Marius(c.1660?-1720)・・・などなど。この時代にはインターネットはおろかw電話すらあったはずもなく、まさか情報共有ができていたハズがないのにまるで打ち合わせたかのように彼らが打弦式鍵盤楽器に取り組み始めたのにはナニか理由がありそうだなぁ・・・と推理したくなりませんか?

そのいわば起爆剤として極めて重要な役割を果たしたとされているのが、パンタレオン・ヘーベンシュトライトPantaleon Hebenstreit(1668-1750)による演奏会用大型ダルシマーの超人的な名人芸です。
ヘーベンシュトライトは若い頃に借金を背負い身を隠さざるを得ない事情があり、そのときに隠れ住んだ田舎の村でダルシマー(ドイツ語でハックブレット)という楽器に出会い、これを大改良して超大型の演奏会用楽器として仕立て上げたのでした(怪我の功名と言うべきか)。ヘーベンシュトライトの演奏会用大型ダルシマーは、長さは9フィート以上(=3メートル近く)で2枚の響板を持ち、186本もの弦を張ったシロモノでした。この楽器はジャイアントダルシマーとかモンスターダルシマーとか言われることがありますが、ヘーベンシュトライト自身がこの楽器をどのように呼んでいたかは残念ながらわかっていないようです。

ヘーベンシュトライトはヨーロッパ各地で名声を馳せ、ついには1705年に太陽王ルイ14世がそのあまりの名人芸に感服して、以後、その楽器をパンタレオンPantaleonと呼ぶがよい、と仰せになった、と伝えられています。そして彼の名声は止まるところを知らず、1714年にドレスデンの宮廷付パンタレオニストとして召し抱えられたのでした。

さて、ジルバーマンSilbermannは極めつけに優れたオルガン製作家であったのみならず、数々の鍵盤楽器やその他新しい楽器の開発にも精力的でした。驚くべきことに、実は1727年ごろまでヘーベンシュトライトの演奏会用ダルシマー(「パンタレオン」と言うべきか)を製作していたのもまたジルバーマンその人であったのでした。対して、シュレーターSchröterは1717年にドレスデンでピアノを発明したと主張していますが、その開発はヘーベンシュトライトの実演に接して感銘を受けたからだと言及しています。さらに、マリウス(マリユス)Mariusは1716年にフランス王立アカデミーにclavecin à maillets(=マレット付クラヴサン=ハンマー付チェンバロ)の図面を4種類提出していますが、ヘーベンシュトライトとの関係はつまびらかではないようです( à maillets という表現をヘーベンシュトライトと関連づける見解もあるようですが、そこまで特別な表現ではないように筒井は思っています)

後年、18世紀の中ごろにはパンタロンPantalonと称する楽器(パンタレオンの「訛り」、他に何種類もあります)が特にドイツ語圏で流行と言えるほどに多数出回りますが、これがまさに「鍵盤付パンタレオン」のことで、ダンパーが存在しない楽器、そしてダルシマー同様に上から弦を叩く機構の楽器も存在していました。また、初期のピアノやスクエアピアノの手動ダンパー上げ装置のことを「パンタレオン(パンタロン)ストップ」と呼ぶこともあり、さらにはクラヴィコードにも音を伸ばす特殊な手動機構を備える個体が存在し、この機構も「パンタレオン(パンタロン)ストップ」と呼ばれます。そして何よりも、ジルバーマンの現存する3台のピアノには高音部と低音部が分けられた手動ダンパー上げ装置がつけられているのです。

ここで思い出していただきたいのは、ダルシマーにはダンパーが存在せず、音が長〜く伸ばされて共鳴箱の中で渾然一体と鳴り響くという特徴です。これと同じ効果を狙った装置が各種鍵盤楽器に備えられ、その装置に共通してパンタレオンに類する名前がつけられていたこと、実に象徴的です。すなわち、パンタレオン・ヘーベンシュトライトの大型ダルシマー演奏が鍵盤楽器演奏に与えたインパクトは非常に大きいもので、ダルシマー演奏の特質でもあるダンパーのない響きの効果、言いかえれば「響きっぱなし」的な効果を積極的に活かした演奏が鍵盤楽器でも普通に行われていたと考えられます。

これら手動のダンパー上げ装置(=長〜く響かせて音を混ぜる効果を狙った装置)が多くの鍵盤楽器に備えられていたことから、現代の「ペダリング」のような演奏中の細かい切替操作はそもそも概念として存在していなかったことが伺えます。そして、それは鍵盤楽器の音色のパラダイムの一つとなり、モーツァルトそしてベートーヴェン、さらにはシューマンやショパンそれ以降にまでも脈々と受け継がれて来ているのであります。その明白な例がリストのハンガリー狂詩曲集で、まさにツィンバロン演奏を模している場面が非常に多いです。また、ムソルグスキーの『展覧会の絵』の終曲には大伽藍に響き渡るかのような鐘の音を模している場面、ドビュッシーの『沈める寺』全編に渡る空気感の表現・・・などなど、枚挙にいとまがありません。

鍵盤楽器とは、良く響くように作られた木の箱に良く響く弦を張り、なんらかの方法で弦を振動させて音楽を奏でる楽器です(オルガンは管楽器であることに注意!)。そのある意味ファジーな「木の箱の響き」を心地良く聴かせるにはどのように耳と頭を(同じですが)使えばより愉しいのか、現代的に「こうすれば→こうなる」と決めつけないことこそが豊かな発想につながるのではないでしょうか。

昔のピアノでごく普通であった「響きっぱなし」状態の心地良さ、いささか危険な世界ではありますが、本質的に「良い耳」を強制的に育むwことにも直結しますし、非常に魅力的な世界ですヨ。

2015年4月15日 (水)

クリストフォリ1726年製ピアノの複製楽器による演奏動画/ジュスティーニ:ソナタ第10番

最初期のピアノで弾いた、ピアノ(=ハンマーで弦を叩いて発音する鍵盤楽器)のため、と明記された最古の曲をご紹介します。2002年に録ったminiDVからの資料ですが、意外と音がマトモに録れており、恥ずかしながら公開を決意しました (`・ω・´)キリッ

なお、古いまとめですが、ピアノの誕生周辺の資料はこのページにまとめています。ご興味があればご一読くださいませ!m(._.)m

ピアノは伊太利亜のCristoforiによって1700年少し前あたりに発明されたということになっていますが、この時期ヨーロッパでは打弦式鍵盤楽器の萌芽が複数生じていた形跡があります。
そのうち現存していて最も洗練されているものがCristoforiの手による3台(1720年、1722年、1726年)ですが、これら3台それぞれにさまざまなアイディアが盛り込まれており、単純に最古の個体に価値を見いだすのか最後の個体を最終形態として価値を見いだすのかは結論が出ませんし、そもそもこの<真の天才による偉大な発明>を現代人ごときが云々するのは意味のないことです。

ただし、ニューヨークのメトロポリタン博物館の所蔵で「現存する最古のピアノ」とされている1720年製のクリストフォリのピアノは後年に音域を高く変更する、という大改造がされていることは知っておくべきです。これに伴ってピアノの音質に重大な影響を及ぼす打弦点がクリストフォリオリジナルと異なる位置に変えられており、残念ながらもはやこの1720年製のクリストフォリピアノの音色の資料的価値は非常に乏しい・・・と言わざるを得ないのではないでしょうか。それに加えて、1938年に著名な音楽学者のクルト・ザックスの主導の下に響板とそれに付随する数多くのオリジナルの部品が交換されてしまった、という取り返しのつかない損害を被ってしまっています。

これに対して、大阪は堺のフォルテピアノ修復家の山本宣夫氏が1999年に完成させた、Cristofori晩年1726年製の楽器(現Leipzig大学所蔵)の複製は、最初期のピアノがまだまだ未熟な初歩楽器だった・・・という先入観を払拭してあまりある素晴らしい楽器で、この時代の(特に伊太利亜の)鍵盤楽器音楽の方向をまさしく指し示していた奇跡でありました。

この時代の伊太利亜の鍵盤楽器音楽については、ピアニストはおろか古楽器の演奏家ですら今ひとつパッとしない、という印象を持っているようですが、Cristoforiのピアノで演奏してみるとその香り立つ魅力に陶然となることもしばしばです。これは「時代の必然」と言っても差し支えなさそうな、楽曲と楽器とのベストマッチングでありましょう!

このジュスティーニの作曲による12のソナタ集<SONATE da cimbalo di piano e forte detto volgarmente di martelletti, op.1 (FIRENZE 1732)>は、題名に「ハンマー付の強弱チェンバロのために」と明記されており、ピアノを演奏楽器として指定した最古の曲であるとされています。出版された1732年はCristoforiが没した翌年、何か意味があるかも知れませんし、ないかも知れません(・o・ゞ

作曲当時の創造力の源泉たる楽器に対する興味(ワクワク感とも言えますネ)無くして、いわゆる「クラシック音楽」と称する音楽の理解は浅くならざるを得ません。どうぞ、楽器も曲も存分にお楽しみくださりますように。

ロドヴィコ・ジュスティーニ:ハンマー付の強弱チェンバロのためのソナタ集 op.1 より、第10ソナタ ヘ短調
(2002年4月13日、東京、サローネクリストフォリ成城 演奏表現学会 例会)
Lodovico Giustini(1685-1743) SUONATA X in F Minor from "SONATE da cimbalo di piano e forte detto volgarmente di martelletti(1732)" played on a copy of Cristofori Piano (Nobuo Yamamoto 1999) based on the 1726 model (Leipzig)
1. Alemanda - Affettuoso
2. Canzone - Tempo di Gauotta
3. Alemanda - Grave, e Affettuoso
4. Corrente - Allegro assai
(2002.4.13. Tokyo, JAPAN)



・ジュスティーニ ソナタ集、初版(Firenze, 1732)の表紙
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2015年4月14日 (火)

クリストフォリからジルバーマンへ、一般的理解の非常に雑な実情

マッフェイによるクリストフォリピアノ直接取材記事(1709年取材/1711年イタリア語出版)を訳したケーニヒによるドイツ語記事(1725年出版)に目をつけて制作意欲を燃やしたのが、かの有名な鍵盤楽器制作家:ゴットフリート・ジルバーマン(Gottfried Silbermann, 1683-1753)・・・ということになっていますが、制作意欲の内容が資料から裏づけできるハズもなく、当然ながらこれは憶測以上でも以下でもございません(汗

↓現存するジルバーマンのピアノ
Silbermann_piano ジルバーマンは、おそらくこの論文のみを基本資料としてピアノの試作を開始して、手始めに2台制作したところで大バッハ(J. S. Bach, 1685-1750)に見せて批判されたと言われています。これが良く言われる「高音部が弱すぎるうえに、弾きづらい」という指摘でありました。しかし同時に大バッハがその際に楽器自体の響き自体を褒めていることは、なぜか忘れられがちなのです。しかもこの指摘が拡大解釈されて、大バッハはピアノを認めなかった、という曲解までに至るのです・・・そりゃまぁ「伝言ゲーム」がゲームとして成り立つのですから当然のこととも言えましょうが、それにしてもなかなかの誤解っぷりではないでしょうか(爆

ジルバーマンは自分の仕事にケチをつけられるのに我慢ならないタチであって、しばらく大バッハにムカついていた(^o^;と言われていますが、結局は改良に成功してプロイセンのフリードリヒ大王のもとに多数(フォルケルの「バッハ評伝」によれば15台!ちょっと誇張されているような気がする・・・(^o^;;)納入されるに至ったのでした。ジルバーマンはその改良品を再び大バッハに見せ、このときには「申し分のない保証」を与えられた、とされています。

ですが史実は・・・現在残っているジルバーマンのピアノのアクションはクリストフォリの1726年製楽器のアクションと寸法はおろか形態に至るまでまるで同じことから、独力で「改良することに成功」したわけではなく、「クリストフォリの楽器のアクションをコピー」した、ということが確実視されています。

そして、ジルバーマンが大バッハにピアノについてケチをつけられてしばらくムカついていたwくだり、オルガンについてこの両者が密接とも言うべき協力関係であったことが知られているのにピアノについては協力関係になかった、というこの説明に疑問を抱かないのかなぁ?? とワタクシは思います。

なお、古いまとめですが、ピアノの誕生周辺の資料はこのページにまとめています。ご興味があればご一読くださいませ!m(._.)m

以下、白水社、バッハ叢書10『バッハ資料集』1983年 からの引用です。つまり、一般的理解はこの資料を要約した理解に止まっているのが実情で、これだけから類推するだけでなく周囲の状況を鑑みたより重層的な理解を求めたい・・・と思いませんか?(汗

ゴットフリート・ジルバーマンはこの楽器[ピアノフォルテ]を手始めに二台制作したのだった。その一台をいまは亡き楽長ヨーハン・ゼバスティアン・バッハ氏が実見し、かつ、試奏した。彼はその響きをほめた、というよりは激賞したといってよいが、しかし同時に、高音部が弱すぎる(zu schwach lautete)うえに、弾きづらい(zu schwer zu spielen)という指摘をもつけ加えた。自分の製品に少しでもけちをつけられることに我慢のできないジルバーマンは、これを聞いてすっかりつむじを曲げてしまった。彼はこれを根にもって長いあいだバッハ氏に腹を立てていた。だがそれにもかかわらず彼の良心は彼にむかって、バッハ氏の言葉にも一理あるではないかとささやいたのだ。そこで彼は−これは大いに彼の名誉になることなのでいっておかねばならないが−これ以上この楽器の製造には手を出さず、そのぶんだけJ.S.バッハ氏によって指摘された欠陥の改良に専念しようと覚悟をきめることこそ、自分のなすべき最善の道であると考えたのだった。 この仕事に彼は多くの年月を費やした。そしてこれが製造の遅れの真の原因だったことは、それをほかならぬジルバーマン氏自身の口から彼の率直な告白として聞かされているだけに、私はいよいよもって疑う余地がない。これしてジルバーマン氏は、自分が実際に多くの改良を、とりわけトラクタメント[打弦装置]に関してのそれをなしえたと思ったとき、ようやくつぎの一台をルードルシュタットの宮廷に売り渡したのだった。ところでシュレーター氏がその141番目の『批評的書簡集』の102ページで言及している製品こそ、まさにこのときの一台ではなかったろうかというのが、私の推測である。その後まもなくプロイセンの国王陛下がこの楽器を一台、そしてこれがかしこくも陛下の御意にかなったためにさらに数台、ジルバーマン氏に制作を命ぜられた。 これらすべての楽器を見、そして聴くならば、そしてとりわけ私のようにあの二台の旧作のどちらかを目にしたことのある者ならば、ジルバーマン氏がいかに熱心にその改良のための努力したにちがいないかが、手に取るようにわかるのである。ジルバーマン氏はまた、自分の新作であるこれらの楽器の一台をいまは亡き楽長バッハ氏に見せて点検してもらおうという褒むべき功名心を発揮したが、これに対してバッハ氏は申し分のない保証を与えられたのだった。(J.F.アグリーコラ:アードルング著『楽器構造論』への註−ベルリン、1768年)

2015年4月13日 (月)

クリストフォリ1726年製ピアノの複製楽器による演奏動画/ジュスティーニ:ソナタ第8番

最初期のピアノで弾いた、ピアノ(=ハンマーで弦を叩いて発音する鍵盤楽器)のため、と明記された最古の曲をご紹介します。2001年に録ったminiDVからの資料ですが、意外と音がマトモに録れており、恥ずかしながら公開を決意しました (`・ω・´)キリッ

なお、古いまとめですが、ピアノの誕生周辺の資料はこのページにまとめています。ご興味があればご一読くださいませ!m(._.)m

ピアノは伊太利亜のCristoforiによって1700年少し前あたりに発明されたということになっていますが、この時期ヨーロッパでは打弦式鍵盤楽器の萌芽が複数生じていた形跡があります。
そのうち現存していて最も洗練されているものがCristoforiの手による3台(1720年、1722年、1726年)ですが、これら3台それぞれにさまざまなアイディアが盛り込まれており、単純に最古の個体に価値を見いだすのか最後の個体を最終形態として価値を見いだすのかは結論が出ませんし、そもそもこの<真の天才による偉大な発明>を現代人ごときが云々するのは意味のないことです。

ただし、ニューヨークのメトロポリタン博物館の所蔵で「現存する最古のピアノ」とされている1720年製のクリストフォリのピアノは後年に音域を高く変更する、という大改造がされていることは知っておくべきです。これに伴ってピアノの音質に重大な影響を及ぼす打弦点がクリストフォリオリジナルと異なる位置に変えられており、残念ながらもはやこの1720年製のクリストフォリピアノの音色の資料的価値は非常に乏しい・・・と言わざるを得ないのではないでしょうか。それに加えて、1938年に著名な音楽学者のクルト・ザックスの主導の下に響板とそれに付随する数多くのオリジナルの部品が交換されてしまった、という取り返しのつかない損害を被ってしまっています。

これに対して、大阪は堺のフォルテピアノ修復家の山本宣夫氏が1999年に完成させた、Cristofori晩年1726年製の楽器(現Leipzig大学所蔵)の複製は、最初期のピアノがまだまだ未熟な初歩楽器だった・・・という先入観を払拭してあまりある素晴らしい楽器で、この時代の(特に伊太利亜の)鍵盤楽器音楽の方向をまさしく指し示していた奇跡でありました。

この時代の伊太利亜の鍵盤楽器音楽については、ピアニストはおろか古楽器の演奏家ですら今ひとつパッとしない、という印象を持っているようですが、Cristoforiのピアノで演奏してみるとその香り立つ魅力に陶然となることもしばしばです。これは「時代の必然」と言っても差し支えなさそうな、楽曲と楽器とのベストマッチングでありましょう!

このジュスティーニの作曲による12のソナタ集<SONATE da cimbalo di piano e forte detto volgarmente di martelletti, op.1 (FIRENZE 1732)>は、題名に「ハンマー付の強弱チェンバロのために」と明記されており、ピアノを演奏楽器として指定した最古の曲であるとされています。出版された1732年はCristoforiが没した翌年、何か意味があるかも知れませんし、ないかも知れません(・o・ゞ

作曲当時の創造力の源泉たる楽器に対する興味(ワクワク感とも言えますネ)無くして、いわゆる「クラシック音楽」と称する音楽の理解は浅くならざるを得ません。どうぞ、楽器も曲も存分にお楽しみくださりますように。

ロドヴィコ・ジュスティーニ:ハンマー付の強弱チェンバロのためのソナタ集 op.1 より、第8ソナタ イ長調
(2001年4月1日、帯広、相原求一朗デッサン館)
Lodovico Giustini(1685-1743) SUONATA VIII in A Major from "SONATE da cimbalo di piano e forte detto volgarmente di martelletti(1732)" played on a copy of Cristofori Piano (Nobuo Yamamoto 1999) based on the 1726 model (Leipzig)
1. Sarabanda - Affettuoso
2. Allegro
3. Rondo - Affettuoso
4. Giga - Prestissimo
(2001.4.1. Obihiro, JAPAN)



・ジュスティーニ ソナタ集、初版(Firenze, 1732)の表紙
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2015年4月12日 (日)

クリストフォリ1726年製ピアノのアクション動作動画

クリストフォリによる打弦式鍵盤楽器たるピアノのためのアクション(=打弦機構)は、機構上問題となりそうなポイントを最初からクリアしていた完璧なものでした。これは「真の天才による偉大な発明」として、できる限り正確に伝えられるべき偉業です。

「不完全なものから次第に進化して完全なものになる」という単純な進歩史観にもとづく思い込みによって、最初期のピアノは取るに足らぬ大したことのないものであった・・・という無理解がいまだに蔓延していますが、これまた大変な誤解であります。

なお、古いまとめですが、ピアノの誕生周辺の資料はこのページにまとめています。ご興味があればご一読くださいませ!m(._.)m

・クリストーフォリ1726年製ピアノのアクション動作動画(作成:筒井一貴)


・1726年製クリストフォリピアノのアクション図
Cristofori_action_1726

・ケーニヒのドイツ語訳所収(1725年出版)クリストフォリピアノのアクション図
 (1709年マッフェイ侯爵取材、1711年イタリア語で出版)

Cristofori_action_1709

2015年4月11日 (土)

マッフェイによるクリストフォリのピアノ取材記事(1709年取材/1711年出版)のその後

「ピアノの誕生は1709年」という誤解のもととなった(と言われるのも迷惑なハナシでしょうがw)マッフェイ(Scipione Maffei)侯爵による有名な紹介記事について、史実を詳細に述べてみます。

マッフェイ(Scipione Maffei)侯爵によるクリストフォリのピアノについての紹介記事は、最初に1711年にヴェニスで出版された『イタリア文人誌(Giornale de' letterati d'Italia)』紙上に発表されました。これはマッフェイが1709年にクリストフォリと会って実際に楽器を見て書いた紹介記事です。この中で、マッフェイは「彼はすでに3台の普通サイズの新しい楽器を作っていた」と書いています。すなわち、1709年の段階で既にクリストフォリは少なくとも3台のピアノを作り上げていたという記述しかされていないのに、これが誤解されて1709年にピアノが発明された、という誤った認識が広がったのです。

なお、この紹介記事は、わずかな印刷上の訂正をほどこしたうえで1719年にヴェニスで再出版されています(Rime e Prose del Sig. Marchese Scipione Maffei, Parte raccolte da varij libri, e parte non piú stampate)。ここで、1711年版には楽器の名称が「Gravecembalo col piano e forte」となっていて、1719年版では「Gravicembalo col piano e forte」と変更されていることは(どれだけの意味があるかはともかくとしてw)知っておく必要があります。

そしてその後このマッフェイ侯爵によるイタリア語記事をドレスデンの宮廷詩人ケーニヒ(Johann Urlig König)がドイツ語に翻訳し、1725年にドイツ・バロックの代表的な作曲家で理論家でもあったマッテゾン(Johann Matteson, 1681-1764)の主宰する音楽雑誌『音楽批評(Critica Musica)』に所収されてハンブルクで出版されています。すなわち、ドイツ語圏にクリストフォリの発明が印刷物の形で伝わったのは、ようやく1725年以降、しかもそれは1709年当時の最新情報(^^;が16年も遅れて伝わったのでした。

さてもう一点、マッフェイはあくまでも文筆家であり、自分自身メカニズムを理解して記述することが困難であったことを認めています。つまり、マッフェイが1709年に実際にクリストフォリに会って楽器を見て正確に記述しようと大変な努力をしたとはいえ、その結果出版された図面を全面的に信用するわけにはいかない、という指摘も可能です。現時点では、クリストフォリのアクションの初期型がどのような機構であったのか、確認するすべはありません(マッフェイが記述した図面を実際に製作してみると充分に機能するので、信頼に値することもまた事実です)

そして、マッフェイが1709年に取材した情報のドイツ語版が出版された1725年の翌年の1726年にはクリストフォリは決定版のアクションを備えた楽器(現ライプツィヒ大学楽器博物館所蔵)を作り上げているわけですから、1711年出版のイタリア語文献そして1725年出版のドイツ語文献に記載されていた楽器とは、そもそも次元の違うレベルに達していたのでした。クリストフォリの楽器の斬新な構造が正しく伝えられず、結局はピアノの歴史の中で誤解に満ちた認識をされている理由の一つが、この紹介文献とのタイムラグでもあったのではないでしょうか。

下に記載しているアクション図を見比べても、マッフェイが1709年に取材して描いたアクションと1726年のクリストフォリのアクションとの差は、歴然としています。

古いまとめですが、ピアノの誕生周辺の資料はこのページにまとめています。ご興味があればご一読くださいませ!m(._.)m

・1726年製クリストフォリピアノのアクション図
Cristofori_action_1726

・ケーニヒのドイツ語訳所収(1725年出版)クリストフォリピアノのアクション図
 (1709年マッフェイ侯爵取材、1711年イタリア語で出版)

Cristofori_action_1709

2015年4月10日 (金)

「ピアノの誕生は1709年」が誤りである根拠

日本では「ピアノの誕生は1709年」というのが相変わらず通説ですが、これが誤解にもとづく誤りであることを年代を追って示していきます。

1698年、ボローニャとフィレンツェで作曲家兼オルガニストであった宮廷音楽家:マンヌッチ(Francesco Maria Mannuci)が日記の中で、クリストフォリと出会ったときのことを回想している、との報告があります。1698年春にマンヌッチはクリストフォリと出会い、このときに「ハンマーメカニックが取りつけられた鍵盤の模型」を見せられた、と書いている、という主張です。これが研究論文として初めて明らかにされたのは1964年、ファッブリ(Mario Fabbri)のイタリア語論文の一部分でした。ただし、マンヌッチの日記の自筆が提出されておらず、この Fabbri の主張の信憑性は極めて疑わしいとされています。

Cristofori 一方、最も確実性の高い資料は、1700年に編纂されたメディチ家の所蔵楽器目録です。この中に「クリストフォリの手による、ハンマーアクションを備えて強弱のつけられるアルピチェンバロ」の記載があることから、ピアノの誕生が遅くとも1700年であることは疑いありません。この記載を翻訳すると(英語文献からの孫翻訳なので不正確な可能性があります/原文:イタリア語)

バルトロメオ・クリストフォリの新しい発明による、強弱のつけられるアルピチェンバロ(Arpicembalo)1音は同じピッチの(=ユニゾンの)2つの弦からなり、響孔(=ローズ)のないサイプレス材の響板を持ち、ケースの側面と湾曲部分(=ベントサイド)は黒檀の帯で象眼され、弦に触れるところに赤い布がつけられたダンパーと、強弱を可能にするハンマーを持っている。メカニック全体は黒檀で象眼されたサイプレス材で覆われ、ナチュラルキーはツゲ材、シャープキーは分割鍵盤になっておらず黒檀材で、下のCから始まって49の黒鍵と白鍵を経て上のcで終わる。鍵盤の両端には黒い木のブロックがついており、その上部に黒いつまみがついている。楽器の長さは217.6cmで、幅は98.6cm、譜面台はサイプレス材で、外ケースは白ポプラ材、そして赤い革のカバーは緑色の布地(タフタ)で裏打ちしてあり、金のリボンで縁取りされている。

このあと、マッフェイ(Scipione Maffei)侯爵による有名な紹介記事があらわれます。これは、1711年にヴェニスで出版された『イタリア文人誌(Giornale de' letterati d'Italia)』紙上に発表されたもので、マッフェイが1709年にクリストフォリと会って実際に楽器を見て書いた紹介記事です。この中で、マッフェイは「彼はすでに3台の普通サイズの新しい楽器を作っていた」と書いています。すなわち、1709年の段階で既にクリストフォリは少なくとも3台のピアノを作り上げていたという記述しかされていないのに、これが誤解されて(ありそうなことではありますが)、1709年にピアノが発明された、という誤った認識が広がったのです。

古いまとめですが、このページにまとめています。ご興味があればご一読くださいませ!m(._.)m

補)最初期の鍵盤楽器について資料/図面が1440年ごろに存在し(この記事を参照)、そこに「打弦式アクション」が既に記載されています。そこから1700年のクリストフォリのピアノまで数百年のあいだ研究も実験もされていなかった・・・と考えるのは、いくら楽器が残っていないからと言ってもかなり乱暴な決めつけではなかろうかと思います。結局「ピアノの誕生」は定義づけの問題に過ぎない、とも言えますが、それであっても「1709年」という解釈はあり得ぬでしょう。

2015年4月 9日 (木)

モーツァルトの旅行用クラヴィコードで弾いた演奏動画/K.9a(5a)

一昨日(4/7)のコンサート@自由学園明日館:古典鍵盤楽器 徒然草 弐 〜モーツァルト時代の鍵盤楽器たち〜 のライヴ録画をどうぞ!(・o・ゞ

この演奏で使っているクラヴィコードは筒井の個人所有、ヴォルフガング Wolfgang が7歳(1763年)のときにシュタインの工房で入手した旅行用クラヴィコードの完全複製楽器です。複製とは言え、この楽器の音色が聴けるのは世界中でもココだけの模様(^^)v



曲は、ヴォルフガング Wolfgang が姉ナンネル Nennerl の音楽練習帳に自分で書き込んだ小品、K.9a (5a)です。確実な年代は不明ですが、筆跡からして「1764年後半より以前ではないだろう」という判断がされており、すなはちこのシュタインの旅行用クラヴィコードを入手した1年程度のちに作曲された可能性の高い曲、ということになります。また、ロンドンでクリスティアン・バッハ J.C.Bach に出会ったのが1764年5月ですので、このいかにも「モーツァルトな芸風の音楽」はその影響かもしれませんね〜。

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補)このクラヴィコードを入手する前年、1762年10月13日、ヴォルフガングは6歳。ウィーンのシェーンブルン宮殿でハプスブルク家の女帝マリア・テレジアの前で御前演奏をしたのですが、広間でころんでしまいました。そのヴォルフガングに手を差し伸べて起き上がるのを助けたのが、1歳年上の皇女マリー・アントーニア(=マリア・テレジアの末娘)で、そのときヴォルフガングがマリーに向かって「きみは優しいね、大きくなったら僕のお嫁さんにしてあげる」と言ったエピソードは有名。マリーは14歳でフランス王室に政略結婚の道具として嫁がされ、フランス王太子妃マリー・アントワネットとなったのですね〜。

2015年4月 8日 (水)

宮島永太良プロデュース 花まつりvol.12「save=救」エンディングステージ

昨日(4/7)のクラヴィコード&フォルテピアノによるレクチャーコンサート@自由学園明日館『古典鍵盤楽器 徒然草 弐 〜モーツァルト時代の鍵盤楽器たち〜』に引き続き、今日(4/8)は美術作家:宮島永太良氏のプロデュースによる、花まつりvol.12「save=救」イベント最終日、エンディングステージ@銀座ミーツギャラリーでクラヴィコードを弾いて来ました〜o(^▽^)o

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普段は昔の西洋楽器と接点が少ないであろう方々に、めっちゃ小さな音であるからこその興味を感じていただこう・・・という、いささかチャレンジングな試み。

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皆さん興味津々で聴き入ってくださり、実に嬉しく充実したひとときでありました。

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物理的な音量の大小ではなく、聴き手の耳をいかにして音楽と楽器の方に向けさせて能動的に聴こうという気持ちになってもらえるか・・・クラヴィコードでの演奏は毎度毎度ワクワクに満ちています!(・o・ゞ

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宮島永太良氏によるキャラクター、マルタ君との1枚(^^)

2015年4月 7日 (火)

古典鍵盤楽器 徒然草 弐 〜モーツァルト時代の鍵盤楽器たち〜 終了

2015年4月7日、池袋の自由学園明日館(みょうにちかん)の教室を使った恒例の『古典鍵盤楽器 徒然草 弐 〜モーツァルト時代の鍵盤楽器たち〜』は、花冷えどころか花凍りのなか、ギリギリで夜桜見物ができるタイミングで無事終了いたしました。多数のご来場、まことにありがとうございました!

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今回も、ウィーン式アクションの1790年ルイ・デュルケンモデルのフォルテピアノの「バックチェック外し」そしてこの当時にごく普通の機構であった手動式ダンパーリフティング装置(=ハンドレジスター)を考慮に入れた「踏み替えないペダリング」の威力を実感していただくべく研究と稽古に工夫を凝らしました。

みなさん、けっこう「へぇ〜」とか「ほぉ〜」とか反応してくださり、嬉しい限りでございました。ありがとうございました!(・o・ゞ20150407_1

2015年4月 6日 (月)

ピアノに関係する最古の資料(1440年ころ)

Clavisimbalum 最初期の鍵盤楽器に関する資料で最も重要なものは、ズウォレのアンリ・アルノー(Henri Arnaut de Zwolle)が1440年頃に書いてブルゴーニュ公に提出したもので、クラヴィシンバルム(clavisimbalum)、クラヴィコルドゥム(clavicordum)、ドルチェ・メロス(dolce melos)、オルガン、リュート、ハープの図面集(パリ、国立図書館所蔵)です。大きめな図面の画像はここから。

アルノーは、クラヴィシンバルムの図面に4種類の発音機構を提案しており、このうち3種類が弦をはじく方法で、1種類が弦をたたく方法なのです。このことは、チェンバロという撥弦式鍵盤楽器のみならずピアノという打弦式鍵盤楽器に対する技術的興味自体が最初期から存在していた証と言えましょう。

すなわち「弦を叩いて発音する鍵盤楽器」というものはことさらに新しい存在ではなく、ピアノの出現を「当時、鍵盤楽器の主流であったチェンバロに強弱がつけられないことを不満に思って、強弱がつけられる鍵盤楽器を求めた」という観点から語ることは全くの見当外れということなのです。鍵盤楽器の歴史、そしてピアノの歴史を説明してピアノの誕生の理由を述べている文章はそれこそ星の数ほど存在していますが、孫引きに孫引きを重ねた結果でしょうが、誤解が蔓延していることは誠に遺憾であります。
・・・「はっきりした理由はわからない」と言いたくないのもあるでしょうが(汗

さらに、クラヴィシンバルムとは別にドルチェ・メロスも打弦式鍵盤楽器であり、アルノーの図面が細部にわたって具体性があることからも、ピアノの先祖と言うべき楽器がすでに1440年時点で存在していた可能性がないとは言い切れません。しかし、ドルチェ・メロスは一台も残っておらず、コレこそがピアノの先祖である!! と正面切って一般に主張するのには少々はばかられる存在でもあります (^_^;

古いまとめですが、このページにまとめています。ご興味があればご一読くださいませ!m(._.)m

補1)1397年、パドヴァの法律家が『オーストリアのヘルマン・ポールという人物がクラヴィチェンバルムという楽器を発明したと主張している』と言及しており、これが鍵盤楽器についての最古の記録(ニューグローヴ音楽辞典)
補2)1425年、北西ドイツ、ミンデンの聖堂の祭壇の飾り壁に鍵盤楽器とその演奏者の彫刻が彫られた。これが鍵盤楽器の最古の図像

2015年4月 4日 (土)

KERN Switar 12.5mm F1.5 Dマウント & PENTAX Q@上野公園

大風が吹いたと思ったら一気に気温が下がり、花曇り、そして花冷えの一日。
Twitter仲間とのちょっとしたお花見の集まり@上野は、実にのんびりまったりした午後となりました。

・f5.6 1/125sec. (ISO640) 2015.4.4.
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我々はのんびり歩いただけでしたが、こんなに寒いのにビニールシートを敷いて靴を脱いで・・・とは言え、やはりお花見は春先の風物詩であります。

・f5.6 1/160sec. (ISO640) 2015.4.4.
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KERN Switar 12.5mm F1.5 & PENTAX Q
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2015年4月 3日 (金)

ありし日の急行「ときわ」冩眞発見(国鉄58系気動車)

先日の「上野東京ライン」の開業で常磐線の優等列車に『ときわ』の名称が復活したと聞いて、昔々に撮った急行「ときわ」の写真を発掘してみました(・o・ゞ

1980年当時、上野発の急行「ときわ」には常磐線内だけを走る言うなれば真性「ときわ」と、水郡線に乗り入れる急行「奥久慈」を併結して走る言うなれば混成「ときわ」との二種類があって、常磐線は電化しているので真性「ときわ」は電車、水郡線は非電化なので混成「ときわ」は気動車(=ディーゼルカー)でした。

この冩眞は混成「ときわ」で、電化している架線の下をうなりを上げてカッ飛んで行くディーゼルカーはかなりの迫力でありました。しかも急行型できっちり揃えられた長大編成美、佳き時代でありましたことよ。今では考えられぬことですが、この時代にはまだまだ非冷房の急行列車が走っていて大変だった記憶もありますが。

大きなサイズの写真はこちらからどうぞ!(^^)

国鉄キハ58系 急行「ときわ・奥久慈」 1980.5. 常磐線 金町駅
 Camera: FUJICA ST701 Lens: FUJINON 55mm F1.8
Fh020008

 

 

 

2015年4月 2日 (木)

ありし日の急行「ときわ」冩眞発見(国鉄451系電車)

先日の「上野東京ライン」の開業で常磐線の優等列車に『ときわ』の名称が復活したと聞き、そう言えば昔々に急行「ときわ」の写真を撮っていたハズ・・・と、ようやく探し出せました(・o・ゞ

撮影場所は北千住駅の東側、荒川橋梁ですが、1980年当時中学1年生であったワタクシがカメラを構えている場所、今ではつくばエクスプレスの橋がかかっている場所です。向こう岸に首都高速が見えていますが、なんだか建設途中のように見えませんか?

大きなサイズの写真はこちらからどうぞ!(^^)

国鉄451系 急行「ときわ」 1980.3. 常磐線 北千住ー綾瀬
 Camera: FUJICA ST701 Lens: FUJINON 55mm F1.8
Fh000026

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