フォト

カテゴリー

2024年12月 3日 (火)

中島みゆき 作詞/作曲『杏村から』ピアノソロ:1894年ベーゼンドルファー社製ピアノ(ウィーン式アクション/85鍵)で

中島みゆきの『杏村から』を、いつもの1894年製アンティークピアノで弾きました(*´-`)

『杏村から』は1977年にリリースされた研ナオコの通算4枚目のアルバム《かもめのように》に収録された、中島みゆき作詞作曲の提供曲です。そして翌1978年の春のツアーで中島みゆき本人が歌い、1981年にシングル《あした天気になれ/杏村から》として発売されています。なんとも美しくじ〜んわり来る情景と心象が渾然一体となったこの雰囲気、さすがさすがの初期の中島みゆきであります。かつてのシングル盤のB面って案外と佳曲が多くて渋〜い存在、な〜んと1982年にカセットテープ(!)で《中島みゆきB面コレクション》なるモノが発売されていたりますね〜😝

 ふられふられて 溜息つけば
  街は夕暮れ 人波模様

初期の中島みゆきですから<ふられふられて>は想い人にフラれたと脊髄反射してしまいますが、まぁ人生長い短いに関わらず、人と関われば思い通りにコトが運ばないことなんぞいくらでもありますネ。やることなすこと裏目に出てしまうときのなんとも言えないやるせなさ、切なさ、無力感は誰しも経験あるでしょう。

 子守唄など うたわれたくて
  とぎれとぎれの ひとり唄をうたう

他人なんぞ我関せずな帰宅を急ぐ夕暮れの雑踏の中の主人公、そりゃ〜誰かしらに慰めてもらいたいでしょうがそれも叶わず、<ひとり唄をうたう>というのが都会という<>にあふれる孤独。そう、主人公だけでなく、夕暮れの雑踏を形づくる皆が寂しく孤独なのが都会なんですね。団地住まいで隣人の姿を見たことすらないことが増えてきた、と指摘されるようになったのは1970年代後半よりもう少し後だったようになんとなく記憶していますが、この都会の孤独を美しい唄として託してしまった20代半ばの中島みゆき、恐るべし。

 明日は案外 うまく行くだろう
  慣れてしまえば 慣れたなら

これは単純な倒置法ですね。ひっくり返すとナルホドでありま〜す💡

 <慣れてしまえば 慣れたなら
  明日は案外 うまく行くだろう>

都会の孤独の中で生きていくためには、それに慣れてしまうのが手っ取り早いと言えば手っ取り早いワケで。孤独を感じていても明日は必ずやってきますし、ひとと関わらないワケにもいかず、まぁ孤独な状況に<慣れてしまえば>案外とうまく行ったりするっちゃする感じもしますなw

 杏村から 便りがとどく
  きのう おまえの 誕生日だったよと

孤独を唄っている曲なのになんとも美しく温かい雰囲気の理由がここで解決(なにげにコレも倒置法ですな)。都会に生きる主人公の孤独を癒してくれるのは、やはり<杏村>として隠喩されている「ふるさと」なんですね。誕生日当日ではなく翌日に<便りがとどく>というのは、おまえを決して忘れていないんだよ〜、という温かい眼差しだからこそでしょう。そして、この眼差しは実は「生まれ故郷」という狭い範囲にとどまらず、逆にこの温かい眼差しを投げかけてくれる「なにか」こそが主人公にとってほんとうの心のふるさとであり、生きていくためのよりどころなのではないでしょうか。そのような「なにか」が見つけられたならば、人生は案外と悪くないものになるのでしょうね。

 ふるさとへ 向かう最終に
  乗れる人は 急ぎなさいと
  やさしい やさしい声の 駅長が
  街なかに 叫ぶ『ホームにて』1977年)

な〜るほど、『ホームにて』『杏村から』と同じ1977年で、しかも大ヒットシングル《わかれうた》のB面でしたっけ💡

 町のねずみは 霞を食べて
  夢の端し切れで ねぐらをつくる

町のねずみ>でピンと来るのはイソップ寓話の一つ『田舎のネズミと都会のネズミ』ですが、現代の若者たちもピンと来るのでしょうかね〜。それはともかく、都会の便利さ危険さそして孤独の中であっても、人それぞれささやかな<夢の端し切れ>は抱いていると思います。

 眠りさめれば 別れは遠く
  忘れ忘れの 夕野原が浮かぶ

夢の端し切れ>とともに眠りにつけば、昨晩感じていたなんとも言えないやるせなさ、切なさ、無力感はなんとなく慣れっこになって、日々の生活の中で<忘れ忘れ>になっていくのでしょうか。それにしても、この歌詞のなんとも美しいことよ。

 明日は案外 うまく行くだろう
  慣れてしまえば 慣れたなら

  杏村から 便りがとどく
  きのう おまえの 誕生日だったよと

・・・イヤ実は、昨日の12月2日はワタクシの誕生日だったのよ😛



この動画で使っているピアノは100年以上昔、1894年製のアンティークピアノ。このような楽器を使ってこのような曲を弾くのはまことに愉しいです。現代では世間で聞こえる音のほとんどは電気を通していますが、このころに世間で聞こえていた音は生音が主流でした。1877年にエジソンが蓄音機を実用化し、このピアノが作られた1894年にはSPレコードの大量生産ができるようになって、次第に「録音」というシロモノが世間に知られるようになった時代。こんな時代の楽器がどれほど豊かな音世界を伝えていたのか、この動画で使っている楽器は奇跡的にオリジナルほぼそのまま、まさに時代の生き証人です。

2024年11月22日 (金)

EASTEIN/イースタイン No.150 1968年製 で、イリインスキーの「幼き女の子の一日, op.19」から第2曲『ワルツ』を

1968年製の EASTEIN/イースタイン No.150 で、イリインスキー「幼き女の子の一日, op.19」から第2曲『ワルツ』を弾きました。

EASTEIN/イースタインは宇都宮の工場で生産したピアノを東京銀座に本社を置く『東京ピアノ工業』が販売していたブランドで、戦後の関東ピアノ工業会の一大勢力でありました。玉石混淆な日本のメーカーの中で「木工加工から部品製造、組立までを自社で」という方針のもと、こだわり抜いた独特な音色の美しさに定評があるメーカーでした。この150型は《限度を1坪》として間口147cm×奥行158cmで設計され、1959(昭和34)年の発表以来、大変に売れていたようです。

なお、イースタインの150型について徹底的に調べた方がいらっしゃり、FUKUYAMA & SONS との関連についても触れられています。
https://niga2.sytes.net/wordpress/?p=419

*ピアノ工房ピアピット(千葉県印西市)
ピアノは本気で直せば古いピアノでも必ずよみがえります
http://www.piapit.com/repair.html

参考文献:三浦啓市『日本のピアノメーカーとブランド』
https://www.ankasha.com/books/books2

イリインスキー/Alexander Ilyinsky(1859-1920) はロシアの作曲家で、20歳でベルリンに留学して専門教育を受けています。『幼き女の子の一日, op.19』は24曲からなる比較的平易な小品集で、小じゃれた佳品の数々がなかなか魅力的ですよ〜(・o・ゞ



FUKUYAMA & SONS に OEM 提供していた同型の動画もどうぞ😉

2024年11月21日 (木)

YAMAHA U3F 1971年製 で、アウリス・レイヴィツカの『即興曲 ニ長調』を

1971年製 YAMAHA U3F で、アウリス・レイヴィツカの『即興曲 ニ長調』を弾きました。

ピアノ修理工房はこだわりがハンパないとこが少なくないですが、このピアノを偏執的探究心のカタマリ(褒め言葉w)をもってして仕上げた埼玉は春日部の「シオンピアノ工房」のこだわりの方向性、包括的理論的論理的かつ極めて明快なところがまことに小気味良いです。無論、技術的にも安定安心最優秀レベルなのは言わずもがな。まさかこのテのピアノがこんなにもイイ感じになるのか〜?! というピアノを見せつけられるのが毎回めっちゃ新鮮✨ 今回のオーバーホール品はこだわりの材料でとことん突き詰めるという方向ではございませんが、それでもここまで追い込んでしまわずにはいられないのがさすがの変態工房(褒め言葉www)

アップライトピアノって、アクション動作の原理からして少し雑に弾く方が表現がしやすい一面があるとワタクシ思っているのですが、このシオンピアノ工房特別仕様の「グランドピアノテイストオプション」のアップライトピアノは全くそうではなくてヤラレました。鍵盤の底に指が進むに従って注意力をガッツリ鋭敏にせねばならぬ、というグランドピアノな感覚で弾かないと弾く感触も音色も表現もまるでダメになってしまうという、弾き手にとってか〜なり厳しい楽器になりやがっていました😅

この「グランドピアノテイストオプション」は物理的にまことに明快な方向なのですが、徹底に徹底を重ねたアクション調整技術を持たぬ技術者には方法を知ったところで手も足も出せないオプションであることも理解。ローマは一日にして成らずで、職人魂という良質で厳密な手作業の積み重ねのみが良い技術者を生み出すんだなぁと改めて感じ入りました。

*シオンピアノ工房
http://zionpiano.starfree.jp/

2024年11月18日 (月)

戦前 H.Matsumoto/エチ松本ピアノ 十號 で、ヤナーチェクの草かげの小径にて 第一集』から第1曲「われらの夕べ」を

チェコ東部モラヴィアの作曲家ヤナーチェクによる『草かげの小径にて 第一集』から第1曲「われらの夕べ」を、戦前日本のH.Matsumoto/エチ松本ピアノ 十號 で弾きました。

H.Matsumoto/エチ松本ピアノは、日本のピアノ製作の先駆者である松本新吉の長男である広(ひろし)の個人経営として、月島で関東大震災の翌年から東京大空襲で全焼させられるまで製造されていました。H.Matsumoto/エチ松本ピアノは当時高まっていたピアノの需要に応えるための大量生産であり、新吉と六男:新治による音づくりの信念である「スヰートトーン」とは異なる方向ですが、このような「量」と「質」のせめぎ合いはどんな時代でも避けられないんですよね〜🧐
*「エチ松本」はカタログの表記そのままで、「エイチ松本」ではございませんぞ!

例によってのピアノ工房ピアピットの入荷品、修復後しばらく放置されていたフシがありますが悪くない状態で、修復前の音を録ってみました。

*ピアノ工房ピアピット(千葉県印西市)
ピアノは本気で直せば古いピアノでも必ずよみがえります
http://www.piapit.com/repair.html

参考文献:三浦啓市『日本のピアノメーカーとブランド』
https://www.ankasha.com/books/books2

動画内にも載せているこのエチ松本ピアノカタログ(印刷年不詳)には高さ4フィート2インチ(=127cm)の「十號」と「十一號」が併記(ステッカーによる修正)されており、「十號」は85鍵で「十一號」は88鍵となっています。この現物は高さ実測125cmですが、まぁ「十號」と判断して差し支えなかろうと思います。

Hmatsumotono10_catalog
*資料提供:三浦啓市

2024年11月15日 (金)

DIAPASON/ディアパソン No.125 1957年製 で、キスラーの『3つのレントラー, op.81』から、第1曲 変イ長調を

DIAPASON/ディアパソンの1957年製 No.125 アップライトピアノで、キスラー『3つのレントラー, op.81』から、第1曲 変イ長調を弾きました。例によってのピアピットによる内部のみクリーニング品ですぜ(*´-`)

DIAPASON/ディアパソンはご存知のよく知られた国産ピアノで、天才技術者の誉れ高い大橋幡岩氏の高い志を実現すべく製造されたのが始まりです。この動画の個体は1957年製、製造の浜松楽器工業の社長が1956年に死去して大橋幡岩氏も1957年末に辞職したというタイミングの楽器で、浜松楽器工業がカワイの傘下に入る1年前、大橋幡岩氏が直接に関わっていた最後期の製品と思われます。

*ピアノ工房ピアピット(千葉県印西市)
ピアノは本気で直せば古いピアノでも必ずよみがえります
http://www.piapit.com/repair.html

参考文献:三浦啓市『日本のピアノメーカーとブランド』
https://www.ankasha.com/books/books2

キスラー/Cyrill Kistler(1848-1907)はミュンヘンの音楽学校でオルガンと作曲を学び、作曲家そして音楽理論の教師として名を馳せました。リヒャルト・シュトラウスと並び称され、ワーグナーがキスラーのことを「唯一のふさわしい後継者」と称するなど名声を博していたという記載も一応はありますが、今では忘れ去られていますね〜。キスラーは1889年に Würzburg でオペラ『Eulenspiegel/オイレンシュピーゲル』を初演しますが、実はコレはリヒャルト・シュトラウスの交響詩『ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら』のきっかけだったりするんですよ〜👌

2024年11月10日 (日)

1726年製クリストーフォリピアノ&1763年製モーツァルトの旅行用クラヴィコード演奏会

2024年11月10日、大阪は堺の『スペースクリストーフォリ堺』主催公演の大役を仰せつかりましてな💪

Img_5896s

現代的な合理化を一切廃して多少の弾きづらさなどなどは意に関せず、といういさぎよ過ぎるほどの完全オリジナル主義な修復方針にこだわり抜く山本宣夫氏の本拠が『スペースクリストーフォリ堺』、山本宣夫氏はココで25年前の1999年に1726年製クリストーフォリピアノの奇跡的な完全複製楽器を作り上げたのでした(なお、浜松市楽器博物館の有名なのとは別の個体です👌)。この奇跡の一部がこの記事↓です。

*山本宣夫氏のインタビュー
 ホンモノの熱意というのは神がかりのように運を引き寄せるのだと納得させられます。運も実力のうち!
https://phoenixhall.jp/interview/2004/06/01/747/

20241110_cristofori_s

20年前まではこの山本宣夫氏の1726年製クリストーフォリピアノでの活動をワリと頑張っていたワタクシ、昨年2023年豊中市での「とよなかクリエイティブ・ガーデン」でのひさびさの再会を機に加齢なw復活、月並みな表現ですが、過ぎ去りし青春時代に一瞬でタイムスリップしましたよ〜😭

20241110_palazzi_s

「最初のピアノはチェンバロの躯体に弦を叩く機構を取り付けただけの不完全なシロモノだった」と憶測するだけなら知識があろうがなかろうが容易ですが、いまだにピアノの専門家な方々ですら案外とこの程度の認識でとどまっているコトが少なからずなようで歯がゆいです。例によってと言うべきかw史実は全く異なっており、Cristofori のピアノはチェンバロよりはるかに複雑強靭に組まれていて、しかもこの1726年製の個体の打弦機構(アクション)はウナるしかないほどに洗練されています。

*打弦機構の動画をどうぞ〜✨✨✨


そして、これまた特殊な「ダブル・ベントサイド構造」のために複雑強靭な躯体を持ちながら響板は雑な表現を許してもらえれば柔らかく「浮いた」ように仕組まれており、Cristofori のピアノで弾く柔らかいピアニシモは特筆すべき美しさなのです。そのためCristofori のピアノとクラヴィコードとの親和性が極めて高く、比較的小規模な会場でこの2台を演奏するというのは我がスタイルとして確立できたような気がいたします✌️

20241110_reiseclavichord_s

この山本宣夫氏による複製楽器は「未完成かつ不完全なシロモノ」という根拠のない憶測を吹っ飛ばすに足る驚くべき出来栄えで、やはりピアノという楽器は Cristofori という「真の天才による偉大な発明」だったのだろうなぁと思わされます。願わくば、この動画でその魔力のごく一部でも伝われば幸いです。

2024年11月 8日 (金)

PEASE/ピーズ 144cm 1900年頃 で、ノリスの「3つのピアノ曲, op.34」から、第1曲『Remembrance/追憶』を

PEASE/ピーズ は米国はニューヨークのメーカーです(pease は「平和」でなく「えんどう豆」ですぞ)。1844年 Chauncey D. Pease により創業、1873年に Gustavus W. Kindstrom と協業して “Pease & Kindstrom” となりましたがこの協業は翌年に解消、あらためて “Pease & Company” として再編されています。この個体は “Pease & Company” になってからのもので、スタイルからしておそらくは1900年前後の製造ではなかろうかなぁと推測しています。

なお、これは鶴見で戦後から頑張ってきた「大塚ピアノ社」がその昔貸しピアノとして活用していた個体です。1922年からの国産の名ブランドである「PRIMATONE/プリマトン」発売元であった横浜元町の「大塚ピアノ商会」で修行した先代:大塚功作氏が鶴見で「大塚ピアノ社」として独立した頃からの生き残りで、2024年秋の店じまいでピアピットが引き取りました🫡

*ピアノ工房ピアピット(千葉県印西市)
ピアノは本気で直せば古いピアノでも必ずよみがえります
http://www.piapit.com/repair.html

参考文献:三浦啓市『日本のピアノメーカーとブランド』
https://www.ankasha.com/books/books2

ノリス/Albert Locke Norris(1867−1940)はアメリカのオルガニストそして作曲家です。このop.34-1はボストンの Arthur P. Schmidt社から1915年に出版されており、Pease社のピアノとほぼ同じ時代の作品ですよ〜👌

2024年11月 1日 (金)

KAWAI No.K50 1964年製 で、クレーヴェの「7つのピアノ曲, op.1」から第6曲『田園曲』を

1964年製 KAWAI No.K50 で、クレーヴェ「7つのピアノ曲, op.1」から第6曲『田園曲』を弾きました。

KAWAIのK-50には新旧モデルがありまして、フレームの表記が旧モデルは「No.K50」で高さ130cm、新モデルは「K-50」で高さ125cmです。この個体は旧モデルで購入後数年は定期的に調律されるもその後50年以上放置、それでもさすがの量産以前のカワイで、クリーニングと再調整のみで幅広〜く豊かな響きそして軽い鍵盤の動きになりました。塗装もしっかりしていて、美しい艶になりました👌

*ピアノ工房ピアピット(千葉県印西市)
ピアノは本気で直せば古いピアノでも必ずよみがえります
http://www.piapit.com/repair.html

Halfdan Cleve/ハルフダン・クレーヴェ(1879−1951)は、ノルウェーのピアニストで作曲家。オルガニストであった父親からかなりのスパルタ教育を受け、神童の名をほしいままにしていたとのこと。ベルリンでかのシャルヴェンカ兄弟に師事しており、数多くのピアノ曲を作曲しています。

2024年10月30日 (水)

中島みゆき 作詞/作曲『あどけない話』ピアノソロ:1894年ベーゼンドルファー社製ピアノ(ウィーン式アクション/85鍵)で

中島みゆきの『あどけない話』を、いつもの1894年製アンティークピアノで弾きました(*´-`)
『あどけない話』は、1991年10月15日~27日にBunkamuraシアターコクーンで行われた、オンシアター自由劇場創立25周年記念公演「ラブミーテンダー」のための書き下ろし曲です。その劇中で歌った吉田日出子のシングル《あどけない話/歌姫》が1992年に発売され、中島みゆき本人は1993年にリリースしたアルバム《時代─Time goes around─》に収録しています。

 おとぎばなしを聞かせるなら
  「ありえないこと」と付け足しておいてよ
  おとぎばなしはみんなずるい
  どこにも日付を書いていない


『あどけない話』というタイトルで<おとぎばなし>ですからまぁフツーは他愛もない夢物語的な『あどけない話』なのでしょうけれど、中島みゆきの歌詞で<ありえないこと>に加えて<おとぎばなしはみんなずるい>とぶっ込まれると俄然怪釈が変わってきますね〜。

 昨日のこと、あさってのこと、おとといのこと
  それとも、いつ?

主人公は想いびとから(コレは既定路線ねw)おとぎばなし>=『あどけない話』=夢物語を聞かせられてそれが現実になることを期待=夢見ていますが、その話には<どこにも日付を書いていない>ワケで、現実になるのがいつなのか、はたまた現実にならないのか、確証が一切無いのでありま〜す。中島みゆきの歌詞にワリと登場する、「今のままで居続けたいし将来にも希望を持ちたいのに、未来に確証が持てないで不安になってしまう主人公」がここにも現れましたぞ👀

 船に乗り風に乗り
  どこまでもどこまでも
  私たち旅をゆく
  信じてる、迷いもなく


何やらことさらに未来をバラ色に(少し前に『バラ色の未来』も出しましたが👌)輝かせて、しかも最後にダメ押しで<信じてる、迷いもなく>ですから、これは主人公の未来に対する不安を打ち消したいがための姿勢だろうなぁと。人間というヤツらが本来的に100%誰もが未来に希望を抱くものなのかは知らんですが、この主人公のように未来に確証が持てなくなってしまうのは、期待していたのに裏切られた経験が少なくないからこそ、なのではないでしょうか💦

 おとぎばなしはみんなずるい
  どこにも日付を書いていない


ほ ら ね 。
人生なんつ〜のは、自分が望んでいるような良い未来はロクに起こらずに悪い未来ばかりが現実に起こりやがる、というモンですよね〜。かと言って・・・

 海鳴りよ 海鳴りよ
  今日も また お前と 私が 残ったね
『海鳴り』1978年)

永遠に変わらぬことを願いそのように行動したところで、逆にその結果変わらぬ自然現象である<海鳴り>と自分独り以外誰一人として残っていなくなったりもしますね。っっったく、な〜んでこうも人生は思い通りにならないんざんしょ😤

 「いつかおまえに見せてあげよう
  沈まない月も翼のある花も」
  終わることない夢のはなし
  いつまでも私 うなずきましょう


あくまでもあどけない空想の産物である<おとぎばなし>ですが、思い通りにならぬ人生に対してそれを積極的に肯定することなく「まぁそんなもんよね〜」とかなんとかうなずきながら生き続けるための方便としての意味、実は大変に大きいのだろうなぁと思わされます。現実逃避と申されるな(いやそうなんですがw)、よりどころがあらずして人生の荒波を泳ぎ切れる人物なんぞなかなかいるもんではございませぬ。<おとぎばなし>はオトナの先送りwとも思いますが、<いつまでも私 うなずきましょう>と人生をヤリ過ごすことができるならば、それはそれで名も知られぬ路傍の一介の石としてまことに立派な生き方でしょうぞ。

 双子のように似ているふたつ
  誓うことと願うことは
  うそじゃないうそじゃない
  でも人は愛すると
  叶おうが無理だろうが、夢を聞かせたくなるわ


ふむ、出だしは倒置法ですな💡
 <誓うことと願うことは 双子のように似ているふたつ

思い通りにならぬ人生において、愛する方は誓って愛される方は願う、という図式を指摘しているのでしょうか。なるほどごもっともでございますが、な〜かなかに冷徹な観点ですな。愛する方が<夢を聞かせたくなる>のはまったくもってその通りで(特にオトコのコってばさw)、愛される方がたとえ<叶おうが無理だろうが>そうあってほしいと願ってうなずくこともまたその通りだろうなと思わされます。愛し愛される間柄は互いにあどけなく<おとぎばなし>を語り合うような関係で、人生のよりどころとして素晴らしく意味のある存在なのでしょう。嗚呼、それにしてもそれにしても、人生は邯鄲の夢のごとし💡

 終わることない夢のはなし
  いつまでも私 うなずきましょう




この動画で使っているピアノは100年以上昔、1894年製のアンティークピアノ。このような楽器を使ってこのような曲を弾くのはまことに愉しいです。現代では世間で聞こえる音のほとんどは電気を通していますが、このころに世間で聞こえていた音は生音が主流でした。1877年にエジソンが蓄音機を実用化し、このピアノが作られた1894年にはSPレコードの大量生産ができるようになって、次第に「録音」というシロモノが世間に知られるようになった時代。こんな時代の楽器がどれほど豊かな音世界を伝えていたのか、この動画で使っている楽器は奇跡的にオリジナルほぼそのまま、まさに時代の生き証人です。

2024年10月25日 (金)

EMERSON/エマーソン Cabinet Grand 147cm 1900年製 で、ノリスの「3つのピアノ曲, op.34」から、第1曲『Remembrance/追憶』を

1900年製の EMERSON/エマーソン Cabinet Grand 147cm で、ノリスの「3つのピアノ曲, op.34」から、第1曲『Remembrance/追憶』を弾きました。

EMERSON/エマーソン は米国はボストンのメーカーです。1849年に William P. Emerson により W. P. Emerson Piano Company として創業、創業者が1870年代後半に亡くなってから The Emerson Piano Company となりました。かなり成功したメーカーらしくネット上では何種類ものカタログが発見できますが、どれもこの個体の1900年と少〜し異なる時代のカタログで特に前パネルの形状に一致する機種が見当たらずでした。残念😅

なお、これは鶴見で戦後から頑張ってきた「大塚ピアノ社」がその昔貸しピアノとして活用していた個体です。1922年からの国産の名ブランドである「PRIMATONE/プリマトン」発売元であった横浜元町の「大塚ピアノ商会」で修行した先代:大塚功作氏が鶴見で「大塚ピアノ社」として独立した頃からの生き残りで、2024年秋の店じまいでピアピットが引き取りました🫡

*ピアノ工房ピアピット(千葉県印西市)
ピアノは本気で直せば古いピアノでも必ずよみがえります
http://www.piapit.com/repair.html

参考文献:三浦啓市『日本のピアノメーカーとブランド』
https://www.ankasha.com/books/books2

ノリス(1867−1940)はアメリカのオルガニストそして作曲家です。このop.34-1はボストンの Arthur P. Schmidt社から1915年に出版されており、だいたいこの個体と同じ時代の作品ですよ〜👌

2024年10月21日 (月)

GERSHWIN/ガーシュイン G-100 DELUXE 1979年製? で、ローデの「飛びゆく木の葉, op.36」から、第7曲『郷愁』を

製造番号上二桁からおそらく1979年製ではないかと推測できる GERSHWIN/ガーシュイン G-100 DELUXE で、ローデの「飛びゆく木の葉, op.36」から、第7曲『郷愁』を弾きました。例によっての ピアピット の入荷品、安価に提供するために軽い内部クリーニングと再調整のみでしたが案外とまとまってくれるもんで、日本の中堅メーカーの底力を目の当たりにできた気がしますぞ(*´-`)

GERSHWINは昭和28年の大岡楽器製作所から脈々と続くブランドで、大岡楽器製作所→白鳥楽器製作所→スワン楽器製造株式会社→ガーシュインピアノ株式会社→東日本ピアノ製造株式会社→株式会社バロックへと受け継がれています。この個体の1979年製という推測が当たっていれば、東日本ピアノ製造株式会社の時代となりますね〜。

*ピアノ工房ピアピット(千葉県印西市)
ピアノは本気で直せば古いピアノでも必ずよみがえります
http://www.piapit.com/repair.html

参考文献:三浦啓市『日本のピアノメーカーとブランド』
https://www.ankasha.com/books/books2

作曲のローデ(1828−1883)は、ドイツのハレに生まれてベルリンで亡くなった作曲家、オルガン奏者です。150曲ほどを出版していますが、例によって忘れ去られていますね〜(・o・ゞ

2024年10月20日 (日)

「エレピアン」新発売の新聞広告

先日カタログ類を多数救出した鶴見の「大塚ピアノ社」の大量の資料の中に日本コロムビアが発売した「エレピアン」のカタログ類がございまして、その一冊に1962年11月6日朝日夕刊、エレピアン新発売の広告が挟まっておりましたぞ😳

19621106bws

挟まっていた元のカタログはコレで、コレまた古いものでした。掲載機種は以下の通りです。
*CEP-612D<61鍵>
 真空管2本、トランジスタ3個、ダイオード2個
*CEP-615<61鍵>
 真空管2本、トランジスタ3個、ダイオード2個
*CEP-753F<75鍵>
 真空管5本、トランジスタ2個、ダイオード2個
*CEP-753<75鍵>
 真空管5本、トランジスタ2個、ダイオード2個

Img_5714s

2024年10月18日 (金)

ELINGTON/エリントン U-200E 1977年製 で、ヤーダスゾーンの「さすらいの音画, op.122」から、第4曲『出会い』を

1977年製の ELINGTON/エリントン U-200E で、ヤーダスゾーンの「さすらいの音画, op.122」から、第4曲『出会い』を弾きました。例によっての ピアピット の入荷品、安価に提供するために軽い内部クリーニングと再調整のみでしたが案外とまとまってくれるもんで、日本の中堅メーカーの底力を目の当たりにできた気がしますぞ(*´-`)

ELINGTONは、数多くのブランドの生産をしていた浜松の大成(たいせい)ピアノの主要ブランドの一つで、ピアノ工具や部品販売の渡辺商店が製造委託していました。

*ピアノ工房ピアピット(千葉県印西市)
ピアノは本気で直せば古いピアノでも必ずよみがえります
http://www.piapit.com/repair.html

参考文献:三浦啓市『日本のピアノメーカーとブランド』
https://www.ankasha.com/books/books2

作曲のヤーダスゾーン(1831−1902)は、ヨーロッパ専門の歴史家たちが恐れをなすほどヤヤこしいとされるシレジア地方の生まれのユダヤ人作曲家です。当時ユダヤ人ということもあってか紆余曲折の末に母校ライプツィヒ音楽院の職を得て、グリーグなど名だたる作曲家を育成して名声を博していたのですが・・・ま〜忘れ去られていますね。なんと、瀧廉太郎が留学先のライプツィヒ音楽院で最晩年(1901年)のヤーダスゾーンの授業を受けた様子を手紙に残していたりします(・o・ゞ

2024年10月16日 (水)

農工大ピアノ部、ピアノ改善大作戦始動

おそらく大学生時代ぶりで、午前中の農工大農学部キャンパス襲撃。早起きは三文の得でな〜んとも心地良い武蔵野の空気感、まことに佳き環境ですぞ〜🍵

Img_5658

農工大ピアノ部の学生たちが一念発起して使い倒しすぎてボロボロなピアノを改善しようとしているのを聞いたのは夏前、総勢100名を優に超える団体を運営陣がじわじわと動かして、ようやく一台をむちゃくちゃ消耗しているのに驚くほどの高値で売っ払えたのでした😎

Img_5680

引取現場で査定額が下げられる場合があるとのコトで、ウルサそうなオジさんが顔を見せて圧をかけるのが良かろうと提案したのが運のつきでの早起きでございましたよ🤣

Img_5669

さて帰り道、10/13から来春まで中央線快速のグリーン車運用開始の移行期間で無料とのコトで、国分寺から東京まで快速での〜んびりと。ほぼほぼ満席なのはまぁ当然ですが、慣れぬ早起きした身には沁みた沁みた✨

Img_5685

2024年10月10日 (木)

鶴見、大塚ピアノ社店じまい

戦後まもなくから鶴見の地でず〜っとピアノ調律・修理などなど全般をこなしてきた「大塚ピアノ社」が年齢と健康上の理由で店じまいするとのことで、例によってピアピットの渡辺順一氏が漢気を発揮、進駐軍が置いていって修理しながら使い続けてきた古いアップライトピアノ3台と工具の数々を引き取ると聞いて、そりゃ〜古いカタログなどの貴重な文書資料も多数残っているに違いないぞと踏んでご連絡(要はハイエナですわw)

Img_5546s

いかにも古いしっかりした仕事場で、想像以上に大量のカタログ類の数々と大量のホコリwにお出迎えされましてな。ヤマハとカワイが半分以上なのは当然ですが、凄かったのはそれ以外のいわゆる第3メーカーのカタログの数々。ベルトーン、シュベスター、アトラス、アポロ、は当然として、プリマトン、プルツナー、モルゲンスターン、ヴァンブロード、ドルファーなどなど、三浦啓市氏による名著『日本のピアノメーカーとブランド』でしかお目にかかったことのないブランドの資料がごっそり救出できました😳

Img_5575s

それと同じくらいかそれ以上に貴重と思われるのは、初期の電気式鍵盤楽器のカタログの数々。昭和40年頃の最初期のエレクトーンD1-Bが載ったカタログ、ローランドのカタログにエレピアンのカタログなどなど。

Img_5572s

12月までに大塚ピアノ社は店じまいを終えるおつもりですので、興味のある方はワタクシまでどうぞご連絡くださいませ!

2024年10月 8日 (火)

1950年ごろ製造 ALEXANDER HERRMANN/アレキサンダー ヘルマンで、レナルド・アーンの『Mirage/幻影』を

レナルド・アーン(1874-1947) の独り語りとも言えそうな玄妙な小品集『Le rossignol éperdu/思い惑う夜鶯』から第26曲『Mirage/幻影』を、戦後おそらく1950年前後と思われる アレキサンダー ヘルマン(福山ピアノ社、Material Made in Germany)で弾きました。

ALEXANDER HERRMANN/アレキサンダー ヘルマンは20世紀初頭創業のドイツは Sangerhausen(ザンガーハウゼン、旧東ドイツ地域)のメーカーですが、この個体は銘板に「Material Made in Germany」と明記されていまして、実は日本の福山ピアノ社がドイツの本家から部品を輸入して日本で製作していたブランドのようです。まぁこの銘板そのものは英語表記でかつ動詞の「made」まで大文字始まりの「Made」になっているので、日本の職人お得意のコピー技術で本家をマネた可能性大と思いますけどね〜w

フツーに考えればこれはいわゆる「ニセモノ」とか「パチモン」とかで終わってしまいそうなシロモノですが、ちょ〜っと待っていただきたい。少なくともこの個体は曲を弾いた際の余韻がおよそ日本のピアノ製作伝統からかけ離れているとさえ思わせられるような繊細さを持ち合わせていてビックリ、福山ピアノ社が直接指導を受けたうえでその通り真面目に製作していた可能性すら想像できそうな素晴らしさでした😳

動画内にも載せましたが、この福山ピアノ社カタログの ALEXANDER HERRMANN の項に<独逸最堅牢アレキサンダーヘルマンスケールにより製作せる最高級品><独逸ローイスレンナー会社へ特別注文せる世界的内部弊社直輸入製作品>という表現があり、また福山ピアノ社は1946年に国際水準到達を目標に10年計画を立ててブリュートナーの徹底的な研究・分析に着手したとのことで、あながち伊達や酔狂による誇大広告でもなさそうに思えます(同時に誇大広告華やかなりし時代でもあるので、ナンとも判断しづらいのもホンネw)

Img_4015s
*資料提供:三浦啓市

*ピアノ工房ピアピット(千葉県印西市)
ピアノは本気で直せば古いピアノでも必ずよみがえります
http://www.piapit.com/repair.html

基礎文献:三浦啓市『日本のピアノメーカーとブランド』
https://www.ankasha.com/books/books2

Reynaldo Hahn(1874-1947)は歌曲方面で渋い人気wを博していますが、まさか歌曲だけなハズもなくピアノ曲を書いておりまして。この『Le rossignol éperdu/思い惑う夜鶯』は1912年の出版で古典的なかたちをしていながら随所にこの時代のおふらんすな響き満載、そして新しい時代への萌芽ともいうべき難しい響きもあり、やはりこのような魅力は同世代のピアノで魅力百倍。まぁ地味っちゃ地味ですけどね〜✨

2024年10月 6日 (日)

墨東押上発 スタインウェイ・サロン ACT. 1 盛会御礼

10月5日(土)の『墨東押上発 スタインウェイ・サロン ACT. 1』はおかげさまで大盛況、皆さまありがとうございました!

Img_5473s

押上文庫の1959年製ハンブルク・スタインウェイはいささかお疲れでしたが適切な修繕で見事に復活、昔の楽器にしばしば宿る魔力のみならず、清潔感や透明感をも兼ね備えた素晴らしい楽器となりました。

またやってねの声も多く、年に数回できればイイかなぁと思っております。どうぞご期待くださいませ〜👌

Img_5487s

2024年10月 4日 (金)

戦前 H.Matsumoto/エチ松本ピアノ 十號 で、シャミナードの『目覚まし時計 op.87-1』を

戦前の H.Matsumoto/エチ松本ピアノ 十號 で、シャミナードの『目覚まし時計 op.87-1』を弾きました。

H.Matsumoto/エチ松本ピアノは、日本のピアノ製作の先駆者である松本新吉の長男である広(ひろし)の個人経営として、月島で関東大震災の翌年から東京大空襲で全焼させられるまで製造されていました。H.Matsumoto/エチ松本ピアノは当時高まっていたピアノの需要に応えるための大量生産であり、創業者である新吉と六男:新治による音づくりの信念である「スヰートトーン」とは異なる方向ですが、このような「量」と「質」のせめぎ合いはどんな時代でも避けられないんですよね〜🧐
*「エチ松本」はカタログの表記そのままで、「エイチ松本」ではございませんぞ!

*ピアノ工房ピアピット(千葉県印西市)
ピアノは本気で直せば古いピアノでも必ずよみがえります
http://www.piapit.com/repair.html

基礎文献:三浦啓市『日本のピアノメーカーとブランド』
https://www.ankasha.com/books/books2

動画内にも載せているこのエチ松本ピアノカタログ(印刷年不詳)には高さ4フィート2インチ(=127cm)の「十號」と「十一號」が併記(ステッカーによる修正)されており、「十號」は85鍵で「十一號」は88鍵となっています。この現物は高さ実測125cmですが、まぁ「十號」と判断して差し支えなかろうと思います。

Hmatsumotono10_catalog
*資料提供:三浦啓市

Cécile Chaminade(1857−1944)は、経済的に自立した最初の女性作曲家とされています。サロン風な曲を数多く出版しており、数々の小洒落たピアノ曲はなかなか素敵です。この『目覚まし時計』は「6 Pièces humoristiques/6つのユーモラスな作品集, Op.87」の第1曲め、お聴きになると、なんか「なるほど〜」って感じですよ〜✨

まさにシャミナードの時代の1874年にフランスの発明家アントワーヌ・レディエが調節可能な機械式目覚まし時計の特許を取得して、さまざまなメーカーが目覚まし時計の開発に乗り出すようになった由。目覚まし時計が庶民一般に普及するのはもう少し後になって1930年台あたりかららしいですが、この「ユーモラスなピアノ曲集, op.87」が出版された19世紀終わり頃には既にその在り方は知れ渡っていたのではないでしょうか。

目覚まし時計って、ヒトを遅刻しないようにさせてくれる本来なら感謝されてしかるべき存在なのに、同時に毎朝毎朝エラく憎まれる存在だったりもしますからね〜。シャミナードが「ユーモラスなピアノ曲集, op.87」の一曲めに『目覚まし時計』をぶっ込んできたのはまことに愉しいことではございませんか😝

2024年9月29日 (日)

ハンブルク・スタインウェイ O-180 1959年製で、スクリャービンの『プレリュード, op.11-21』を

1959年製のおなじみ Steinway & Sons O-180 で、スクリャービン(1872-1915)初期の『プレリュード, op.11-21』を弾きました。この明るく繊細に澄み切った世界もまた、スクリャービンの大切な一面だと思いますね〜🧐

この個体は、スタインウェイは日本国外にこそ良いものがある、という信念の一流調律師による選定品です。スカイツリーの下、下町押上の「押上文庫」のオーナー氏の所有でして、氏は歌やピアノの仕事から日本酒と器の仕事への華麗なる転職を果たし、和洋問わずさまざまな文化に通じる大変な文化人。その広く深いこだわりの果てにw入手した恐ろしくポテンシャルの高いこのスタインウェイ、古い楽器の奥深い不思議さを伝えるのにふさわしい名器です。

*押上文庫:https://oshiagebunco.jimdosite.com

このたびワタクシが 2024年10月5日 にここ押上文庫でサロンコンサート『墨東押上発スタインウェイ・サロン』をすることになり、しばらく手を加えておらずにいささかくたびれていたこの個体ですが、古い楽器を良〜く知るベテラン辣腕調律師にみっっっちりと手を入れてもらえました。どんな仕事もそうですが、簡単に一発で改善できるような「必殺技」なんぞ存在するハズもなく、正常な位置・動きを取り戻させるべくただひたすら愚直に丁寧に精度を高め続ける大ベテランの作業にはただただ敬服感服尊敬の一言(一言じゃないナw)しかございません。

果たしてその結果は素晴らしく、往年の銘機が復活した感触ありです。その一端をどうぞお楽しみくださいませ。

20241005_oshiage_leaflets

2024年9月27日 (金)

SCHWESTER/シュベスター No.50 1974年製 で、ネルクの「易しい旋律的小品集, op.166」から、第4曲『波打つ麦畑にて』を

1974年製の SCHWESTER/シュベスター No.50 で、ネルクの「易しい旋律的小品集, op.166」から、第4曲『波打つ麦畑にて』を弾きました。例によっての @ピアピット によるオーバーホール品ですよ〜(*´-`)

*ピアノ工房ピアピット(千葉県印西市)
ピアノは本気で直せば古いピアノでも必ずよみがえります
http://www.piapit.com/repair.html

日本のピアノ製造は浜松周辺が中心でしたがそれ以外で作られていなかったワケではなく、東京蒲田で1929(昭和4)年に創業した協信社ピアノ製作所で作られていたのが、このシュベスターというブランド、日本が誇る老舗の一つです。1958年に名称をシュベスターピアノ製造に名称変更、1978年に浜松近くの磐田に拠点を移転して1981年に社名をエスピー楽器製作所と変更して現代に至ります。フレームの払拭で残念ながら新品の製造は止めてしまいましたが、厳選された材料で手堅く作られており、名品のほまれ高いブランドです(*´-`)

アウグスト・ネルク(1862−1928)は、ハンブルクの音楽院で学びドレスデンで活躍していた作曲家、チェロの名手で同時にピアニストでもありました。チェロの作品が多数を占めますが、この「易しい旋律的小品集, op.166」は聴きやすく弾きやすく親しみやすいピアノ作品集ですよ〜(・o・ゞ

«ハンブルク・スタインウェイ O-180 1959年製で、ショパンの『マズルカ op.63-2』を

2024年12月
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31        

最近のコメント

無料ブログはココログ