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10月23日/沈黙は金・雄弁は銀 ACT.1@ソフィアザールバロック高円寺

「不要不急」というキーワードで全てが規制されてしまいがちなこのごろですが、ちょ〜っと待っていただきたい。人間という存在を単なる生き物でなく(この表現もチト語弊がありますが)人間たらしめているのは、他でもない「不要不急」ができる存在だからではないでしょうか。音楽活動に限りませんで、およそ全ての人間の活動は、等しく人間が自らの尊厳を守るために欠くことができないということ、皆が痛感させられてきたことでしょう。

某緊急事態宣言が延長に延長を重ねていること、思うところはそれぞれに強〜烈にございましょうが、この国の状況についてネット上で文句を言ったところでいっときのガス抜きにしかならない・・・のはサンザン経験してますよね〜。この国の状況に関わらず従来通りの活動が困難になってしまったのもまた確かですし、それなら範囲を絞った上で自分にできることを細々と続ける以外の選択肢は存在し得ないのではないでしょうか。この不要不急なwピアノ演奏会は10月23日の土曜日です。どこであってもナニをやってもウイルスな奴らが免罪符を発行してくれるハズもございませんが、それであっても、今、音楽家ができるのは不要不急の音楽以外にはないのであります。

我々にはすでに感染防止の経験が1年半以上あるワケですから、勘所はかなり理解できているはずです。定員50名のところ半分の25名に減らし、時間も少しコンパクトに抑えての開催、くれぐれも無理はなさらずですが、おいでくだされば嬉しいです。少しでも体調に不安があれば当日でも遠慮なくキャンセルしていただきたく、入場料は当日精算にしてあります。受付でのやり取りを少しでも減らすため、お釣りのないように3000円ちょうどの準備をしていただければ幸甚に存じます。


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2021年10月23日(土)14時開演(13時半開場)
高円寺、ソフィアザールバロック高円寺
(JR高円寺駅北口徒歩10分程度/中野区大和町1-29-12)
3000円(当日精算/25名限定、要予約)
共催 ソフィアザール
申し込み 090-8348-1170(ソフィアザール:遠藤)
  bergheil69@me.com(筒井)

声高で乱暴な主張ばかりの世の中、疲れませんか?

20211023_leaflet

<プログラム>
 モーツァルト (1756-1791)
  ロンド ニ長調 K.485
 シューベルト (1797-1828)
  即興曲 D935(op.142)-2
 グリーグ (1843-1907)
  「抒情小品集」から
 フィビヒ (1850-1900)
  小品集「気分、印象そして追憶」から
 ドビュッシー (1862-1918)
  夢
 ポンセ (1882-1948)
  間奏曲 第1番
 シャミナード (1857-1944)
  目覚まし時計
 サティ (1866-1925)
  『星たちの息子』への3つの前奏曲
                    (曲順不同)

*参考動画(本番の楽器はコレじゃないですよ〜)
ポンセ/間奏曲 第1番

2021年9月23日 (木)

モーツァルト『6つのウィーンソナチネ』から第1番第1楽章を、モーツァルトの旅行用クラヴィコード(1763, J.A.Stein)の複製(2002年)で

モーツァルト作曲とされる「6つのウィーンソナチネ」第1番から第1楽章を、モーツァルトが7歳のときにモーツァルト家が入手した旅行用クラヴィコードの完全複製で弾きました。ナゼかこの動画のときだけ撮影アプリがバグって派手なフリッカーが発生してしまったのが残念至極!

モーツァルト没後の19世紀初頭(1805年とされています)のウィーンで、モーツァルト作曲によるクラヴィーアソロ用の「6つのウィーンソナチネ」なる楽譜が Artaria 社の Plate 1644-1645 として2分冊で出版されました。手頃で親しみやすい曲集でかなりの好評を博したようで現代でもさまざまな楽器用に編曲されていますが、この手の作品は成り立ちが怪しいものが少なからずなのもまた事実。オリジナルはケッヘル目録第6版でK.439b の「3本のバセットホルンまたはバセットホルンとファゴットのための5つのディヴェルティメント, K.Anh.229(439b)」とされていますが、なんとなんと、この「6つのウィーンソナチネ」では編集者によって5つの曲も楽章もバラバラにして6曲に再構成されていたりします。

この動画で弾いている「6つのウィーンソナチネ」第1番から第1楽章はもとは「ディヴェルティメント第4番」の第1楽章で、再現部に絶妙なカットが入れられてクラヴィーアソロ用として編曲されています。この「6つのウィーンソナチネ」の編曲者は知られていませんが、再構成の見事な手腕とあわせて考えるとかなりの実力者だったのではないかなぁと思わざるを得ませんね〜。



ここで使っている楽器は筒井本人の所有、モーツァルト家の3年半に及ぶ「西方大旅行」の最初(1763年8月、ヴォルフガング7歳)にアウグスブルクのシュタインの工房で父レオポルドが入手した旅行用クラヴィコード(現在、ブダペスト、ハンガリー国立博物館所蔵)の忠実な複製です。

モーツァルト『K.2』(いわゆる「メヌエット へ長調」)を、モーツァルトの旅行用クラヴィコード(1763, J.A.Stein)の複製(2002年)で

1762年1月にザルツブルク(?)にて作曲、とされる当時6歳になるかならないかのモーツァルト(誕生日が1月27日ですからね〜)による「ヘ長調の小品 K.2」を、その1年半後の8月にアウグスブルクでモーツァルト家が入手した旅行用クラヴィコードの完全複製で弾きました。

この「ヘ長調の小品 K.2」は一般的には「メヌエット K.2」とされていますが、この時代の小品のほとんどはタイトルや速度表記がつけられていないので「メヌエット」と決めつけてしまうのはちぃとばかし疑問があるんだけど・・・まぁいっかw。この曲はもともと父レオポルドが姉ナンネルの楽譜帳に書きつけたものと一応はされていますがこの曲のページ(とあとK.5の1ページ)は後年に誰かに贈られて失われており、唯一1828年に発行された資料にのみ記載がある、という厳密にはちょ〜っとだけ悩ましいシロモノだったりします。

神童時代(なんとな〜く12歳ぐらいまでかなぁ)の幼きヴォルフガング周辺の鍵盤楽器に「ピアノ」という楽器は含まれていなかったというのは資料に裏づけられた史実ですが、どうも見落とされがちなのが残念でなりません。実はこの時代のヴォルフガングに関係する資料で「ピアノ」という新しい鍵盤楽器とのつながりを示すものは皆無で、当時の状況を勘案すれば見た可能性ありという見解は推測以外のナニモノでもないんですよ〜。ピアノ以外ならナニ? と言われれば、そりゃもぅチェンバロであり、オルガンであり、そしてクラヴィコードでありま〜す。ザルツブルクのモーツァルト家にフォルテピアノが入ったのはようやく1780年ころ、なんとヴォルフガング20代前半というけっこう遅いタイミングだったことはなかなかに衝撃的ですぞ(・o・ゞ



ここで使っている楽器は筒井本人の所有、モーツァルト家の3年半に及ぶ「西方大旅行」の最初(1763年8月、ヴォルフガング7歳)にアウグスブルクのシュタインの工房で父レオポルドが入手した旅行用クラヴィコード(現在、ブダペスト、ハンガリー国立博物館所蔵)の忠実な複製です。

2021年9月22日 (水)

モーツァルト『ソナタ K.7』第3楽章を、モーツァルトの旅行用クラヴィコード(1763, J.A.Stein)の複製(2002年)で

1763年11月30日にパリにて作曲、とされる当時7歳のモーツァルトによる「メヌエット ニ長調」を、その少し前の8月にアウグスブルクでモーツァルト家が入手した旅行用クラヴィコードの完全複製で弾きました。

この「メヌエット ニ長調」は、もともと父レオポルドが姉ナンネルの楽譜帳にヴォルフガングが作曲したと注釈をつけて鍵盤楽器のソロとして書きつけたもので、1764年3月に「作品1」としてパリで自費出版した『クラヴィーアのためのソナタ。 ヴァイオリンの助奏による演奏も可』2曲セット第2曲の第3楽章として使われています。この作品はケッヘル番号として「K.7」が与えられております。

神童時代(なんとな〜く12歳ぐらいまでかなぁ)の幼きヴォルフガング周辺の鍵盤楽器に「ピアノ」という楽器は含まれていなかったというのは資料に裏づけられた史実ですが、どうも見落とされがちなのが残念でなりません。実はこの時代のヴォルフガングに関係する資料で「ピアノ」という新しい鍵盤楽器とのつながりを示すものは皆無で、当時の状況を勘案すれば見た可能性ありという見解は推測以外のナニモノでもないんですよ〜。ピアノ以外ならナニ? と言われれば、そりゃもぅチェンバロであり、オルガンであり、そしてクラヴィコードでありま〜す。そしてチェンバロもオルガンも当時の馬車の旅で運ぶのは全く現実的でなく、旅の友としての鍵盤楽器は旅行用に特化して小さく頑丈に設計されたクラヴィコードだったのでした(・o・ゞ



ここで使っている楽器は筒井本人の所有、モーツァルト家の3年半に及ぶ「西方大旅行」の最初(1763年8月、ヴォルフガング7歳)にアウグスブルクのシュタインの工房で父レオポルドが入手した旅行用クラヴィコード(現在、ブダペスト、ハンガリー国立博物館所蔵)の忠実な複製です。

2021年9月21日 (火)

モーツァルト『ロンドン・スケッチブック, K.15』から第1〜6曲を、モーツァルトの旅行用クラヴィコード(1763, J.A.Stein)の複製(2002年)で

モーツァルト一家のいわゆる「西方大旅行」中のロンドンにて、当時8歳のヴォルフガングが父レオポルドから与えられた楽譜スケッチ帳に自らの手で書きつけた「ロンドン・スケッチブック」から第1〜6曲を、1年ほど前の8月にアウグスブルクでモーツァルト家が入手した旅行用クラヴィコードの完全複製で弾きました。この「ロンドン・スケッチブック」の時期は1764年の後半と推測され、これら最初の6曲はさまざまなスタイルを自在に使い分けていて、8歳半にしてさすがは神童の名に恥じない素晴らしい能力ですよ〜。

モーツァルト一家がロンドンに着いたのは1764年4月23日、今までにないほどの熱狂的な歓迎を受けたのでした。ですが当時のロンドンの環境は産業革命最初期(七年戦争が終結、パリ条約が前年の1763年ですよ〜)で劣悪で、父レオポルトが「これほどたくさんの蒸気・煙・埃それに霧が出る人口稠密な都会」という表現をしています。なお、ワットによる蒸気機関の効率化はわずか数年後だったりしますね。

このような環境の中で用心深い父レオポルドは家族の健康に充分以上なほどの注意を払っていたのですが、あろうことか自身が8月初めに重病にかかってしまい、一家は9月末ごろまでロンドン郊外のチェルシーに移ります。ここには鍵盤楽器がなかったためにヴォルフガングはこの楽譜スケッチ帳でいろいろと作曲を試みていた・・・というのが通説ですが、一家は旅行用クラヴィコードを1年前から携えていましたからこの説は怪しいとワタクシにらんでいたりします(・x・ゞ

鍵盤に触れられなくて頭の中だけで作ったから妙に弾きにくかったり演奏不能だったりする箇所が少なくないという解説もほぼ例外なく目にしますが、人類の歴史に燦然と輝くほどの天才少年の頭の中です。凡人には弾けなくても彼は弾けたかもwしれませんし、そもそもスケッチ帳で完成させることを念頭に置いていないワケですから鍵盤楽器だけを念頭に置いていたと限定してしまうのも無理があると思いませんかの? まぁ同時にこの楽譜スケッチ帳には一家所有の旅行用クラヴィコードの音域を下に超える曲があるのも事実ですが当時の鍵盤楽器の最大音域にはきっちり収まっているワケで、音域が合わないからと言って「旅行用クラヴィコードは手元になかった」と結論づけられるほどのハナシではないでしょうよと。だいたい、この時代の音楽家たるもの、鍵盤楽器の音域がアタマの中に入っていないワケないでしょ〜にw。

「弾きにくさ」も、ヴォルフガング君はいたずら好きですし弾けて弾けて楽しくてしょうがない少年だったでしょうし、突飛な音形をぶっこんで見たというイタズラも無数にあったのではないでしょうかね〜(^^)b

第1〜3曲


第4〜6曲


ここで使っている楽器は筒井本人の所有、モーツァルト家の3年半に及ぶ「西方大旅行」の最初(1763年8月、ヴォルフガング7歳)にアウグスブルクのシュタインの工房で父レオポルドが入手した旅行用クラヴィコード(現在、ブダペスト、ハンガリー国立博物館所蔵)の忠実な複製です。

2021年9月20日 (月)

モーツァルト『K.4』(いわゆる「メヌエット へ長調」)を、モーツァルトの旅行用クラヴィコード(1763, J.A.Stein)の複製(2002年)で

1762年5月11日にザルツブルクにて作曲、とされる当時6歳のモーツァルトによる「ヘ長調の小品 K.4」を、その1年ちょい後の8月にアウグスブルクでモーツァルト家が入手した旅行用クラヴィコードの完全複製で弾きました。

この曲はもともと父レオポルドが姉ナンネルの楽譜帳に<1762年5月11日>の日付とともに書きつけており、このタイミングはザルツブルクの自宅だよね、という判断というワケです。この「ヘ長調の小品 K.4」は一般的には「メヌエット K.4」とされていますが、この時代の小品のほとんどはタイトルや速度表記がつけられていないので「メヌエット」と決めつけてしまうのはちぃとばかし疑問なんだけどなぁ・・・形はメヌエットなのでまぁいっかw。

神童時代(なんとな〜く12歳ぐらいまでかなぁ)の幼きヴォルフガング周辺の鍵盤楽器に「ピアノ」という楽器は含まれていなかったというのは資料に裏づけられた史実ですが、どうも見落とされがちなのが残念でなりません。実はこの時代のヴォルフガングに関係する資料で「ピアノ」という新しい鍵盤楽器とのつながりを示すものは皆無で、当時の状況を勘案すれば見た可能性ありという見解は推測以外のナニモノでもないんですよ〜。ピアノ以外ならナニ? と言われれば、そりゃもぅチェンバロであり、オルガンであり、そしてクラヴィコードでありま〜す。ザルツブルクのモーツァルト家にフォルテピアノが入ったのはようやく1780年ころ、なんとヴォルフガング20代前半というけっこう遅いタイミングだったことはなかなかに衝撃的ですぞ(・o・ゞ



ここで使っている楽器は筒井本人の所有、モーツァルト家の3年半に及ぶ「西方大旅行」の最初(1763年8月、ヴォルフガング7歳)にアウグスブルクのシュタインの工房で父レオポルドが入手した旅行用クラヴィコード(現在、ブダペスト、ハンガリー国立博物館所蔵)の忠実な複製です。

2021年9月18日 (土)

モーツァルト『ソナタ K.6』第2楽章を、モーツァルトの旅行用クラヴィコード(1763, J.A.Stein)の複製(2002年)で

1763年10月にブリュッセルにて作曲、とされる当時7歳のモーツァルトによる「アンダンテ へ長調」を、その直前の8月にアウグスブルクでモーツァルト家が入手した旅行用クラヴィコードの完全複製で弾きました。

この「アンダンテ へ長調」は、もともと父レオポルドが姉ナンネルの楽譜帳にヴォルフガングが作曲したと注釈をつけて鍵盤楽器のソロとして書きつけたもので、1764年3月に「作品1」としてパリで自費出版した『クラヴィーアのためのソナタ。 ヴァイオリンの助奏による演奏も可』2曲セット第1曲の第2楽章として使われています。この作品はケッヘル番号として「K.6」が与えられており、7歳の天才少年の作品としてまことに堂々としたアンダンテ楽章であるように感じます。

神童時代(なんとな〜く12歳ぐらいまでかなぁ)の幼きヴォルフガング周辺の鍵盤楽器に「ピアノ」という楽器は含まれていなかったというのは資料に裏づけられた史実ですが、どうも見落とされがちなのが残念でなりません。実はこの時代のヴォルフガングに関係する資料で「ピアノ」という新しい鍵盤楽器とのつながりを示すものは皆無で、当時の状況を勘案すれば見た可能性ありという見解は推測以外のナニモノでもないんですよ〜。ピアノ以外ならナニ? と言われれば、そりゃもぅチェンバロであり、オルガンであり、そしてクラヴィコードでありま〜す。そしてチェンバロもオルガンも当時の馬車の旅で運ぶのは全く現実的でなく、旅の友としての鍵盤楽器は旅行用に特化して小さく頑丈に設計されたクラヴィコードだったのでした(・o・ゞ



ここで使っている楽器は筒井本人の所有、モーツァルト家の3年半に及ぶ「西方大旅行」の最初(1763年8月、ヴォルフガング7歳)にアウグスブルクのシュタインの工房で父レオポルドが入手した旅行用クラヴィコード(現在、ブダペスト、ハンガリー国立博物館所蔵)の忠実な複製です。

2021年9月16日 (木)

モーツァルト『K.5』(いわゆる「メヌエット へ長調」)を、モーツァルトの旅行用クラヴィコード(1763, J.A.Stein)の複製(2002年)で

1762年6月5日にザルツブルクにて作曲、とされる当時6歳のモーツァルトによる「ヘ長調の小品 K.5」を、その1年後の8月にアウグスブルクでモーツァルト家が入手した旅行用クラヴィコードの完全複製で弾きました。

この「ヘ長調の小品 K.5」は一般的には「メヌエット K.5」とされていますが、この時代の小品のほとんどはタイトルや速度表記がつけられていないので「メヌエット」と決めてしまうのはちぃとばかしどぉなのかなぁ・・・まぁいっかw。この曲はもともと父レオポルドが姉ナンネルの楽譜帳に書きつけたものと一応はされていますがこの曲のページ(とあとK.2の1ページ)は後年に誰かに贈られて失われており、唯一1828年に発行された資料にのみ記載がある、という厳密にはちょっとだけ悩ましいシロモノだったりします。

神童時代(なんとな〜く12歳ぐらいまでかなぁ)の幼きヴォルフガング周辺の鍵盤楽器に「ピアノ」という楽器は含まれていなかったというのは資料に裏づけられた史実ですが、どうも見落とされがちなのが残念でなりません。実はこの時代のヴォルフガングに関係する資料で「ピアノ」という新しい鍵盤楽器とのつながりを示すものは皆無で、当時の状況を勘案すれば見た可能性ありという見解は推測以外のナニモノでもないんですよ〜。ピアノ以外ならナニ? と言われれば、そりゃもぅチェンバロであり、オルガンであり、そしてクラヴィコードでありま〜す。ザルツブルクのモーツァルト家にフォルテピアノが入ったのはようやく1780年ころ、なんとヴォルフガング20前半というけっこう遅いタイミングだったことはなかなかに衝撃的ですぞ(・o・ゞ



ここで使っている楽器は筒井本人の所有、モーツァルト家の3年半に及ぶ「西方大旅行」の最初(1763年8月、ヴォルフガング7歳)にアウグスブルクのシュタインの工房で父レオポルドが入手した旅行用クラヴィコード(現在、ブダペスト、ハンガリー国立博物館所蔵)の忠実な複製です。

2021年9月14日 (火)

モーツァルト『ソナタ K.6』第3楽章を、モーツァルトの旅行用クラヴィコード(1763, J.A.Stein)の複製(2002年)で

1763年10月にブリュッセルにて作曲、とされる当時7歳のモーツァルトによる「メヌエット ハ長調」を、その直前の8月にアウグスブルクでモーツァルト家が入手した旅行用クラヴィコードの完全複製で弾きました。
(ここしばらくこの楽器で中島みゆきばっかりうpしてるので関係各所から批難GoGoだったりwww)

この「メヌエット ハ長調」は、もともと父レオポルドが姉ナンネルの楽譜帳にヴォルフガングが作曲したと注釈をつけて鍵盤楽器のソロとして書きつけたもので、1764年3月に「作品1」としてパリで自費出版した『クラヴィーアのためのソナタ。 ヴァイオリンの助奏による演奏も可』2曲セット第1曲の第3楽章として使われています。この作品はケッヘル番号として「K.6」が与えられており、神童時代の作品としてなんとなく耳にしたことのある方も少なくないのではないでしょうか。

神童時代(なんとな〜く12歳ぐらいまでかなぁ)の幼きヴォルフガング周辺の鍵盤楽器に「ピアノ」という楽器は含まれていなかったというのは資料に裏づけられた史実ですが、どうも見落とされがちなのが残念でなりません。実はこの時代のヴォルフガングに関係する資料で「ピアノ」という新しい鍵盤楽器とのつながりを示すものは皆無で、当時の状況を勘案すれば見た可能性ありという見解は推測以外のナニモノでもないんですよ〜。ピアノ以外ならナニ? と言われれば、そりゃもぅチェンバロであり、オルガンであり、そしてクラヴィコードでありま〜す。そしてチェンバロもオルガンも当時の馬車の旅で運ぶのは全く現実的でなく、旅の友としての鍵盤楽器は旅行用に特化して小さく頑丈に設計されたクラヴィコードだったのでした(・o・ゞ



ここで使っている楽器は筒井本人の所有、モーツァルト家の3年半に及ぶ「西方大旅行」の最初(1763年8月、ヴォルフガング7歳)にアウグスブルクのシュタインの工房で父レオポルドが入手した旅行用クラヴィコード(現在、ブダペスト、ハンガリー国立博物館所蔵)の忠実な複製です。

2021年9月13日 (月)

オクターヴチェンバロ導入の巻

本日(9/13)、ヤミ物資の受け取りに分倍河原駅まで隠密行動w

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万能の才人、永野光太郎氏 からの貸し出し品、チト大きくて fragile なシロモノなので、時間がかかっても混まない経路を優先して無事に帰宅。モンダイは置き場所で・・・エラいこっちゃ💦

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これで、どの楽器を弾くときにも最初に力仕事が必須になったワケで、弾きこもりでナマりにナマったカラダが少しでも怪復するや否や🤣

2021年9月10日 (金)

マスネー『Valse très lente/いともゆるやかなワルツ』を、1905年製プレイエル3bisピアノ(85鍵)で

マスネー(1842-1912)の『Valse très lente/いともゆるやかなワルツ』を1905年製85鍵のプレイエル 3bis(トロワビス)型ヴィンテージピアノで弾きました。この曲の出版は1901年、まさに楽器と作品とがどんぴしゃで、興味深く弾くことができました(^^)v

この曲名、直訳すれば『とても遅いワルツ』になりましょうが、う〜ん、これじゃ〜このせっかくの小粋で優しくおふら〜んすな世界を一気に興醒めさせちまうんですよね〜。まぁ簡単に考えて『きわめてゆるやかなワルツ』でもイイかなとも思いましたが、もちっとヒネってみた結果、なんとか出てきましたよ。『 い と も ゆ る や か な ワ ル ツ 』に決っ定〜 (`・ω・´)!

マスネーはオペラで大成功し、当時もっとも有名な作曲家の一人でした。その作品群はとにもかくにも軽妙洒脱かつ美しいメロディーの宝庫ですが、現代ではごく限られた作品しか顧みられていないのがチト残念なような。ヴァイオリン用として誰もに知られる通俗名曲『タイスの瞑想曲』はオペラ『タイス』の中の一曲ですが、これがあまりにも突出して知られ過ぎているという一面もあるのかなぁとかなんとかw。

この『Valse très lente/いともゆるやかなワルツ』を検索してみるとオーケストラ編曲が出てきまして、こ〜れがまた美しく魅惑的に仕上がっていましてな。マスネーの色彩的な魅力が十全に愉しめる名編曲と思います。併せてど〜ぞ。

19世紀末から20世紀初頭にかけては現代的な科学技術が次々と花開いたタイミングで、ピアノに限らず人間の生活が大変に変化したタイミングでもありました。そしてこの時代に生み出された芸術もまた大きく変化したワケで、あまたの才能そして魑魅魍魎がそれこそうじゃうじゃと湧いていた時代なんですね〜。この時代はまだまだ「魔力」に満ちていて神秘的なナニかに対する感受性も相当に高かった時代で、この時代の独特な空気感は現代の明晰なピアノで弾いてしまうと雲散霧消してしまいがちなのですが、この アトリエミストラル の1905年製プレイエルは的確に手を加えられて適度に弾かれているためでしょうか、霊的な雰囲気を蘇らせることが充分に可能なのでありま〜す (`・ω・´)

2021年9月 7日 (火)

ゴダール『Rêverie pastorale/田園に想ふ, op.43』を、1905年製プレイエル3bisピアノ(85鍵)で

Godard/ゴダール(1849-1895)の『Rêverie pastorale/田園に想ふ, op.43』を1905年製85鍵のプレイエル 3bis(トロワビス)型ヴィンテージピアノで弾きました。

この曲名、キチンと訳すれば『牧歌的夢想曲』やら『田園風夢想曲』やらやらwになりましょうが、う〜ん、コレじゃ〜このせっかくの優しく穏やかな夢の世界を一気に興醒めさせちまうんですよね〜。「田園への想い」でもイイかなぁとは思ったのですが、これでは修飾関係が違ってくるのでボツ・・・とかいろいろ苦心惨憺した結果、なんとか絞り出せましたよ。『 田 園 に 想 ふ 』に決っ定〜 (`・ω・´)!

Godard/ゴダールは多作家の天才として鳴らし、かつては『ジョスランの子守唄』という誰もが知る通俗名曲の作曲者として知られていましたが、今ではフルート曲の作曲者としてそこそこ知られている程度の作曲家ではないでしょうか。この『ジョスランの子守唄』は、オペラ『Jocelyn, op.100』の中の一曲で、戦前にはフツーに蓄音機で聴かれていたんですよ〜。YouTubeにも昭和6年吹込で藤原義江が近藤朔風の詩に乗せて歌っている音源が上がっています。

この『Rêverie pastorale/田園に想ふ, op.43』の検索を軽〜くかけてみたのですが、あろうことかネット上には音源がなさそうな疑惑が浮上してきまして、そんなことがあってイイのかと。この手の「埋もれた」曲にはだいたい理由がありまして、展開技術は上手なのでしょうが霊感に乏しいがためにそこから抜け出せずに紋切り型に終始して数分で飽きるとか、そうでなくても「また聴こう」と思ってもらえにくいとか。この曲はそんなモンじゃなく、ちゃぁんと一歩も二歩も抜け出している気がするンですけどね〜。

19世紀末から20世紀初頭にかけては現代的な科学技術が次々と花開いたタイミングで、ピアノに限らず人間の生活が大変に変化したタイミングでもありました。そしてこの時代に生み出された芸術もまた大きく変化したワケで、あまたの才能そして魑魅魍魎がそれこそうじゃうじゃと湧いていた時代なんですね〜。この時代はまだまだ「魔力」に満ちていて神秘的なナニかに対する感受性も相当に高かった時代で、この時代の独特な空気感は現代の明晰なピアノで弾いてしまうと雲散霧消してしまいがちなのですが、この アトリエミストラル の1905年製プレイエルは的確に手を加えられて適度に弾かれているためでしょうか、霊的な雰囲気を蘇らせることが充分に可能なのでありま〜す (`・ω・´)

 

2021年9月 4日 (土)

レナルド・アーン『Première valses/最初の円舞曲集』から第5曲を、1905年製プレイエル3bisピアノ(85鍵)で

レナルド・アーン(1874-1947)の『Première valses/最初の円舞曲集』から第5曲を、高崎のアトリエミストラル の1905年製85鍵のプレイエル 3bis(トロワビス)型ヴィンテージピアノで弾きました。

アーンは歌曲方面で渋い人気wを博していますが、ピアノ曲を書いていないワケはございませんでして。この『Première valses』は1898年の出版ですからこのプレイエル3bis と同世代、古典的な和声を使っていながら随所にこの時代のおふらんすな響きに満ちており、やはりこのような魅力は同世代のピアノで魅力百倍。この第5番には、献呈先に代えて「à l’Ombre rêveuse de Chopin」という言葉が添えられています。日本語では「ショパンの夢かげに寄せて」とでも書くのでしょうか。なるほどな小ネタあり、あこがれに満ちたしみじみとした語り口あり、素晴らしい佳曲です (*´-`)

19世紀末から20世紀初頭にかけては現代的な科学技術が次々と花開いたタイミングで、ピアノに限らず人間の生活が大変に変化したタイミングでもありました。そしてこの時代に生み出された芸術もまた大きく変化したワケでして、あまたの才能そして魑魅魍魎がそれこそうじゃうじゃと湧いていた時代なんですね〜。この時代はまだまだ「魔力」に満ちていて神秘的なナニかに対する感受性も相当に高かった時代でしょうから、たかが現代日本人がこの時代のピアノを使ったところでそれを強く強く念頭に置いて弾かないと一発で返り討ちされるのが怖く、またオモシロいのでありま〜す (`・ω・´)

2021年8月30日 (月)

中島みゆき 作詞/作曲『永久欠番』ピアノソロ:1894年ベーゼンドルファー社製ピアノ(ウィーン式アクション/85鍵)

中島みゆきの『永久欠番』を、いつもの1894年製アンティークピアノで弾きました。

『永久欠番』は、1991年に発売されたアルバム《歌でしか言えない》に収録されており、2001年から東京書籍『新編 新しい国語3』(=中学校3年の国語)の最初のページに掲載されています(いつまでだったのかは不明ね(^^;)『永久欠番』は発売当初から名曲の誉れ高い曲とのことですが、実はリメイク含めて他では使われておらず、アルバム《歌でしか言えない》のみでしか聴けないんですよね〜。

「個人とはどうしても社会の中で埋もれざるを得ない存在」という、当たり前と言えば当たり前のことを冷徹に諦観と無念さとを込めて語っておきながら、最後の最後で人間の尊厳を高らかに歌い上げるという、これまた当たり前の楽曲構成。唄のラストが「ひとは え〜いきゅう けつばん〜〜〜〜〜〜〜〜」なのですが、高らかに歌い上げた最後の最後で「ん〜〜〜〜〜〜〜〜」と伸ばすという効果的とはおよそ真逆の形はどうしたことか。いや、まぁ、どうしようもないのですがw、一般的な「効果的」というのを踏み越えた表現意図って絶っ対にありますからね。けっこう地味にトンでもない曲でして、こんな曲をピアノソロに編曲するって、ま〜た難儀なんですわ、ハイ(・o・ゞ

 どんな立場の人であろうと
  いつかはこの世におさらばをする
  たしかに順序にルールはあるけど
  ルールには必ず反則もある
    街は回ってゆく 人1人消えた日も
    何も変わる様子もなく 忙しく忙しく先へと

1番です。あたり前のことを<ルールには必ず反則もある>というセンスで語れる形に仕立てられるのはやはり真の実力のなせるワザなのでしょうが、歌詞に「反則」を使うセンス、これまたぶっ飛んでいるような。やはり、一般的な「効果的」というのを踏み越えた表現意図ですよね〜。

 100年前も100年後も
  私がいないことでは同じ
  同じことなのに
  生きていたことが帳消しになるかと思えば淋しい
    街は回ってゆく 人1人消えた日も
    何も変わる様子もなく 忙しく忙しく先へと
    かけがえのないものなどいないと風は吹く


2番です。「個」と「集団」についてはもはや語り尽くされている感が強いですが、コレって語り尽くされたところで原理的に解決不可能なんですよね〜。現代の日本ってぇヤツは集団としての効率化をストイックに求めつづけるあまりに積極的に「個」を無視、いや、迫害/弾圧するような社会に成り果てたとすら感じていますが、ふざけんなと。「個」というものは意識しているしていないに関わらず個人が生きていることそのものに他ならず、迫害や弾圧で抑え込めるようなシロモノでは断じてございませぬ。

 愛した人の席がからっぽになった朝
  もうだれも座らせないと
  人は誓ったはず
  でも その思い出を知らぬ他人が平気で座ってしまうもの
    どんな記念碑(メモリアル) 雨風にけずられて崩れ
    人は忘れられて 代わりなどいくらでもあるだろう
    だれか思い出すだろうか
    ここに生きてた私を


3番です。いや、まぁ、そうですよ、その通りなんですが、もぅ言い方が中島みゆきらし過ぎてwタマランですね。ここまでの3連で「個人なんてそんなモンだよね〜」と畳みかけられるといささかキツくなりそうなのですが、やはり中島みゆきの歌唱力のなせるワザなのでしょう、同時に「ホントにそんなもんなのかな?」という感覚を呼び覚まさせられるんですよね〜。中島みゆきの作品っていわゆる「応援歌」に限らず、なにやら「思い直させられる」ような傾向が強い気がします。

考えてみれば、中島みゆきというトップアーティストは今までの3連とはもっとも縁遠い存在なワケで、並みのアーティストだったら「オマエが言うなwww」で終わっちまいますよ〜。人間の感覚は個々人の想像をはるかに超えるほどにぶっ飛んで千差万別wなワケで、その中でトップアーティストを何十年も続けられるということは、作品の多面性がおそろしく幅広く深いがためにそれぞれの感覚に応じて姿を変えてくれることで「寄り添ってくる」感覚を呼び覚まさせられるからなのでありま〜す。これは「古典」として残っている作品に共通してみられる特徴でして、中島みゆきの作品は発表後かなりの期間を経て「売れる」ものが少なくないということ、やはり「古典」としての質を備えているのでしょうね。中学3年生の教科書に採用されたということもまたその現れであると言えましょう。

 100億の人々が
  忘れても 見捨てても
  宇宙の掌の中
  人は永久欠番


「個」の存在をはかるのは、社会的地位でも職業でも見た目でも生きた長さでも、ましてナニかの点数でもありません。否、そもそも「個として存在していること」自体が大きくて重い現象で「はかること」ができないということが本質で、これこそが「人間の尊厳」であります。

 宇宙の掌の中
  人は 永久欠番


2021年8月26日 (木)

フランク『ハ長調とハ短調のための7つの小品』から第5曲を、1954年製ヤマハ5号リードオルガンで

謙虚、善良、無欲、無私・・・というようなフランクの人となりは、えてして押しが強い(強すぎるw)芸術家のなかでも相当に異質だったフシがありまして。生前、オルガニストとしての名声はあったにしても作曲家としてはほぼ無視どころか軽蔑の対象にすらなっていたようですが、声高に主張せぬその作品はまさに「孤高」と言うべき存在と思います。

そのフランクが最晩年に作曲し続け、その悲劇的な死(1890.11.8.)によって中断されてしまった、ハルモニウムのための曲集:『L'Organiste』の『ハ長調とハ短調による7つの小品』の第5曲を、いつもの 渡邉祐治氏 の修復によるYAMAHAの1954年製5号オルガンで弾きました。YAMAHAの5号オルガンは戦後まで長く作り続けられたモデルですが、この1954年製の楽器は木部が合板でなく無垢材の時代の生き残りです。いささか晦渋な一面も備えているのがフランクの作品ですが、この曲が入っている『L'Organiste』は、いかにも慎ましく敬虔で素朴なフランクの姿を見せてくれているような気がします。

演奏場所は小淵沢の別荘地の一角で2021年6月にオープンしたスペース「スタヂオぴーの」です。もとはブロンズの鋳造のためのしっかりしたスペースでそれをリフォームしたとのことで30人程度がゆったりくつろげます。天井が高く構造は頑丈、素直な残響が心地よくこれからの展開が楽しみですよ〜。しばらくこの5号オルガンを貸し出すことになって2021年7月25日にワタクシ筒井がコンサートを行い、そのあとに収録した動画です。

2021年8月23日 (月)

スクリャービン『2つの詩曲 op.63』から第1曲「Masque」を、1905年製プレイエル3bisピアノ(85鍵)で

スクリャービンの『2つの詩曲 op.63』から第1曲『仮面/Masque』 を、高崎のアトリエミストラル の1905年製85鍵のプレイエル 3bis(トロワビス)型ヴィンテージピアノで弾きました。『2つの詩曲 op.63』は1913年の出版ですからこのプレイエル3bis と同世代、ロシアの宮廷文化は超〜おふらんすかぶれでしたから1905年製プレイエルはまさにピッタリな方向の一つに相違ありません。この時代のピアノが持つ不思議な響きで弾くとこのような怪しさwは魅力百倍 (*´-`)

この『仮面/Masque』はスクリャービン後期の中で飛び抜けて聴きやすく、スクリャービンの「神秘和音」を愉しむためにはもってこいです。例によって楽譜には仏蘭西弁で「秘められた優しさとともに/Avec une douceur cachée」→「謎めいて/énigmatique」→「奇妙に/bizarre」という指示があり、な〜るほど、神秘的とは「得体の知れないナニやら」に対したときの心の動きを示す方法の一つなんだなぁ・・・と改めて納得です。

スクリャービンは神秘思想にたいへんに傾倒し、晩年(と言ってもせいぜい40歳)には自らの生み出した「神秘和音」を執拗に使い倒す一種行き止まり的な音楽を書き続けました。神経質で大変な潔癖症だったのですが、よりによって感染症がもとで亡くなってしまったというのがなんとも気の毒というか人間の業の現れというか、複雑な気持ちにさせられますね〜(まぁ逆に免疫力が落ちてしまったんでしょうナ)

19世紀末から20世紀初頭にかけては現代的な科学技術が次々と花開いたタイミングで、ピアノに限らず人間の生活が大変に変化したタイミングでもありました。そしてこの時代に生み出された芸術もまた大きく変化したワケでして、あまたの才能そして魑魅魍魎がそれこそうじゃうじゃと湧いていた時代なんですね〜。この時代はまだまだ「魔力」に満ちていて神秘的なナニかに対する感受性も相当に高かった時代でしょうから、たかが現代日本人がこの時代のピアノを使ったところでそれを強く強く念頭に置いて弾かないと一発で返り討ちされるのが怖く、またオモシロいのでありま〜す (`・ω・´)

2021年8月20日 (金)

ダウランド(1563-1626)『涙のパヴァーヌ』を、1954年製ヤマハ5号リードオルガンで

その昔、江戸幕府が開かれる少し前の1600年ごろの英國で作られて大ヒット、ネットはおろか録音再生機もなかったこの時代に口コミだけで優に100人以上にカバーされたという奇跡的な超名曲:John Dowland(1563-1626) 『涙のパヴァーヌ』を、いつもの 渡邉祐治氏 の修復によるYAMAHAの1954年製5号オルガンで弾きました。YAMAHAの5号オルガンは戦後まで長く作り続けられたモデルですが、この1954年製の楽器は木部が合板でなく無垢材の時代の生き残りです。

演奏場所は小淵沢の別荘地の一角で2021年6月にオープンしたスペース「スタヂオぴーの」です。もとはブロンズの鋳造のためのしっかりしたスペースでそれをリフォームしたとのことで30人程度がゆったりくつろげます。天井が高く構造は頑丈、素直な残響が心地よくこれからの展開が楽しみですよ~。

ココにしばらくこの5号オルガンを貸し出すことになって2021年7月25日にワタクシ筒井がコンサートを行い、そのアンコールのライヴ動画です。息も絶え絶えな感じを出すためにワリとギリギリの息で攻めて見ましたが、はてさて(・o・ゞ


2021年8月18日 (水)

最新 iMac M1 導入!

ちょっと前に某所から古い iMac が余るから送料だけでアゲるよ〜、と言われてホイホイその気になって机の上を整理し始めるも、いやいやいや、ちょ〜っと待〜て〜よ〜・・・の顛末でござ〜い (*´-`)

Img_5022

2010年末に MacBook Air 11inch を新品で導入して以来、節約に節約を重ねまくって古いノートMacをそれぞれ一万円程度の激安で数台乗換え。ナゼかこのタイミングで新古品がこれまた格安で転がってきて、ついカッとなってw、実に11年ぶりの新品となる iMac M1 最安モデル導入と相成りました。神サマはちゃぁんと見ていらっしゃるようで🎉🎉🎉

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ルーターが20年前の ADSL 用 10 BASE-T のまんまなのがタマにキズwwwですが、なにやらとっても速いし、キーボードもマウスも無線だし、すんげぃ近未来に放り出された感強し。モニターはず〜〜〜っっっと11インチが基本だったので、23.5インチは無限の荒野(・o・ゞ

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YouTube作成に使い倒している Early 2008 の MacBook と、Facebook などに使い倒している Late 2010 の MacBook Air と、3台使いになりましたとさ🤣

2021年8月16日 (月)

アンドレ・カプレ『古風なスタイルに基づく3つの小品』から第1曲「メヌエット(リュリに基づく)」を、1905年製プレイエル3bisピアノ(85鍵)で

一昨日(8/14)に引き続き、アンドレ・カプレ(1878-1925) の『3 petites pièces dans le style ancien/古風なスタイルに基づく3つの小品』の第1曲「Menuet (d’aprés LULLY)/メヌエット(リュリに基づく)」です。今度は アトリエミストラル本場(?)おふらんすの1905年製85鍵のプレイエル 3bis(トロワビス)型ヴィンテージピアノで弾いてますよ〜 (*´-`)

まぁ初代のプレイエルはハイドンの薫陶を受けたウィーンの作曲家ですし、ウィーンの遺伝子がこの1905年製プレイエルに受け継がれている感じもしなくはないような。とはいえ、現代ピアノ的でありながら音域によって音色が全く異なるようなこの時代の楽器らしい複雑さが共通しているだけなのかなぁとも思えますし、う〜ん、めっっちゃ興味深いのですがよくわからんですね〜(・o・ゞ

2021年8月14日 (土)

アンドレ・カプレ『古風なスタイルに基づく3つの小品』から第1曲「メヌエット(リュリに基づく)」を、1894年ベーゼンドルファー社製ピアノ(ウィーン式アクション/85鍵)で

アンドレ・カプレ(1878-1925) の『3 petites pièces dans le style ancien/古風なスタイルに基づく3つの小品』の第1曲「Menuet (d’aprés LULLY)/メヌエット(リュリに基づく)」を、1894年製ベーゼンドルファーで弾きました。パリの作品をウィーンの楽器で弾くのは、まぁ、ヨーロッパ東西の大都会という以外に共通点はない気もしますwが、同じ時代の空気感が愉しめるかもしれませんよ〜 (*´-`)

André Caplet/アンドレ・カプレ(1878-1925) は仏蘭西中堅の作曲家でドビュッシーと親交が篤く、繊細な作風がとりわけ素敵だったとのことです。この時代はあらゆる分野で幾多の才能が存分に花開いていましたが、作曲家としてはどうしてもドビュッシーとラヴェルあたりの超〜有名な作曲家ばかりに目が向けられがちなのは、まぁ、う〜ん、仕方ないんでしょかね〜 (´・ω・`)

『3 petites pièces dans le style ancien/古風なスタイルに基づく3つの小品』は1897年の出版ですから、このベーゼンドルファーとまさに同年代の作品です。この時代の芸術はこれから進む新しい方向を向きつつも過去の遺産にもしっかりと憧れの眼を向けていたようで、擬古典的な作品もた〜くさん産み出されていました。そして、この時代のチェンバロ復興の趨勢がモダンチェンバロという、不当にも無視されていますがなかなか興味深く実は音楽的にも相当に豊かな方向に向かったこともなにげに愉しく、そのような時代性が聴こえるような気がしませんか?

«スクリャービン『4つの小品 op.51』から第2曲「Prélude」を、1905年製プレイエル3bisピアノ(85鍵)で

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