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2024年9月10日 (火)

10月5日/墨東押上発 スタインウェイ・サロン ACT. 1

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しばらく動画ばかりでサボっておりましたが、ひさびさのサロンコンサート、題して墨東押上発 スタインウェイ・サロン ACT. 1ですぞ。
今度10月5日(土)17時怪演で、これまた魔力たっぷりな1959年製ハンブルクスタインウェイを使ってめっちゃ美味い日本酒懇親会つきで〜す👌

押上の地は「墨東(=隅田川のちょっと東ですネ)」という、江戸明治の昔から文化人が隠れ忍び集い愛した土地。平成も終わろうとしている現代ですが、この地の文化の集結地&発信地たる 押上文庫 から、コンサートホールでは絶対に味わえない、気軽で親密な空気をお届けします。

ご予約&お問合せ oshiagebunco@gmail.com(押上文庫)

会場はスカイツリーの根元、押上文庫 です。ココの骨董酒器で愛でる日本酒、サイコーですぜ〜😎
(なお準備の都合上、キャンセルは3日前まででお願いしたく存じます🙇🏻)

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ここのスタインウェイO-180はオーナー氏の所有。氏は歌やピアノの仕事から日本酒と器の仕事への華麗なる転職を果たし、和洋問わずさまざまな文化に通じる大変な文化人。そのこだわりの果てにw入手した恐ろしくポテンシャルの高いスタインウェイ、古い楽器の奥深い不思議さを伝えるのにふさわしい名器です!

2024年9月 6日 (金)

KAWAI K-2 2007年製 で、モレロフスキーの「5つの印象, op.9」から第4曲『オルガン風に』を

2007年製 KAWAI K-2 で、モレロフスキー「5つの印象, op.9」から第4曲『オルガン風に』を弾きました。

KAWAIのK-2は比較的最近の機種で、高さ114cmの小型アップライトピアノです。現代の小さなアップライトピアノですから小型であるという物理的な弱点もそれなりにカバーされていて、愉しめる楽器として手堅くまとめられていますね〜☝️

*ピアノ工房ピアピット(千葉県印西市)
ピアノは本気で直せば古いピアノでも必ずよみがえります
http://www.piapit.com/repair.html

作曲のモレロフスキー/Ludwik Morelowski(1845-1916) については例によってロクに資料が残っていませんが、ポーランドはクラクフの A. Piwarski & Co. から数多くのピアノ曲を Louis Morelowski 名で1912年にまとめて出版しており、おそらく作曲家&ピアニストと推測されます(・o・ゞ

2024年8月31日 (土)

中島みゆき 作詞/作曲『MEGAMI』ピアノソロ:1894年ベーゼンドルファー社製ピアノ(ウィーン式アクション/85鍵)で

中島みゆきの『MEGAMI』を、いつもの1894年製アンティークピアノで弾きました(*´-`)

『MEGAMI』は1988年にリリースされたアルバム《グッバイ・ガール》の3曲め、A面5曲の真ん中です。このアルバム《グッバイ・ガール》は全曲のアレンジを瀬尾一三が手掛けた第1作目で、これから現在2024年に至るまで中島みゆきのアレンジャーがず〜っと変わらずというところ、か〜なり意味のあるアルバムなんでしょね。1980年代半ばから新たな音楽の可能性を模索してきた中島みゆきですが(いわゆる「御乱心の時代」ですね)、瀬尾一三と出会ったこともあってこの時代は終焉を迎えた、というのが一般的理解です。なお、このアルバム《グッバイ・ガール》はCD時代になってからのLPアルバムのラストなのでプレス枚数が少なく、中古市場では高値で取引されて年々上がり続けているとかいろいろと余計なハナシもございまして。実はワタクシ、ちょっと値が下がったタイミングで某ヤフオクでウッカリ落札してしまった(美品でバンザイ)というのもココだけのハナシ✌️

 子供の頃に もらったような
  甘い菓子など 飲み込めなくて
  苦いグラスに 溺れてるおまえを
  今夜もひとり ひろってゆこう


「純粋無垢な子供」と「雑念やら苦しみに満ちた大人」とを対比させる、なんつ〜のは使い古されてカビが生えていますが、だからこそ古今東西の表現者たちが手を替え品を替え使いまくるんですよね〜。それにしても、それをこのように美しい謳い出しの一連として表現してしまう中島みゆきの才覚、恐るべし。

 どのみち短い 眠りなら
  夢かと紛う 夢をみようよ


主人公の立場は女神、全てを包み込んでくれる優しさに満ちた存在と信じたいのはヤマヤマですが、ちょ〜っと待て待て。この歌詞の『MEGAMI』が与えてくれる安らぎはあくまでも<>であって、しかも<どのみち短い>束の間の安らぎにすぎないということか。まぁそれであっても長い人生、束の間の安らぎが与えてくれる「なにか」がどれほど大切であるかは皆さんよ〜っくご存知ですよね。

 おいでよ
  MEGAMI 受け入れる性
  MEGAMI 暖める性
  己れのための 愛を持たない
  おいでよ
  MEGAMI 受け入れる性
  MEGAMI 暖める性
  みかえり無用の 笑みをあげよう


主人公たる『MEGAMI』の言葉は包み込むように限りなく優しく、これが中島みゆきの歌詞であることが信じがたくすら思えますがw、その限りない優しさは『MEGAMI』の<性=さが>=持って生まれた運命→逃れられない運命であるワケで、この一連に仕込まれた<己れのための 愛を持たない>の一行のなんと寂しさ哀しみに満ちていることでしょうか。包容力やら優しさやらの裏側には共感が存在し、<みかえり無用>でとどまるどころか相手の苦しみをも引き受けてしまうことも少なからずなのであります。この境地に至るまでに主人公はどれほどたくさんの苦しみ悲しみ痛みを引き受けてきたのでしょうか。相談者に共感し過ぎてしまうカウンセラーは、遅かれ早かれ自分の心がヤラれてしまうんですよね〜。

 今日もだれか 哀れな男が
  坂をころげ落ちる
  あたしは すぐ迎えにでかける
  花束を抱いて

  おまえがこんな やさしくすると
  いつまでたっても 帰れない

  遠いふるさとは おちぶれた男の名を
  呼んでなどいないのが ここからは見える
『あぶな坂』1976年)

中島みゆきのファーストアルバムの口開けの『あぶな坂』の2番、この主人公もまた闘いばかりの<哀れな男>に束の間の安らぎを与える存在で、これまた哀しい存在と思えます。その「束の間の安らぎ」が美しくとも醜くとも必須の栄養であること、人生はキビしかりけり。

 あんたの 悪い夢を喰っちまいます
  あんたの 怖い夢を喰っちまいます
  あんたの つらい夢を喰っちまいます
  あんたの 泣いた夢を喰っちまいます
『バクです』2011年)

中国から伝わった伝説の動物:獏(バク)は、日本では悪夢を喰ってくれるとされています。悪夢を喰った獏もまたまことに哀しい存在。

「御乱心の時代」明けのアルバム《グッバイ・ガール》のA面真ん中にこの『MEGAMI』を配した中島みゆきの意図やいかに?



この動画で使っているピアノは100年以上昔、1894年製のアンティークピアノ。このような楽器を使ってこのような曲を弾くのはまことに愉しいです。現代では世間で聞こえる音のほとんどは電気を通していますが、このころに世間で聞こえていた音は生音が主流でした。1877年にエジソンが蓄音機を実用化し、このピアノが作られた1894年にはSPレコードの大量生産ができるようになって、次第に「録音」というシロモノが世間に知られるようになった時代。こんな時代の楽器がどれほど豊かな音世界を伝えていたのか、この動画で使っている楽器は奇跡的にオリジナルほぼそのまま、まさに時代の生き証人です。

2024年8月29日 (木)

1950年ごろ製造 STEINBERG/スタインベルグで、ボエルマンの『インプロヴィゼーション集, op.28』から、第1曲を

戦後おそらく1950年前後と思われる STEINBERG/スタインベルグ(内山楽器製造)で、ボエルマンの『インプロヴィゼーション集, op.28』から、第1曲を弾きました。例によってのピアピットの入庫品でクリーニングと再調整のみ、な〜かなか味わい深い音色ですよ〜。

STEINBERG/スタインベルクは戦前のドイツはベルリンのメーカーですが、この個体はそれとは縁もゆかりもなく、実は日本で主に下請けとしてピアノを製作していた内山楽器製造が製作していたものです。動画内に載せた品番を消した痕(な〜んとなくNo.350と読めそうな気がしませんか?)からして、他メーカーの鋳物フレームを流用した製品と推測できます。

相互の了解のあるなしに関わらずwww部品の流用は頻繁にあった業界ですし、そもそも鋳物フレームの設計・発注なんぞは知識をごっそり持って資本力がある限られたメーカーしかできなかったワケで、右上のブランド名だけを差し替えれば流用できるようにしている設計にしてあるところもまことに興味深いです。このようなメーカー間の提携・流用関係を知る人はあらかたあの世に行ってしまっていることが残念でなりません。

*ピアノ工房ピアピット(千葉県印西市)
ピアノは本気で直せば古いピアノでも必ずよみがえります
http://www.piapit.com/repair.html

参考文献:三浦啓市『日本のピアノメーカーとブランド』
https://www.ankasha.com/books/books2

Léon Boëllmann/ボエルマン(1862-1897)はオルガン方面で有名なフランスの作曲家で、ご多分にもれずにオルガニストでありピアニストでもありました。この『インプロヴィゼーション集, op.28』は良い感じでおふらんすな洒脱さが随所に光る佳作集ですよ〜(・o・ゞ

2024年8月26日 (月)

戦前1938(昭和13)年製 YAMAHA 平臺3號(=No.3, 209cm)で、ブラームスの『ワルツ集, op.39』から第15番を

戦前1938(昭和13)年製、名品として名高く貴重な 日本樂器(現:YAMAHA)平臺3號(=No.3, 209cm)がいつものピアノ工房ピアピットに入庫、調律があまり乱れていなかったので修復前の状態を記録しておきました。曲はご存知ブラームスの『ワルツ集, op.39』から有名な第15番です。オリジナルでは象牙だった鍵盤が貼り替えられているなど、一度どこかでオーバーホールされた形跡はありますが、ものの30分ほどの音出しで戦前のベヒシュタインがごとき鳴りそして気品がよみがえってきてウナらされましたぞ😳

*ピアノ工房ピアピット(千葉県印西市)
ピアノは本気で直せば古いピアノでも必ずよみがえります
http://www.piapit.com/repair.html

日本樂器(現:YAMAHA)は1921(大正10)年からベヒシュタインと提携、1926(大正15)年にベヒシュタインから技師シュレーゲルを招聘しており、1938(昭和13)年製のこの個体がベヒシュタイン系統の方向性であるのは必然と思います。昭和14年のYAMAHAのカタログに載っている平臺3號はこの個体と全く同じ6本脚、脚のつけ根の浮き彫りまで全く一緒ですので、特注品のセンは極めて薄いと思われます。なお、外装の飾り塗装は持ち主がおそらく戦後に地元の職人に依頼したもの、とのことでした😉

2024年8月16日 (金)

YAMAHA U1E 1967年製 で、モシュコフスキーの『4つの楽興の時, op.84』から、第3曲を

YAMAHA/ヤマハのU1E 1967年製の音です。例によってのピアノ工房ピアピットの品物、いかに安定安心のYAMAHAといえども齢55を超えたご老体ですから、ドック入りさせてある程度手を入れることでまた心地よく弾けるようになりますよ〜。この個体は激しく消耗していたわけではなく、クリーニング&再調整で充分でした。

*ピアノ工房ピアピット(千葉県印西市)
ピアノは本気で直せば古いピアノでも必ずよみがえります
https://www.piapit.com/repair.html

モシュコフスキー/Moszkowski(1854-1925)はポーランド出身のユダヤ系ピアニスト、作曲家、指揮者で、有名でカッコいい『15の練習曲/15 Études de virtuositié op.72』の作曲者として知られます。かなりの数のピアノ曲を作曲していますが、数えるほどの曲しか知られていないのがか〜なりもったいない作曲家ですぞ💡

2024年8月 7日 (水)

中島みゆき 作詞/作曲『命のリレー』ピアノソロ:1894年ベーゼンドルファー社製ピアノ(ウィーン式アクション/85鍵)で

中島みゆきの『命のリレー』を、いつもの1894年製アンティークピアノで弾きました(*´-`)

『命のリレー』《夜会VOL.13─24時着 0時発》(2004年1月3日~28日/渋谷・Bunkamuraシアターコクーン)のために作られたオリジナル曲です。クライマックスの第7場「転轍」と最後の「舞台挨拶に替えて」で唄われており、2005年にリリースされたアルバム《転生(TEN-SEI)》に収録されたのは夜会の「舞台挨拶に替えて」と同じバージョンで、歌詞も新たに追加されています。なお、アルバム《転生(TEN-SEI)》《夜会VOL.13─24時着 0時発》のオリジナル曲から11曲をセレクトしたもので、いわばサウンド・トラック盤ともいえるアルバムです。

中島みゆきの作品群で「転生」がかなり重要な位置を占めていることは、ファン歴の浅いワタクシでも容易に感じ取れています。《夜会VOL.13─24時着 0時発》の「24時着 0時発」のタイトルからして「生まれ直す命」への想いがあふれており、まさに『命のリレー』という世界観ですよね〜💡

 ごらん 夜空を星の線路が
  ガラスの笛を吹いて 通過信号を出す
  虫も獣も人も魚も
  透明なゴール目指す 次の宇宙へと繋ぐ


およそ形あるものには必ずゴールがあるものですが、簡潔平易ながらまことに雄大なスケールで表現されてますよね〜。ここで人の生き死にに限らず、人生におけるさまざまな「区切り」そして人生に限らずさまざまな「場面転換」もまた「転生」の機会であることにまで意識を向けたいと思います。

 僕の命を 僕は見えない
  いつのまに走り始め いつまでを走るのだろう
  星も礫も人も木の葉も
  ひとつだけ運んでゆく 次のスタートへ繋ぐ


スタートがあってゴールがあるということ自体は理解できていても、確かにスタート地点もゴールラインも原理的に「点」としては認識できないんですよね〜。「転生」で重要なのは、この<次のスタートへと繋ぐ>という「可能性を意識すること」なのかもしれないのかなぁ・・・とかなんとか。

 本当のことは 無限大にある
  すべて失くしても すべては始まる
『無限・軌道』2004年)

『無限・軌道』《夜会VOL.13─24時着 0時発》のオリジナル曲ですが、<本当のことは 無限大にある>とやはり再出発後の「可能性」を強く強く応援してくれているような気がいたします💡

 望みの糸は切れても
  救いの糸は切れない
  泣き慣れたものは強かろう
  敗者復活戦
『倒木の敗者復活戦』2012年)

この<敗者復活戦>そして<救いの糸は切れない>も同様で、再出発後の「可能性」を高らかに応援していますよね〜。そしてこの『命のリレー』のサビ、個人的な再出発にとどまらずにさまざまな存在が関わり合うことで大きな<願い>を引き継いでゆく、という営みの気高さを謳いあげているようにさえ思わされます。昨今のネット上では結託してdisったり攻撃したりする姿ばかりが異常〜に目につきますが、そんなしょ〜もないことにエネルギー使わないで、協力してイイもの作ろうぜ😤

 この一生だけでは辿り着けないとしても
  命のバトン掴んで 願いを引き継いでゆけ




この動画で使っているピアノは100年以上昔、1894年製のアンティークピアノ。このような楽器を使ってこのような曲を弾くのはまことに愉しいです。現代では世間で聞こえる音のほとんどは電気を通していますが、このころに世間で聞こえていた音は生音が主流でした。1877年にエジソンが蓄音機を実用化し、このピアノが作られた1894年にはSPレコードの大量生産ができるようになって、次第に「録音」というシロモノが世間に知られるようになった時代。こんな時代の楽器がどれほど豊かな音世界を伝えていたのか、この動画で使っている楽器は奇跡的にオリジナルほぼそのまま、まさに時代の生き証人です。

2024年8月 2日 (金)

1976年製 Fritz Kuhla/フリッツクーラ 特製50号で、クレーヴェの『エレジー, op.14-2』を

1976年製のFritz Kuhla/フリッツクーラ 特製50号 でクレーヴェの『Elegie, op.14-2』を弾きました。例によっての ピアピット の気合いイレ過ぎなオーバーホールですぜ(*´-`)

Fritz Kuhla/フリッツクーラは、はアポロピアノで有名な東洋ピアノ製造による上位機種で、高品質の木材を使って丁寧な手作業で作られカッチリした「グランドピアノと比べても遜色ない仕上がり」を標榜していた由。その方向が年月経ってカチンコチンになってしまいましたが、ハンマー交換を含めたしっかりしたオーバーホールで生まれ変わりましたよ〜(*´-`)

*ピアノ工房ピアピット(千葉県印西市)
ピアノは本気で直せば古いピアノでも必ずよみがえります
http://www.piapit.com/repair.html

作曲のHalfdan Cleve/ハルフダン・クレーヴェ(1879−1951)は、ノルウェーのピアニストで作曲家。オルガニストであった父親からかなりのスパルタ教育を受け、神童の名をほしいままにしていたとのこと。ベルリンでかのシャルヴェンカ兄弟に師事しており、数多くのピアノ曲を作曲しています。

2024年7月30日 (火)

KAWAI KU-3 1970年製 で、モシュコフスキーの『愛しき小品集, op.77』から、第3曲『無言歌』を

個人のピアノ修理工房はこだわりがハンパないとこが少なくないですが、このピアノを偏執的探究心のカタマリ(褒め言葉w)をもってして仕上げた埼玉は春日部の「シオンピアノ工房」のこだわりの方向性、包括的理論的論理的かつ極めて明快なところがまことに小気味良いです。無論、技術的にも安定安心最優秀レベルなのは言わずもがな。まさかこのテのピアノがこんなにもイイ感じになるのか〜?! というピアノを見せつけられるのが毎回めっちゃ新鮮です✨  今回のオーバーホール品はこだわりの材料でとことん突き詰めるという方向ではございませんが、それでもここまで追い込んでしまわずにはいられないのがさすがの変態工房(褒め言葉www)

*シオンピアノ工房
http://zionpiano.starfree.jp/

アップライトピアノって、アクション動作の原理からして少し雑に弾く方が表現がしやすい一面があるとワタクシ思っているのですが、この「グランドピアノ風味乗せオプション」のアップライトピアノは全くそうではなくてヤラレました。鍵盤の底に指が進むに従って注意力をガッツリ鋭敏にせねばならぬ、というグランドピアノな感覚で弾かないと弾く感触も音色も表現もまるでダメになってしまうという、弾き手にとってか〜なり厳しい楽器になりやがっていました😅

この「グランドピアノ風味乗せオプション」は物理的にまことに明快な方向なのですが、徹底に徹底を重ねたアクション調整技術を持たぬ技術者には方法を知ったところで手も足も出せないオプションであることも理解。ローマは一日にして成らずで、職人魂という良質で厳密な手作業の積み重ねのみが良い技術者を生み出すんだなぁと改めて感じ入りました。

2024年7月26日 (金)

ETERNA E1H 1972年製 で、デプロスの『2つのアルバムの一葉』から、第1曲を

ETERNA E1H 1972年製で、デプロスの『2つのアルバムの一葉』から第1曲を弾きました。

ETERNA/エテルナはヤマハのOEMブランドの一つです。部品はヤマハの生産ですから精度も品質管理もピカイチ、実はこのようなヤマハOEM生産のブランドにガッツリ手を入れ直すというのはリーズナブルにピアノを楽しむために非常に有効な手口wwwだったりしますよ〜。50年経ってもビクともしないヤマハの筐体も相まって、やたらとイイ感じに仕上がってしまってwます。

*ピアノ工房ピアピット(千葉県印西市)
ピアノは本気で直せば古いピアノでも必ずよみがえります
https://www.piapit.com/repair.html

・デプロス/Anton Deprosse(1838-1878)作曲
『2つのアルバムの一葉』第1曲
デプロス/Anton Deprosseはドイツ語圏の作曲家・ピアニストだったようですが、1838年5月18日にミュンヘンに生まれて、1878年6月23日にベルリンで亡くなっているという情報しか引っ掛からずでした😅💦

2024年7月19日 (金)

1950年ごろ製造 ALEXANDER HERRMANN/アレキサンダー ヘルマンで、カリンニコフの『悲しき歌』を

戦後おそらく1950年前後と思われる アレキサンダー ヘルマン(福山ピアノ社、Material Made in Germany)で、カリンニコフの『悲しき歌』を弾きました。

ALEXANDER HERRMANN/アレキサンダー ヘルマンは20世紀初頭創業のドイツは Sangerhausen(ザンガーハウゼン、旧東ドイツ地域)のメーカーですが、この個体は銘板に「Material Made in Germany」と明記されていまして、実は日本の福山ピアノ社がドイツの本家から部品を輸入して日本で製作していたブランドのようです。まぁこの銘板そのものは英語表記でかつ動詞の「made」まで大文字始まりの「Made」になっているので、日本の職人お得意のコピー技術で本家をマネた可能性大と思いますけどね〜w

フツーに考えればこれはいわゆる「ニセモノ」とか「パチモン」とかで終わってしまいそうなシロモノですが、ちょ〜っと待っていただきたい。少なくともこの個体は曲を弾いた際の余韻がおよそ日本のピアノ製作伝統からかけ離れているとさえ思わせられるような繊細さを持ち合わせていてビックリ、福山ピアノ社が直接指導を受けたうえでその通り真面目に製作していた可能性すら想像できそうな素晴らしさでした😳

動画内に載せた福山ピアノ社カタログの ALEXANDER HERRMANN の項に<独逸最堅牢アレキサンダーヘルマンスケールにより製作せる最高級品><独逸ローイスレンナー会社へ特別注文せる世界的内部弊社直輸入製作品>という表現があり、また福山ピアノ社は1946年に国際水準到達を目標に10年計画を立ててブリュートナーの徹底的な研究・分析に着手したとのことで、あながち伊達や酔狂による誇大広告でもなさそうに思えます(同時に誇大広告華やかなりし時代でもあるので、ナンとも判断しづらいのもホンネw)

*ピアノ工房ピアピット(千葉県印西市)
ピアノは本気で直せば古いピアノでも必ずよみがえります
http://www.piapit.com/repair.html

参考:三浦啓市『日本のピアノメーカーとブランド』
https://www.ankasha.com/books/books2

Vasily Kalinnikov(1866−1901)はロシアの薄命の作曲家です。モスクワ音楽院に入学するも学費が払えず退学、さらにチャイコフスキーに認められるも結核のため南部への転地療養を余儀なくさせられて35歳を目前にして亡くなる・・・というのはなかなかに悲劇的な人生であります。この『悲しき歌』はいかにもロシア民謡な雰囲気を濃厚に備えた佳作ですぞ✨

2024年7月15日 (月)

1932年製のSCHILLER/シラー Style H, Hepplewhite Design で、リスト『La lugubre gondola I/悲しみのゴンドラ第1』を

SCHILLER/シラー Style H, Hepplewhite Design 1932年製 で、リスト(1811-1886)が最晩年(1882年)に作曲した『La lugubre gondola I/悲しみのゴンドラ第1』を弾きました。

例によっての渡辺順一さんのピアピットによる徹底的なオーバーホール品です。ボロボロガタガタだったのをとにかく新品当時に戻すべく、徹底的に観察してガッツリ手を加えてのオーバーホールでじっくりと一年、寸法資料はおろか SCHILLER/シラー社が求めていた楽器としての方向性もナニもかも誰も知らないワケで、無数の部品をイイ感じで機能させるための詳細な観察そしてバランス調整は想像を絶する世界だなぁと思わされました。いやはや、どんな分野でも、多面的重層的に理解している技術者たちってば凄まじい存在ですね〜😳

*ピアノ工房ピアピット(千葉県印西市)
ピアノは本気で直せば古いピアノでも必ずよみがえります
http://www.piapit.com/repair.html

最晩年のリストのピアノ小品は調性を逸脱させようという実験的な試みがなされている・・・というような記述がそれこそそこら中にコピペされてそれで「以上、終了」な印象wを受けますが、ちょ〜っと待っていただきたい。かのワーグナー(1813-1883)が古典的機能和声の崩壊の端緒となったとされる『トリスタンとイゾルデ』を作曲したのは四半世紀も昔の1857年から1859年にかけてですし、リストはワーグナーの作品をさんざんピアノソロ編曲して熟知(我々凡人が想像すらできないレベルで「熟知」していたのも当然ですネ)していたに決まってますし、いまさらナニが「調性を逸脱させようという実験的な試み」だと思うわけで。とは言え、最晩年のピアノ曲はリストの曲としてよく知られている響きとは全く異なる響きに満ちているのもまた確かですけどね〜(・x・ゞ

SCHILLER/シラーは米国イリノイ州はオレゴンのメーカー、1890年頃から1936年まで独立経営でその後 Cable Company と合併し、SCHILLERブランドはそのラインナップの中で最高級品とされてさまざまなスタイルによる「アートケース・ピアノ」を数多く生産していました。なお小さな機種ばかりということもあり、SCHILLERブランドはあくまでも家庭用の最高級品という位置づけであったようです。ネット上で合併前1929年のカタログが発見でき、細部は異なりますが奥行5フィート2インチ(=158cm弱)のStyle H, Hepplewhite Design であろうと判断しました。

この1929年のカタログでは「音響業界がラジオや蓄音機のおかげで著しく発展しているのにピアノ業界は旧態依然としており、唯一、Schiller社だけが例外的に最先端の知見を援用している」という主張をしています。

 <最新のラジオや蓄音機の開発でこのような顕著な発展をもたらしたものと同じ原理が Schiller Super Grand の発音部分にも援用されています。
  他社のグランドピアノとは異なり、シラー社のグランドピアノの響板の振動部分はケースから独立しています。 (ラジオのスピーカーユニットの振動板にも同じアイデアが見られます。)
  その結果、信じられないほどの深みと歌唱力を備えた音色が生まれました。響板がケースとの接触から解放されて振動することで、わずかなタッチに瞬時に反応すると同時に持続的な共鳴が得られています。>(Schiller社カタログ、1929年)

2024年7月12日 (金)

1981年製 DIAPASON 183E-1 グランドピアノ で、ボルトキエヴィチ『10の前奏曲, op.33』から、第3曲 ニ長調を

DIAPASON(ディアパソン)の1981年製 183E-1 グランドピアノで、ボルトキエヴィチ『10の前奏曲, op.33』から、第3曲 ニ長調を弾きました。例によってのピアピットによる再調整品ですぜ(*´-`)

DIAPASON(ディアパソン)はよく知られた国産ピアノで、天才技術者の誉れ高い大橋幡岩氏の高い志を実現すべく製造されたのが始まりです。この動画の楽器は1981年製ですので浜楽商事が販売していた時代の製品、この個体の「ピアノ保証書」に「ディアパソンピアノ」ではなく「デアパソンピアノ」と印刷されていて、この時代の呼称は実は「デアパソン」だったのかいな? とノケぞりました💦

*ピアノ工房ピアピット(千葉県印西市)
ピアノは本気で直せば古いピアノでも必ずよみがえります
http://www.piapit.com/repair.html

Sergei Bortkiewicz(1877-1952)は主にウィーンなどドイツ語圏で活躍したウクライナ生まれの作曲家で、10数年ほど前からようやく再評価されるようになってきました。二度の世界大戦そしてロシア革命に翻弄された激動の人生はすさまじいものですが、その音楽は実にロマンティックかつ濃厚な歌心に満ちています。

2024年7月 5日 (金)

1979年製の KAWAI BL-51 で、フォルクマン「さすらいのスケッチ, op.23」から、第1曲『愉しきさすらい』を

1979年製 KAWAI BL-51 で、フォルクマン「さすらいのスケッチ, op.23」から、第1曲『愉しきさすらい』を弾きました。

KAWAIのBL-51は高さ126cmというアップライトピアノ、ごくスタンダードな型式です。この個体は内部フレームの「BL-51」というロゴの横に「SPECIAL」と印刷されており、前パネルに装飾があってかつチューニングピンが鍍金でピカピカ、というなるほど特別仕様。KAWAIは百貨店販売にも力を入れており、百貨店販売仕様としてこのように「SPECIAL」と差別化していたのでした〜👌

*ピアノ工房ピアピット(千葉県印西市)
ピアノは本気で直せば古いピアノでも必ずよみがえります
http://www.piapit.com/repair.html

Volkmann/フォルクマンは現ドイツのザクセン州の教会音楽家のもとに生まれ、主にブダペストで作曲家として活躍していました。晩年にはリストが院長であったブダペスト王立音楽アカデミーで、和声法と対位法の教授を務めていました

さてこの作品、原題は「Wanderskizzen」で直訳すると「旅の素描」てな感じになりますが、1850年ごろのドイツ語圏で「Wandern」はロマン主義の影響で自然を愛してその中で心の安らぎや啓示を求めるような、単なる移動を超えた精神的な活動とみなされることがあり、やはり「旅」ではなく「さすらい」を採用して「さすらいのスケッチ」ですね〜。そして、この第1曲『Gemüthliches Wandern』で「Gemüthlich」は「心地よい」「のんびりとした」ですから、『愉しきさすらい』でしょう😉

2024年6月29日 (土)

中島みゆき 作詞/作曲『バラ色の未来』ピアノソロ:1894年ベーゼンドルファー社製ピアノ(ウィーン式アクション/85鍵)で

中島みゆきの『バラ色の未来』を、いつもの1894年製アンティークピアノで弾きました(*´-`)

『バラ色の未来』は1994年にリリースされたアルバム《LOVE OR NOTHING》の3曲めです。中島みゆきなのに『バラ色の未来』を唄うとはこれいかに・・・ですが、やはりさすがさすがのヒネった解釈てんこ盛りで、希望と幸福に満ちたバラ色の未来な歌詞を想像すると見事に裏切られるのがいつもながらサイコーですぞ💡

 今より未来のほうが きっと良くなっていくと
  教えられたから ただ待っている
  星はまたたいて笑う 星はころがって笑う 今夜、月のかげに入る


なにしろ歌い出しがコレですから、一気に社会風刺感満載でございますな。立ち止まって冷徹に考え直せば、陰謀論者ならずとも<バラ色の未来>なんつ〜シロモノは誰かに操作され仕組まれた虚像、という一面は否定しづらかろうと思います。もちろん<教えられたから ただ待っている>という側にも問題は大アリで、自分に都合良い<>の存在を期待するだけでナニも行動しないのでは、<>に笑われて消え去られるのがオチですわな。今(2024年6月末)は東京都知事選挙の阿鼻叫喚wのまっ最中、この曲に込められているメッセージの現実感が不必要なまでに高まってしまうのは東京都民ゆえの事情で御免😅

 だれかが耳うちをしている だれかが誘いをかけてる
  あなたも幸せになりたいでしょうと
  だれかがあなたの手をとって だれかがあなたの目を閉じて
  未来はバラ色ですと言う


これねぇ、昔からずっっっと言われてきているシャレにならん指摘なのですが、なかなか実感として届かないんですよ〜。人民ひとりひとりの力は弱いので団結せねば権力に太刀打ちできないのですが、団結から外れて抜け駆けすれば<未来はバラ色です>、と手を替え品を替え甘言を弄して切り崩しにかかる権力の狡猾さよ。あなたも幸せになりたいでしょう>とかなんとか利益を誘導して人心を掌握するのは権力の常、貧しいところに雀の涙の補助金をぶら下げれば投票行動を変えさせられるのですから、まぁ人民なんてちょろいモンなんでしょね〜😑

 わかってる 未来はまだ遥か遠くて届くまでに
  まだ何千年もかかると
  僕は僕に手紙を書く
  僕にあてて手紙を書く


ここに記されている<未来>とは<バラ色の未来>のことでしょうね。<バラ色の未来>があると信じてただ待っていた昔の僕に、<(バラ色の)未来はまだ遥か遠くて届くまでに まだ何千年もかかる>のだし待っていちゃダメだぞ、と今の主人公は昔の僕に手紙を書きたいのでしょうか。ですが過去の自分を変えることはできず、この手紙は永遠に届かないんですよね〜。後悔先に立たず😓

さて続けて、中島みゆきは情け容赦なくたたみかけてきます。ここの間奏が妙に短いのは、たたみかけるために必要だったのでしょか。

 だれもまだ見たことがない バラ色をまだ見たことがない
  これだと言われたらそうかなと思う
  しだいにそれじゃなきゃイヤだと思い込むようになって
  それがないのがつらくなる


これはね〜ホントにね〜、全くもってド正論で厳し〜いですわ。将来に来たるべき<バラ色>は他者にお膳立てされるものでは決してなく、<バラ色>を作り上げるのは自分自身に他ならないのでありま〜す。まぁね、自分で彩りから何から何までも決めなければならぬ<バラ色>なんて大変ですし不確かですし、他者にお膳立てされれば楽ですし、それに慣れてお膳立てされた環境を<バラ色>だと思い込むのが幸せへの切符であることもまた確かだったり。この一連、この曲に込められたメッセージのキモだと心得ました。

さて『バラ色の未来』の入ったアルバム《LOVE OR NOTHING》がリリースされたのは1994年10月、それから半年もしない翌1995年3月20日にオウム真理教による地下鉄サリン事件が起こります。そうかそうか、<未来はバラ色ですと言う>のは時の権力ばかりではないのでありました。この歌に予言的な意味があったか否かには興味はないですが、人生にはいくらでも<バラ色>の誘惑ってぇヤツは口を開けて待ち構えているんですよね〜。

あの、その、ホレ、この楽器を買えば<未来はバラ色です>とか、このカメラを買えば<未来はバラ色です>とか、このレンズを買えば<未来はバラ色です>とか、この模型を買えば<未来はバラ色です>とか、この工具を買えば<未来はバラ色です>とか、この万年筆を買えば<未来はバラ色です>とか、いやはや、詰まるところ人生の悪魔なんつ〜シロモノは他ならぬ自分が招き寄せているという自業自得。買ったときは<未来はバラ色>なんだけどなぁ、とほほほ😭

なんだか盛大に脱線したような気もしますがw、初心忘るるべからず、思い出そうぜ!

 教えてよ 僕の憧れてたあの頃
  バラの色はどんな色だったというのか
  僕は僕に手紙を書く
  僕にあてて手紙を書く




この動画で使っているピアノは100年以上昔、1894年製のアンティークピアノ。このような楽器を使ってこのような曲を弾くのはまことに愉しいです。現代では世間で聞こえる音のほとんどは電気を通していますが、このころに世間で聞こえていた音は生音が主流でした。1877年にエジソンが蓄音機を実用化し、このピアノが作られた1894年にはSPレコードの大量生産ができるようになって、次第に「録音」というシロモノが世間に知られるようになった時代。こんな時代の楽器がどれほど豊かな音世界を伝えていたのか、この動画で使っている楽器は奇跡的にオリジナルほぼそのまま、まさに時代の生き証人です。

2024年6月28日 (金)

1990年製 KAWAI CX-5 で、キール「若き日々の点描, op.1」から第4曲『歌』を

1990年製 KAWAI CX-5 で、キール「若き日々の点描, op.1」から第4曲『歌』を弾きました。

KAWAIのCX-5は高さわずか105cmという超小型アップライトピアノです(左奥の普通のアップライトとの高さの差が歴然ですね〜)。小さなアップライトピアノはデザイン重視で音は二の次と思われがちですが、さすがの1990年当時の大手国産メーカーの製品で基本構造がしっかりしていたためか、経年による熟成のためか案外と木の箱の響きが豊かになっていてびっくりでした。例によってのピアピットの再調整品、激安らしいw

*ピアノ工房ピアピット(千葉県印西市)
ピアノは本気で直せば古いピアノでも必ずよみがえります
http://www.piapit.com/repair.html

作曲のFriedrich Kiel(1821−1885)はシューマンの11歳年下でブラームスの12歳年上です。例のごとくで多くの作品を出版しており、主に器楽曲の作曲家として名を馳せました。資料上ナゼか「op.1」が2作品あってノケぞりましたが、まぁ昔のこと、いろんなことが起こっても不思議はないのかなぁ・・・とかなんとか。土砂降りの雨音が盛大に入ってしまっていて御免w(・o・ゞ

2024年6月21日 (金)

遠州楽器制作株式会社 ENSCHU E150 新品で、ブラムバッハ『カンツォネッタ, op.69-3』を

遠州楽器制作株式会社は、日本の新しいピアノメーカーです。かつて日本では浜松を中心として百社以上のピアノメーカーがありましたが、現在は最大手以外はほとんど全滅して日本のピアノ制作の伝統が途絶えてしまったかに見えますが、ぎりぎりのところで踏みとどまったのが何よりも嬉しいことと思います。MADE IN HAMAMATSU の誇りを持って、安かろう悪かろうでなく「柔らかく美しい音色のピアノ」を作り続けようというその意気や良し!

・遠州楽器制作株式会社:
https://enschu-gakki.co.jp/

Carl Joseph Brambach(1833−1902)はドイツのボン近郊に生まれケルンの音楽院で学び、生涯をほぼボンでの作曲と音楽生活に専念しました。例によってほぼ完っ全に忘れられていますが適度に複雑で飽きずに聴きやすく美しい曲を多数生み出しておりますよ〜。土砂降りの雨音が盛大に入ってしまっていて御免w(・o・ゞ

2024年6月19日 (水)

戦後1950(昭和25)年製 YAMAHA No.20(170cm)で、ドビュッシーの『Rêverie/夢』を

戦後1950(昭和25)年製、名品として名高く今となってはなかなかお目にかかれなくなった YAMAHA No.20, 170cmがいつものピアピットに入庫、調律がさほど乱れていなかったので修復前の状態を記録しておきました。非常に魅力たっぷりの音色を備えていますがしばらく放置されていたためさすがにアクションの動きはか〜なり重ったるく低音ももっさり😅、それでも1時間ちょいの音出しで低音のもっさり感がまぁそこそこ解消できてホッ。

1950(昭和25)年はYAMAHAが戦後初のフルコンサートグランドFC型を完成させた年で、この No.20 はその少し前の製造番号がつけられています。まだ連合軍による占領は続いておりましたが朝鮮戦争による特需もあって戦後復興にはずみがついたタイミングでもあり、YAMAHAは翌1951(昭和26)年末にレーモンドのデザインによるYAMAHA銀座店を完成させています。なお、鍵盤蓋のYAMAHAのロゴ含め外装の飾り塗装は特注ではなく、持ち主が購入後地元の職人に依頼して行ったらしい、とのことでした😉

*ピアノ工房ピアピット(千葉県印西市)
ピアノは本気で直せば古いピアノでも必ずよみがえります
http://www.piapit.com/repair.html

『Rêverie/夢』は、Claude Debussy(1862-1918)の初期の名品とされて演奏される機会も非常に多いですね〜。ただこの曲は比較的単純な音の重ね方で夢見心地な雰囲気を出さねばならんので、実はテンポ設定がか〜なり難しいんですわ。まぁ曲の最初に「Andantino sans lenteur」と記されていますから、少なくともモタモタする印象を受けるような弾き方は得策でないだろうなぁ・・・とかなんとか💦

2024年6月14日 (金)

戦前1938(昭和13)年製 YAMAHA 平台3號(=No.3, 209cm)で、デュボワの『Rêverie-prélude/夢想的前奏曲, op.12』を

戦前1938(昭和13)年製、名品として名高く貴重な YAMAHA 平台3號(=No.3, 209cm)で、デュボワの『Rêverie-prélude/夢想的前奏曲, op.12』です。例によってのピアピット 入庫品、調律があまり乱れていなかったので修復前の状態を記録しておきました。オリジナルでは象牙だった鍵盤が貼り替えられているなど、一度どこかでオーバーホールされた形跡はありますが、ものの30分ほどの音出しで戦前のベヒシュタインがごとき鳴りそして気品がよみがえってきてウナらされましたぞ。決して高くないお値段ですぜ。急げ〜😎

YAMAHAは1921(大正10)年からベヒシュタインと提携、1926(大正15)年にベヒシュタインから技師シュレーゲルを招聘しており、1938(昭和13)年製のこの個体がベヒシュタイン系統の方向性であるのは必然と思います。昭和14年のYAMAHAのカタログに載っている平台3號はこの個体と全く同じ6本脚、脚のつけ根の浮き彫りまで全く一緒ですので、特注品のセンは極めて薄いと思われます。なお、外装の飾り塗装は持ち主がおそらく戦後に地元の職人に依頼したもの、とのことでした(*´-`)

*ピアノ工房ピアピット(千葉県印西市)
ピアノは本気で直せば古いピアノでも必ずよみがえります
http://www.piapit.com/repair.html

作曲のThéodore Dubois(1837−1924)は1896年からパリ音楽院院長を務めておりオルガンと作曲の世界ではそれなりの知名度はありますが、その他の世界ではほぼ顧みられない存在となってしまいました。『Rêverie-prélude』の邦題を柔かくしゃれてみるのも一興ですが、今回はカチッと『夢想的前奏曲』としました。ベヒシュタインの技術が存分に活かされていた時代の透徹で見通しの良い響きがイイですよ〜✨

2024年6月12日 (水)

Dallmeyer Dallon telephoto lens Series VI No.1AA 6inch F5.6 & NEX-3@水元公園花しょうぶ園

東京は今年初の夏日になったようですが、ウチからほど近い水元公園は広い水面と豊かな緑のおかげで都心よりおそらく2度以上涼しかったのでは👌

か〜なりひさびさに、SONY NEX-3 におそらく1925年前後製の英國はDallmeyer社製:Dallon telephoto lens Series VI No.1AA F5.6, 6inch をくっつけて遊んでみましたです。たまに陽射しがかげったので、曇ったタイミングと晴れたタイミングとの両方とも撮れたのはなかなかの収穫でございました✌️

f11 1/200sec. (ISO400) 2024.6.12.
 Camera: SONY NEX-3
 Lens: Dallmeyer Dallon telephoto lens Series VI No.1AA 6inch F5.6
Dsc09785

f11 1/500sec. (ISO400) 2024.6.12.
 Camera: SONY NEX-3
 Lens: Dallmeyer Dallon telephoto lens Series VI No.1AA 6inch F5.6
Dsc09791

Dallmeyer Dallon telephoto lens Series VI No.1AA F5.6, 6inch & SONY NEX-3
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«戦後1950(昭和25)年製 YAMAHA No.20(170cm)で、デュボワの『Rêverie-prélude/夢想的前奏曲, op.12』を

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