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2024年7月19日 (金)

1950年ごろ製造 ALEXANDER HERRMANN/アレキサンダー ヘルマンで、カリンニコフの『悲しき歌』を

戦後おそらく1950年前後と思われる アレキサンダー ヘルマン(福山ピアノ社、Material Made in Germany)で、カリンニコフの『悲しき歌』を弾きました。

ALEXANDER HERRMANN/アレキサンダー ヘルマンは20世紀初頭創業のドイツは Sangerhausen(ザンガーハウゼン、旧東ドイツ地域)のメーカーですが、この個体は銘板に「Material Made in Germany」と明記されていまして、実は日本の福山ピアノ社がドイツの本家から部品を輸入して日本で製作していたブランドのようです。まぁこの銘板そのものは英語表記でかつ動詞の「made」まで大文字始まりの「Made」になっているので、日本の職人お得意のコピー技術で本家をマネた可能性大と思いますけどね〜w

フツーに考えればこれはいわゆる「ニセモノ」とか「パチモン」とかで終わってしまいそうなシロモノですが、ちょ〜っと待っていただきたい。少なくともこの個体は曲を弾いた際の余韻がおよそ日本のピアノ製作伝統からかけ離れているとさえ思わせられるような繊細さを持ち合わせていてビックリ、福山ピアノ社が直接指導を受けたうえでその通り真面目に製作していた可能性すら想像できそうな素晴らしさでした😳

動画内に載せた福山ピアノ社カタログの ALEXANDER HERRMANN の項に<独逸最堅牢アレキサンダーヘルマンスケールにより製作せる最高級品><独逸ローイスレンナー会社へ特別注文せる世界的内部弊社直輸入製作品>という表現があり、また福山ピアノ社は1946年に国際水準到達を目標に10年計画を立ててブリュートナーの徹底的な研究・分析に着手したとのことで、あながち伊達や酔狂による誇大広告でもなさそうに思えます(同時に誇大広告華やかなりし時代でもあるので、ナンとも判断しづらいのもホンネw)

*ピアノ工房ピアピット(千葉県印西市)
ピアノは本気で直せば古いピアノでも必ずよみがえります
http://www.piapit.com/repair.html

参考:三浦啓市『日本のピアノメーカーとブランド』
https://www.ankasha.com/books/books2

Vasily Kalinnikov(1866−1901)はロシアの薄命の作曲家です。モスクワ音楽院に入学するも学費が払えず退学、さらにチャイコフスキーに認められるも結核のため南部への転地療養を余儀なくさせられて35歳を目前にして亡くなる・・・というのはなかなかに悲劇的な人生であります。この『悲しき歌』はいかにもロシア民謡な雰囲気を濃厚に備えた佳作ですぞ✨

2024年7月15日 (月)

1932年製のSCHILLER/シラー Style H, Hepplewhite Design で、リスト『La lugubre gondola I/悲しみのゴンドラ第1』を

SCHILLER/シラー Style H, Hepplewhite Design 1932年製 で、リスト(1811-1886)が最晩年(1882年)に作曲した『La lugubre gondola I/悲しみのゴンドラ第1』を弾きました。

例によっての渡辺順一さんのピアピットによる徹底的なオーバーホール品です。ボロボロガタガタだったのをとにかく新品当時に戻すべく、徹底的に観察してガッツリ手を加えてのオーバーホールでじっくりと一年、寸法資料はおろか SCHILLER/シラー社が求めていた楽器としての方向性もナニもかも誰も知らないワケで、無数の部品をイイ感じで機能させるための詳細な観察そしてバランス調整は想像を絶する世界だなぁと思わされました。いやはや、どんな分野でも、多面的重層的に理解している技術者たちってば凄まじい存在ですね〜😳

*ピアノ工房ピアピット(千葉県印西市)
ピアノは本気で直せば古いピアノでも必ずよみがえります
http://www.piapit.com/repair.html

最晩年のリストのピアノ小品は調性を逸脱させようという実験的な試みがなされている・・・というような記述がそれこそそこら中にコピペされてそれで「以上、終了」な印象wを受けますが、ちょ〜っと待っていただきたい。かのワーグナー(1813-1883)が古典的機能和声の崩壊の端緒となったとされる『トリスタンとイゾルデ』を作曲したのは四半世紀も昔の1857年から1859年にかけてですし、リストはワーグナーの作品をさんざんピアノソロ編曲して熟知(我々凡人が想像すらできないレベルで「熟知」していたのも当然ですネ)していたに決まってますし、いまさらナニが「調性を逸脱させようという実験的な試み」だと思うわけで。とは言え、最晩年のピアノ曲はリストの曲としてよく知られている響きとは全く異なる響きに満ちているのもまた確かですけどね〜(・x・ゞ

SCHILLER/シラーは米国イリノイ州はオレゴンのメーカー、1890年頃から1936年まで独立経営でその後 Cable Company と合併し、SCHILLERブランドはそのラインナップの中で最高級品とされてさまざまなスタイルによる「アートケース・ピアノ」を数多く生産していました。なお小さな機種ばかりということもあり、SCHILLERブランドはあくまでも家庭用の最高級品という位置づけであったようです。ネット上で合併前1929年のカタログが発見でき、細部は異なりますが奥行5フィート2インチ(=158cm弱)のStyle H, Hepplewhite Design であろうと判断しました。

この1929年のカタログでは「音響業界がラジオや蓄音機のおかげで著しく発展しているのにピアノ業界は旧態依然としており、唯一、Schiller社だけが例外的に最先端の知見を援用している」という主張をしています。

 <最新のラジオや蓄音機の開発でこのような顕著な発展をもたらしたものと同じ原理が Schiller Super Grand の発音部分にも援用されています。
  他社のグランドピアノとは異なり、シラー社のグランドピアノの響板の振動部分はケースから独立しています。 (ラジオのスピーカーユニットの振動板にも同じアイデアが見られます。)
  その結果、信じられないほどの深みと歌唱力を備えた音色が生まれました。響板がケースとの接触から解放されて振動することで、わずかなタッチに瞬時に反応すると同時に持続的な共鳴が得られています。>(Schiller社カタログ、1929年)

2024年7月12日 (金)

1981年製 DIAPASON 183E-1 グランドピアノ で、ボルトキエヴィチ『10の前奏曲, op.33』から、第3曲 ニ長調を

DIAPASON(ディアパソン)の1981年製 183E-1 グランドピアノで、ボルトキエヴィチ『10の前奏曲, op.33』から、第3曲 ニ長調を弾きました。例によってのピアピットによる再調整品ですぜ(*´-`)

DIAPASON(ディアパソン)はよく知られた国産ピアノで、天才技術者の誉れ高い大橋幡岩氏の高い志を実現すべく製造されたのが始まりです。この動画の楽器は1981年製ですので浜楽商事が販売していた時代の製品、この個体の「ピアノ保証書」に「ディアパソンピアノ」ではなく「デアパソンピアノ」と印刷されていて、この時代の呼称は実は「デアパソン」だったのかいな? とノケぞりました💦

*ピアノ工房ピアピット(千葉県印西市)
ピアノは本気で直せば古いピアノでも必ずよみがえります
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Sergei Bortkiewicz(1877-1952)は主にウィーンなどドイツ語圏で活躍したウクライナ生まれの作曲家で、10数年ほど前からようやく再評価されるようになってきました。二度の世界大戦そしてロシア革命に翻弄された激動の人生はすさまじいものですが、その音楽は実にロマンティックかつ濃厚な歌心に満ちています。

2024年7月 5日 (金)

1979年製の KAWAI BL-51 で、フォルクマン「さすらいのスケッチ, op.23」から、第1曲『愉しきさすらい』を

1979年製 KAWAI BL-51 で、フォルクマン「さすらいのスケッチ, op.23」から、第1曲『愉しきさすらい』を弾きました。

KAWAIのBL-51は高さ126cmというアップライトピアノ、ごくスタンダードな型式です。この個体は内部フレームの「BL-51」というロゴの横に「SPECIAL」と印刷されており、前パネルに装飾があってかつチューニングピンが鍍金でピカピカ、というなるほど特別仕様。KAWAIは百貨店販売にも力を入れており、百貨店販売仕様としてこのように「SPECIAL」と差別化していたのでした〜👌

*ピアノ工房ピアピット(千葉県印西市)
ピアノは本気で直せば古いピアノでも必ずよみがえります
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Volkmann/フォルクマンは現ドイツのザクセン州の教会音楽家のもとに生まれ、主にブダペストで作曲家として活躍していました。晩年にはリストが院長であったブダペスト王立音楽アカデミーで、和声法と対位法の教授を務めていました

さてこの作品、原題は「Wanderskizzen」で直訳すると「旅の素描」てな感じになりますが、1850年ごろのドイツ語圏で「Wandern」はロマン主義の影響で自然を愛してその中で心の安らぎや啓示を求めるような、単なる移動を超えた精神的な活動とみなされることがあり、やはり「旅」ではなく「さすらい」を採用して「さすらいのスケッチ」ですね〜。そして、この第1曲『Gemüthliches Wandern』で「Gemüthlich」は「心地よい」「のんびりとした」ですから、『愉しきさすらい』でしょう😉

2024年6月29日 (土)

中島みゆき 作詞/作曲『バラ色の未来』ピアノソロ:1894年ベーゼンドルファー社製ピアノ(ウィーン式アクション/85鍵)で

中島みゆきの『バラ色の未来』を、いつもの1894年製アンティークピアノで弾きました(*´-`)

『バラ色の未来』は1994年にリリースされたアルバム《LOVE OR NOTHING》の3曲めです。中島みゆきなのに『バラ色の未来』を唄うとはこれいかに・・・ですが、やはりさすがさすがのヒネった解釈てんこ盛りで、希望と幸福に満ちたバラ色の未来な歌詞を想像すると見事に裏切られるのがいつもながらサイコーですぞ💡

 今より未来のほうが きっと良くなっていくと
  教えられたから ただ待っている
  星はまたたいて笑う 星はころがって笑う 今夜、月のかげに入る


なにしろ歌い出しがコレですから、一気に社会風刺感満載でございますな。立ち止まって冷徹に考え直せば、陰謀論者ならずとも<バラ色の未来>なんつ〜シロモノは誰かに操作され仕組まれた虚像、という一面は否定しづらかろうと思います。もちろん<教えられたから ただ待っている>という側にも問題は大アリで、自分に都合良い<>の存在を期待するだけでナニも行動しないのでは、<>に笑われて消え去られるのがオチですわな。今(2024年6月末)は東京都知事選挙の阿鼻叫喚wのまっ最中、この曲に込められているメッセージの現実感が不必要なまでに高まってしまうのは東京都民ゆえの事情で御免😅

 だれかが耳うちをしている だれかが誘いをかけてる
  あなたも幸せになりたいでしょうと
  だれかがあなたの手をとって だれかがあなたの目を閉じて
  未来はバラ色ですと言う


これねぇ、昔からずっっっと言われてきているシャレにならん指摘なのですが、なかなか実感として届かないんですよ〜。人民ひとりひとりの力は弱いので団結せねば権力に太刀打ちできないのですが、団結から外れて抜け駆けすれば<未来はバラ色です>、と手を替え品を替え甘言を弄して切り崩しにかかる権力の狡猾さよ。あなたも幸せになりたいでしょう>とかなんとか利益を誘導して人心を掌握するのは権力の常、貧しいところに雀の涙の補助金をぶら下げれば投票行動を変えさせられるのですから、まぁ人民なんてちょろいモンなんでしょね〜😑

 わかってる 未来はまだ遥か遠くて届くまでに
  まだ何千年もかかると
  僕は僕に手紙を書く
  僕にあてて手紙を書く


ここに記されている<未来>とは<バラ色の未来>のことでしょうね。<バラ色の未来>があると信じてただ待っていた昔の僕に、<(バラ色の)未来はまだ遥か遠くて届くまでに まだ何千年もかかる>のだし待っていちゃダメだぞ、と今の主人公は昔の僕に手紙を書きたいのでしょうか。ですが過去の自分を変えることはできず、この手紙は永遠に届かないんですよね〜。後悔先に立たず😓

さて続けて、中島みゆきは情け容赦なくたたみかけてきます。ここの間奏が妙に短いのは、たたみかけるために必要だったのでしょか。

 だれもまだ見たことがない バラ色をまだ見たことがない
  これだと言われたらそうかなと思う
  しだいにそれじゃなきゃイヤだと思い込むようになって
  それがないのがつらくなる


これはね〜ホントにね〜、全くもってド正論で厳し〜いですわ。将来に来たるべき<バラ色>は他者にお膳立てされるものでは決してなく、<バラ色>を作り上げるのは自分自身に他ならないのでありま〜す。まぁね、自分で彩りから何から何までも決めなければならぬ<バラ色>なんて大変ですし不確かですし、他者にお膳立てされれば楽ですし、それに慣れてお膳立てされた環境を<バラ色>だと思い込むのが幸せへの切符であることもまた確かだったり。この一連、この曲に込められたメッセージのキモだと心得ました。

さて『バラ色の未来』の入ったアルバム《LOVE OR NOTHING》がリリースされたのは1994年10月、それから半年もしない翌1995年3月20日にオウム真理教による地下鉄サリン事件が起こります。そうかそうか、<未来はバラ色ですと言う>のは時の権力ばかりではないのでありました。この歌に予言的な意味があったか否かには興味はないですが、人生にはいくらでも<バラ色>の誘惑ってぇヤツは口を開けて待ち構えているんですよね〜。

あの、その、ホレ、この楽器を買えば<未来はバラ色です>とか、このカメラを買えば<未来はバラ色です>とか、このレンズを買えば<未来はバラ色です>とか、この模型を買えば<未来はバラ色です>とか、この工具を買えば<未来はバラ色です>とか、この万年筆を買えば<未来はバラ色です>とか、いやはや、詰まるところ人生の悪魔なんつ〜シロモノは他ならぬ自分が招き寄せているという自業自得。買ったときは<未来はバラ色>なんだけどなぁ、とほほほ😭

なんだか盛大に脱線したような気もしますがw、初心忘るるべからず、思い出そうぜ!

 教えてよ 僕の憧れてたあの頃
  バラの色はどんな色だったというのか
  僕は僕に手紙を書く
  僕にあてて手紙を書く




この動画で使っているピアノは100年以上昔、1894年製のアンティークピアノ。このような楽器を使ってこのような曲を弾くのはまことに愉しいです。現代では世間で聞こえる音のほとんどは電気を通していますが、このころに世間で聞こえていた音は生音が主流でした。1877年にエジソンが蓄音機を実用化し、このピアノが作られた1894年にはSPレコードの大量生産ができるようになって、次第に「録音」というシロモノが世間に知られるようになった時代。こんな時代の楽器がどれほど豊かな音世界を伝えていたのか、この動画で使っている楽器は奇跡的にオリジナルほぼそのまま、まさに時代の生き証人です。

2024年6月28日 (金)

1990年製 KAWAI CX-5 で、キール「若き日々の点描, op.1」から第4曲『歌』を

1990年製 KAWAI CX-5 で、キール「若き日々の点描, op.1」から第4曲『歌』を弾きました。

KAWAIのCX-5は高さわずか105cmという超小型アップライトピアノです(左奥の普通のアップライトとの高さの差が歴然ですね〜)。小さなアップライトピアノはデザイン重視で音は二の次と思われがちですが、さすがの1990年当時の大手国産メーカーの製品で基本構造がしっかりしていたためか、経年による熟成のためか案外と木の箱の響きが豊かになっていてびっくりでした。例によってのピアピットの再調整品、激安らしいw

*ピアノ工房ピアピット(千葉県印西市)
ピアノは本気で直せば古いピアノでも必ずよみがえります
http://www.piapit.com/repair.html

作曲のFriedrich Kiel(1821−1885)はシューマンの11歳年下でブラームスの12歳年上です。例のごとくで多くの作品を出版しており、主に器楽曲の作曲家として名を馳せました。資料上ナゼか「op.1」が2作品あってノケぞりましたが、まぁ昔のこと、いろんなことが起こっても不思議はないのかなぁ・・・とかなんとか。土砂降りの雨音が盛大に入ってしまっていて御免w(・o・ゞ

2024年6月21日 (金)

遠州楽器制作株式会社 ENSCHU E150 新品で、ブラムバッハ『カンツォネッタ, op.69-3』を

遠州楽器制作株式会社は、日本の新しいピアノメーカーです。かつて日本では浜松を中心として百社以上のピアノメーカーがありましたが、現在は最大手以外はほとんど全滅して日本のピアノ制作の伝統が途絶えてしまったかに見えますが、ぎりぎりのところで踏みとどまったのが何よりも嬉しいことと思います。MADE IN HAMAMATSU の誇りを持って、安かろう悪かろうでなく「柔らかく美しい音色のピアノ」を作り続けようというその意気や良し!

・遠州楽器制作株式会社:
https://enschu-gakki.co.jp/

Carl Joseph Brambach(1833−1902)はドイツのボン近郊に生まれケルンの音楽院で学び、生涯をほぼボンでの作曲と音楽生活に専念しました。例によってほぼ完っ全に忘れられていますが適度に複雑で飽きずに聴きやすく美しい曲を多数生み出しておりますよ〜。土砂降りの雨音が盛大に入ってしまっていて御免w(・o・ゞ

2024年6月19日 (水)

戦後1950(昭和25)年製 YAMAHA No.20(170cm)で、ドビュッシーの『Rêverie/夢』を

戦後1950(昭和25)年製、名品として名高く今となってはなかなかお目にかかれなくなった YAMAHA No.20, 170cmがいつものピアピットに入庫、調律がさほど乱れていなかったので修復前の状態を記録しておきました。非常に魅力たっぷりの音色を備えていますがしばらく放置されていたためさすがにアクションの動きはか〜なり重ったるく低音ももっさり😅、それでも1時間ちょいの音出しで低音のもっさり感がまぁそこそこ解消できてホッ。

1950(昭和25)年はYAMAHAが戦後初のフルコンサートグランドFC型を完成させた年で、この No.20 はその少し前の製造番号がつけられています。まだ連合軍による占領は続いておりましたが朝鮮戦争による特需もあって戦後復興にはずみがついたタイミングでもあり、YAMAHAは翌1951(昭和26)年末にレーモンドのデザインによるYAMAHA銀座店を完成させています。なお、鍵盤蓋のYAMAHAのロゴ含め外装の飾り塗装は特注ではなく、持ち主が購入後地元の職人に依頼して行ったらしい、とのことでした😉

*ピアノ工房ピアピット(千葉県印西市)
ピアノは本気で直せば古いピアノでも必ずよみがえります
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『Rêverie/夢』は、Claude Debussy(1862-1918)の初期の名品とされて演奏される機会も非常に多いですね〜。ただこの曲は比較的単純な音の重ね方で夢見心地な雰囲気を出さねばならんので、実はテンポ設定がか〜なり難しいんですわ。まぁ曲の最初に「Andantino sans lenteur」と記されていますから、少なくともモタモタする印象を受けるような弾き方は得策でないだろうなぁ・・・とかなんとか💦

2024年6月14日 (金)

戦前1938(昭和13)年製 YAMAHA 平台3號(=No.3, 209cm)で、デュボワの『Rêverie-prélude/夢想的前奏曲, op.12』を

戦前1938(昭和13)年製、名品として名高く貴重な YAMAHA 平台3號(=No.3, 209cm)で、デュボワの『Rêverie-prélude/夢想的前奏曲, op.12』です。例によってのピアピット 入庫品、調律があまり乱れていなかったので修復前の状態を記録しておきました。オリジナルでは象牙だった鍵盤が貼り替えられているなど、一度どこかでオーバーホールされた形跡はありますが、ものの30分ほどの音出しで戦前のベヒシュタインがごとき鳴りそして気品がよみがえってきてウナらされましたぞ。決して高くないお値段ですぜ。急げ〜😎

YAMAHAは1921(大正10)年からベヒシュタインと提携、1926(大正15)年にベヒシュタインから技師シュレーゲルを招聘しており、1938(昭和13)年製のこの個体がベヒシュタイン系統の方向性であるのは必然と思います。昭和14年のYAMAHAのカタログに載っている平台3號はこの個体と全く同じ6本脚、脚のつけ根の浮き彫りまで全く一緒ですので、特注品のセンは極めて薄いと思われます。なお、外装の飾り塗装は持ち主がおそらく戦後に地元の職人に依頼したもの、とのことでした(*´-`)

*ピアノ工房ピアピット(千葉県印西市)
ピアノは本気で直せば古いピアノでも必ずよみがえります
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作曲のThéodore Dubois(1837−1924)は1896年からパリ音楽院院長を務めておりオルガンと作曲の世界ではそれなりの知名度はありますが、その他の世界ではほぼ顧みられない存在となってしまいました。『Rêverie-prélude』の邦題を柔かくしゃれてみるのも一興ですが、今回はカチッと『夢想的前奏曲』としました。ベヒシュタインの技術が存分に活かされていた時代の透徹で見通しの良い響きがイイですよ〜✨

2024年6月12日 (水)

Dallmeyer Dallon telephoto lens Series VI No.1AA 6inch F5.6 & NEX-3@水元公園花しょうぶ園

東京は今年初の夏日になったようですが、ウチからほど近い水元公園は広い水面と豊かな緑のおかげで都心よりおそらく2度以上涼しかったのでは👌

か〜なりひさびさに、SONY NEX-3 におそらく1925年前後製の英國はDallmeyer社製:Dallon telephoto lens Series VI No.1AA F5.6, 6inch をくっつけて遊んでみましたです。たまに陽射しがかげったので、曇ったタイミングと晴れたタイミングとの両方とも撮れたのはなかなかの収穫でございました✌️

f11 1/200sec. (ISO400) 2024.6.12.
 Camera: SONY NEX-3
 Lens: Dallmeyer Dallon telephoto lens Series VI No.1AA 6inch F5.6
Dsc09785

f11 1/500sec. (ISO400) 2024.6.12.
 Camera: SONY NEX-3
 Lens: Dallmeyer Dallon telephoto lens Series VI No.1AA 6inch F5.6
Dsc09791

Dallmeyer Dallon telephoto lens Series VI No.1AA F5.6, 6inch & SONY NEX-3
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2024年6月11日 (火)

戦後1950(昭和25)年製 YAMAHA No.20(170cm)で、デュボワの『Rêverie-prélude/夢想的前奏曲, op.12』を

戦後1950(昭和25)年製、名品として名高く今となってはなかなかお目にかかれなくなった YAMAHA No.20, 170cm で、デュボワの『Rêverie-prélude/夢想的前奏曲, op.12』を弾きました。例によってのピアピット入庫品、調律がさほど乱れていなかったので修復前の状態を記録、アクションの動きはかなり重ったるく低音ももっさりしていましたが😅、1時間ちょいの音出しで低音のもっさり感がまぁそこそこ解消できてホッ。決して高くないお値段ですぜ。急げ〜😎

1950(昭和25)年はYAMAHAが戦後初のフルコンサートグランドFC型を完成させた年で、この No.20 はその少し前の製造です。翌1951(昭和26)年末にレーモンドのデザインによるYAMAHA銀座店を完成させています。なお、鍵盤蓋のYAMAHAのロゴ含め外装の飾り塗装は特注ではなく、持ち主が購入後地元の職人に依頼した、とのことでした😉

*ピアノ工房ピアピット(千葉県印西市)
ピアノは本気で直せば古いピアノでも必ずよみがえります
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作曲の Théodore Dubois(1837−1924)は1896年からパリ音楽院院長を務めておりオルガンと作曲の世界ではそれなりの知名度はありますが、その他の世界ではほぼ顧みられない存在となってしまいました。『Rêverie-prélude』の邦題を柔かくしゃれてみるのも一興ですが、今回はカチッと『夢想的前奏曲』としました。

2024年6月 7日 (金)

サティ会@国分寺

ひっさびさに国分寺でサティ会に通りすがり〜

Img_4325

この写真と並ぶツーショットはまことにウケが良く、いきなり撮影怪となったのでありました。帽子はモチっと目深にかぶるべきだったか😛

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2024年6月 2日 (日)

プラチナ22K万年筆分解

本日は某ピアピットでまんまと再開させられてしまった萬年筆&インク沼をちょ〜っとだけ。まぁ実態は簡〜単な金属工作ですがね〜🍵

確か母方の叔父さんからの中学就学祝だったプラチナ22K萬年筆のショートが出土。コレ、中学三年間学ランの胸ポケットにずっと挿していたものですが、高校生になって私服になったこともあって全く使わなくなったのでした💦

40年以上経っていればできるものなら分解掃除するのが礼儀でございまして、早速YouTube検索。分解工具の作り方はYouTubeで簡単に発見、イイ時代ですわ😎



ナゼか持ってた外径6mmの真鍮パイプの糸ノコ加工をいそいそと。

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幅2mm弱で高さ1mmちょいの出っぱりができれば充分なので、切断はわずかに4ヶ所、まぁ数分もかからずに瞬殺でござ〜い。

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さすがにインクが固着していてバラバラにするのには少し手間がかかりましたけどね〜🤣

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2024年6月 1日 (土)

戦前ベルリン製の HAGSPIEL 145cm で、シューマンの「ユーゲントアルバム, op.68」から、第13曲『5月、親愛なる5月よ ー もうすぐ君がまた来てくれる!』を

戦前ベルリン製の HAGSPIEL 145cm で、シューマンの「ユーゲントアルバム, op.68」から、第13曲『5月、親愛なる5月よ ー もうすぐ君がまた来てくれる!』を弾きました。

この個体の奥行きはとっても小さい145cmで鍵盤数は85鍵、鍵盤蓋に「HAGSPIEL / Berlin」という表記がありますが、HAGSPIELを調べてみてもベルリンではなくドレスデンのHagspiel & Comp.がいくつか出てくるのみで、ベルリンの情報は全く存在せず。ケース内側に「Supplied by Harrods Ltd. London No.H66259」というプレートがあったためロンドンのHarrodsにも問い合わせましたが、残念ながら情報は皆無。6本脚デザインを併せて考えると戦前1930年前後の逸品ではなかろうかと推定できますが、残念ながら全く確証はございませんです。そこら中が動かずでホコリだらけな状態でしたが、例によってのピアピットがバッチリ手を加えた結果、1ヶ月ちょいで素晴らしい音色がよみがえりましたぞ✨

*ピアノ工房ピアピット(千葉県印西市)
ピアノは本気で直せば古いピアノでも必ずよみがえります
http://www.piapit.com/repair.html

実は唯一、中国のHAGSPIELのサイト(2015年以降更新なし)が検索に引っかかり、Brand Story として英語サイトに「初代は1845年からイタリアで修行して1851年にベルリンで創業、ピアニストや音楽愛好家とのコミュニケーションを通じて飛躍を遂げ、質的に厳格であるために生産量を年間1000台に制限、第二次大戦を避けるためにフロリダにわたり・・・」とかなんとかまことしやかにしかもエラく詳〜細に書かれていてぶっ飛んだんですよ〜。

1980年代に多くのドイツ名門ピアノブランドが中国資本に買い漁られてしまったという現実もございまして、もしやコレがベルリンのHAGSPIELの成れの果てか? とも一瞬思って色めき立ちましたが、考え直しました。1845年当時ピアノ製作の最先端はパリ(プレイエルやエラールがゴリゴリに頑張っていた時代ですぞ)で、イタリアには修行できるような目ぼしいメーカーはございません。ドイツ語サイトに載っている歴史写真の数々が他メーカーの盗用なことも判明し、まぁスタインウェイの2年前の1851年を創業としたのは頑張ったなwwwとも思いましたが、この中国HAGSPIELの歴史資料はまぁ捏造とみなすのが賢明でしょうね〜🫢

シューマン/Robert Schumann(1810−1856)の「ユーゲントアルバム, op.68」は、子どものためのアルバムを標榜しつつも案外と容赦ない内容がぶっ込まれていたりします。この第13曲『5月、親愛なる5月よ ー もうすぐ君がまた来てくれる!』は「ユーゲントアルバム」の中でも飛び抜けて充実していて、子供のためのアルバムのレベルを圧倒的に超えため〜っちゃオトナな曲です。しかもな〜んと、ちょうど良く曲の後半で鳥がさえずってくれているんですよ〜👌

2024年5月27日 (月)

中島みゆき 作詞/作曲『噂』ピアノソロ:1894年ベーゼンドルファー社製ピアノ(ウィーン式アクション/85鍵)で

中島みゆきの『噂』を、いつもの1894年製アンティークピアノで弾きました(*´-`)

『噂』は1986年にリリースされたシングル《あたいの夏休み/噂》のB面の曲で、シングルのみでアルバムには入っていないというワリとレアな曲です。世の中には案外と「B面マニア」が根強く存在していまして、そんな方々の中でこの曲もまた知る人ぞ知るクセ曲であるようですぞ〜💡

 答えづらいことを無理に訊くから 嘘をついてしまう ひねくれちまう
  ほら すれ違いざま飛礫のように 堅気女たちの ひそひそ話


主人公はどうやら堅気でないようで、そりゃ〜<答えづらいこと>ばかりでしょうよ。そして「ひとの口に戸は立てられぬ」と申しまして、一度広まってしまった噂は真偽を問わず止められないんですな。堅気でない女の宿命ではあるのでしょうが、それでも恋というヤツは容赦無く人を落とすのでしょう。な〜んという因果。

 悪いことばかり信じるのね 観たがるのは告白
  あなただけは世界じゅうで 刑事じゃないといってよ


イヤなことや悪いことは見なけりゃいい、無視すりゃいい、放っておきゃいい・・・というのはまぁご無理ごもっともではございまするが、これって実は心がか〜なり強くなけりゃできやしないんですよね。ブロックしてるイヤなヤツに対して、見なきゃイイのにそいつが書き込んでるのを見つけるまで検索し続けてしまうとか、誰しも思い当たるフシがあるのではないでしょうか😅💦

 外は5月の雨 噂の季節 枝のように少し あなたが揺れる

五月雨(さみだれ)は「しとしとと降り続く雨のようにダラダラと続いてしまう状況」を表す比喩表現で実は<5月の雨>ではなく梅雨の長雨なのですが、まさか中島みゆきがそれを知らぬハズはなく、一般人に対してわかりやすいイメージを使ったのだろうなぁと。噂がくすぶっていてそれで心が揺れてしまう<あなた>の描写で、これぞ中島みゆきのレトリック。5月の雨>という単語を使って言い知れぬ不安を描き出すという、まぁフツーっちゃフツーなのですが、まことに美しいです

 噂なんて きっかけにすぎない
  どこかで この日を待ち望んでたあなたを知ってる


・・・い〜やちょっと待てぃ。このどんでん返しも中島みゆきらしいっちゃらしいですが、ど〜しようもなく卑怯なダメ男ですやん。堅気でない女の周辺にうごめく男どもなんてぇヤツらはそんなもんだろうなと思いつつ、肝心なところで逃げを打つのは女ではなく男の方、という図式も確かにあるんですよね〜。悪い噂に便乗して別れる口実を作りたがっている卑怯な男、わりとそのへんにフツーに転がっていそうな😑

 私たちの歌を酒場は歌う 気の毒な男と 猫かぶり女
  目撃者は増える 1時間ごと あなたは気にしだす 半時間ごと


酒場で隣り合うワケあり風情な男女の姿、それを横目で気にしつつ興味シンシンな傍観者たち、そして周りを気にするのは男の方ばかりなり。絵に描いたような緊張感ですねん。

 何もなかったと言えば 疑う心に火を注ぐ
  何かあったとからかえば ほらやっぱりとうなずくの


いやはや、コレ、まさに教科書的(ナンの教科書だろw)な疑心暗鬼の構造ですね〜。「疑う」という心はまったくもって始末に追えないシロモノで、疑いを晴らそうとすればするほど「ほらやっぱり隠してる」となりますし、それを面倒と思ってテキトーに肯定とも否定ともつかぬようにしたところで「ほらやっぱりそうなんだ」となるんですわ。疑心暗鬼がいったん発動してしまうと、疑っている方は知ってか知らでか「ほらやっぱり」という疑っている内容の裏づけばかりを欲しがるようになって、真実を知りたいという気持ちがどこかにすっ飛んでしまうんですよね〜。

 外は5月の雨 どこへ行こうか 少し疑ってる男を捨てて

主人公は堅気でない女、そんなことには慣れっこだし自分の方から捨ててやるわよっ・・・と強がってはみたところで、そんなことは心にもないのはバレバレですな。はすっぱで軽いフリをして<どこへ行こうか>とうそぶいてみても未練タラタラ、まぁそれは相手の男にしても似たようなモンなのでしょうね〜。げにヤヤこしきは男女の仲なり😅

 外は5月の雨 どこへ行こうか 疑いたがってる男を捨てて



この動画で使っているピアノは100年以上昔、1894年製のアンティークピアノ。このような楽器を使ってこのような曲を弾くのはまことに愉しいです。現代では世間で聞こえる音のほとんどは電気を通していますが、このころに世間で聞こえていた音は生音が主流でした。1877年にエジソンが蓄音機を実用化し、このピアノが作られた1894年にはSPレコードの大量生産ができるようになって、次第に「録音」というシロモノが世間に知られるようになった時代。こんな時代の楽器がどれほど豊かな音世界を伝えていたのか、この動画で使っている楽器は奇跡的にオリジナルほぼそのまま、まさに時代の生き証人です。

2024年5月24日 (金)

1968年製の YAMAHA U3E 木地ナチュラル仕上で、シベリウス「6つのバガテル, op.97」から第5曲『即興曲』を

1968年製の YAMAHA U3E で、シベリウスの「6つのバガテル, op.97」から第5曲『即興曲』を弾きました。例によってのピアピットによる品物です(*´-`)

1968年は昭和43年ですからピアノ業界に限らず日本全体が活気に満ちていた時代、合板を積極的に使う前の時代で、この個体も黒塗装の下に見事な美しい木目が隠れていました。そこで茶色くカスタム塗装仕上げの予定を変更、クリア塗装をかけて木地ナチュラル仕上としたとのこと✨

*ピアノ工房ピアピット(千葉県印西市)
ピアノは本気で直せば古いピアノでも必ずよみがえります
http://www.piapit.com/repair.html

シベリウスが若い頃に打ち込んだのはヴァイオリンで、かなり遅くまでピアノ自体を持っていませんでした(アップライトは持っていたと思いたいのですが定かではなし)。しかも「ピアノ曲はお金のために作曲したんだよね〜」とかいう自身のつぶやきwが記録されており、それが全てではないにしても興味深い事実。それにしてもシベリウスという人類の歴史に残る名作曲家がピアノという楽器からどうやって音色や雰囲気を引き出そうかと熟考して世に出した作品の数々ですからどれも小洒落ていまして、この曲はなるほどシベリウスだと納得の佳曲ですよ〜(・o・ゞ

2024年5月20日 (月)

1932年製のSCHILLER/シラー Style H, Hepplewhite Design で、マクダウェル「森のスケッチ, op.51」から第3曲『懐かしき思い出の場所で』を

1929年製の SCHILLER/シラー Style H: Hepplewhite Design で、マクダウェルの「森のスケッチ, op.51」から第3曲『懐かしき思い出の場所で』を弾きました。

例によっての渡辺順一さんのピアピットによる徹底的なオーバーホール品です。ボロボロガタガタだったのをとにかく新品当時に戻すべく、徹底的に観察してガッツリ手を加えてのオーバーホールでじっくりと一年、寸法資料はおろか SCHILLER/シラー社が求めていた楽器としての方向性もナニもかも誰も知らないワケで、無数の部品をイイ感じで機能させるための詳細な観察そしてバランス調整は想像を絶する世界だなぁと思わされました。いやはや、どんな分野でも、多面的重層的に理解している技術者たちってばホントに凄まじい存在ですね〜😳

SCHILLER/シラーは米国イリノイ州はオレゴンのメーカー、1890年頃から1936年まで独立経営でその後 Cable Company と合併し、SCHILLERブランドはそのラインナップの中で最高級品とされてさまざまなスタイルによる「アートケース・ピアノ」を数多く生産していました。なお小さな機種ばかりということもあり、SCHILLERブランドはあくまでも家庭用の最高級品という位置づけであったようです。ネット上で合併前1929年のカタログが発見でき、細部は異なりますが奥行5フィート2インチ(=158cm弱)のStyle H, Hepplewhite Design であろうと判断しました。

この1929年のカタログでは「音響業界がラジオや蓄音機のおかげで著しく発展しているのにピアノ業界は旧態依然としており、唯一、Schiller社だけが例外的に最先端の知見を援用している」という主張をしています。

<最新のラジオや蓄音機の開発でこのような顕著な発展をもたらしたものと同じ原理が Schiller Super Grand の発音部分にも援用されています。
 他社のグランドピアノとは異なり、シラー社のグランドピアノの響板の振動部分はケースから独立しています。 (ラジオのスピーカーユニットの振動板にも同じアイデアが見られます。)
 その結果、信じられないほどの深みと歌唱力を備えた音色が生まれました。響板がケースとの接触から解放されて振動することで、わずかなタッチに瞬時に反応すると同時に持続的な共鳴が得られています。>(Schiller社カタログ、1929年)

*ピアノ工房ピアピット(千葉県印西市)
ピアノは本気で直せば古いピアノでも必ずよみがえります
http://www.piapit.com/repair.html

マクダウェルはアメリカの生んだ代表的作曲家、この「森のスケッチ」はインディアンの音楽を素材としてアメリカ的なものを目指してはいますが、ドイツロマン派っぽい雰囲気満載ですね〜。このSchiller社のピアノは繊細に響く弱音のふくよかさそして伸びが絶品で、懐かしき思い出の場所=若き日の密やかなデートをじんわりかみしめるこの曲の良さを十全に引き出せている気がします👌

2024年5月17日 (金)

八ヶ岳リードオルガン美術館所蔵、キンボール社1900年代初頭製らしき豪華棚付きリードオルガンで「Le trésor des chapelles」第24巻『Morceaux religieux, op.25』から、第4曲「Communion」を

昨年2023年8月末に「八ヶ岳リードオルガン美術館」所蔵のアメリカはキンボール社の名器、おそらく20世紀初頭に作られた豪華棚付きリードオルガン(9ストップ)を使わせていただきました。「八ヶ岳リードオルガン美術館」は小海線の甲斐小泉駅からワリと急な坂道を20分ほど登った別荘地の一角にある瀟洒な建物で、所狭しとリードオルガンやらハルモニウムやらが並んでいて試奏もできる素敵な場所です。ココはけっこう前から気になっていたのですが、コレほど大切な場所をなんとなく後回しにしていた自分ってばほんっっっと見る目がないなぁ💦

Le trésor des chapelles」は1864〜1865年になんと30冊も刊行された、小さめのオルガンまたはハルモニウムのための曲集です。当時、教会が増えてオルガン奏楽者の需要が高まっていたにも関わらずそのために必要な安価で難しくない曲集はまだまだ足りていなかったようで、それを解消するべく一挙に30冊もの作品集を刊行した見識、素晴らしいと思います。30冊全てが作曲家でありオルガニストでもある作者の手による作品集で、実用的にも文句なかったことでしょう。

Le trésor des chapelles」の第24巻は Édouard Schluty(1826-1866) なる作曲者による曲集で Morceaux religieux, op.25 と題されていおり、この動画はその四曲目の Communion です。Édouard Schluty は、フランス南部アルザス地方のPézenas/ペズナの教会のオルガニストを1851年から1866年に短い生涯を終えるまで努めており、その作品が弟の Jean Joseph Schluty(1829-1920) が1828年に寄稿した作品の中に1曲引用されています。Édouard Schluty はこの第24巻を見る限り美しい作品を生み出せる霊感に恵まれた作曲家に思え、弟がその早すぎる死を悼んで1曲引用した・・・というのはいかにもありそうに思えます。



このキンボール社のリードオルガンは1900年前後に北米で隆盛を極めていた豪華棚付きリードオルガンの生き残り。小学校低学年の授業で使われていた程度の楽器、というリードオルガンのイメージとは全く異なる堂々たる楽器です。管楽器や歌唱のイメージは「レガート」という表現に取り組む上で必要不可欠。リードオルガンは管楽器かつ持続音を得意とする楽器で、しかも空気を足踏みペダルで送るのですから工夫次第で強弱表現が可能、というかなり楽しい楽器です。素直で温かくしかも演奏者の悪知恵w次第で管楽器としての多種多彩な表現ができる魅力は、一部の世界だけに留めさせるにはあまりにも惜しい世界です。

2024年5月16日 (木)

1979年製の KAWAI BL-82 で、クサヴァー・シャルヴェンカ「子どものためのアルバム, op.62」から、第4曲『舟歌』を

1979年製 KAWAI BL-82 で、クサヴァー・シャルヴェンカ「子どものためのアルバム, op.62」から、第4曲『舟歌』を弾きました。

KAWAIのBL-82は高さ132cmという大型アップライトピアノ、これはローズウッド仕上げなのでBL-82Rという型式なようです。さすがの大手国産メーカーの製品で基本構造がしっかりしておりますが、45年も経った個体ですからある程度きちんと手を入れることは必須、例によってのピアピットが頑張ってくれましたですよ〜👌

*ピアノ工房ピアピット(千葉県印西市)
ピアノは本気で直せば古いピアノでも必ずよみがえります
http://www.piapit.com/repair.html

Xaver Scharwenka/クサヴァー・シャルヴェンカ(1850-1924)はポーランド系ドイツ人で、フィリップ・シャルヴェンカ(1847-1917)の弟です。兄弟ともに大変な才能に恵まれ、作曲家そして教育者として活躍していました(・o・ゞ

2024年5月 5日 (日)

柏木真樹ヴァイオリン教室、大発表会2日め

柏木真樹ヴァイオリン教室の2日にわたる大発表会2日め第一部終了、本日は三曲1時間半近く弾くのみならず、譜めくり三曲2時間近くという暴挙💪💪💪

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豊洲シビックホールのファツィオリはけっこうデカく弾いても弦楽器を塗りつぶさないので、なかなか快適なのですぞ👌

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