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カテゴリー「音楽>メーカー>Bösendorfer」の42件の記事

2019年10月 7日 (月)

中島みゆき 作詞/作曲『伝説』ピアノソロ:1894年ベーゼンドルファー社製ピアノ(ウィーン式アクション/85鍵)で

中島みゆきの『伝説』を、いつもの1894年製アンティークピアノで弾きました。

この『伝説』は1996年に発売されたアルバム《パラダイス・カフェ》の2曲めに収録されています。元々は1994年の映画『四十七人の刺客』(監督:市川崑)のために作られたのですが、すでに別の曲の起用が決まっていたことでお蔵入りとなってしまった曲です。このエピソード、なんだかこの曲の詩と相通じるような気がしませんか?

 風につづるしかなかった手紙 あなただけは読んで
  雪でつくるしかなかった形見 あなただけを抱いて
  記された文(ふみ)だけがこの世に残ってゆく
  形ある物だけがすべてを語ってゆく
  叫べども あがけども だれがそれを知るだろう
  だれも だれも だれも……
  (だれも だれも だれも……)>


>や<>を使うのは中島みゆきの常套手段で、やはり十勝平野ど真ん中の帯広で青春を送り感性を育んだ環境あればこそでしょう。風も雪も人間ごときの力では太刀打ちできないほどに強大な相手なのですが、過ぎ去ってしまえば嘘だったかのように跡形もなく消えてしまうこともまた同じ(被害ばかりが残ることもまた同じか(^^;;;)自分ごときの存在なんて広大な宇宙の中ではどれほどのものでもない、という意識に人知れず心乱れつつせめて被害ぐらいは与えたいモンですが、いやいやいやw

この曲ってタイトルとして『伝説』という言葉がつけられているのに、実際に詠われているのは残る伝説ではなく風や雪のように消えてしまう方の伝説、というのがなかなかのねじれっぷりですね。まぁ消えてしまう存在であってもてめぇは叫んであがいて精一杯生きねばならぬのが世の常でございまして、なんとも切ないです。そう感じないで人生を送れるようなおめでたさが羨ましくなることもありますが、それはそれでまたフクザツな人生であるという現実もあり。

この詩の<あなた>とは想いびとでも自分の理解者でもなんでもいいですが、とにかく<あなた>という存在を乞い願う気持ちは自分がただ消えるだけでない何か生きている証(=実感)を乞い願う気持ちなのでしょう。人間とは一個の孤独な存在なのは確かですが、本当に孤独になってしまうと生き続けるのは不可能であります。消える伝説も残る伝説もございますが、残る伝説であっても分野が違えば気にも留められないのが当然のことでして。それにかかわらず、全てのひとの生きざまは『伝説』にふさわしい存在なのです。存在自体が消えてしまうことは断じてございませぬぞ (`・ω・´)

 100億の人々が
  忘れても 見捨てても
  宇宙の掌の中
  人は永久欠番
『永久欠番』1991年)

2019年8月 7日 (水)

中島みゆき 作詞/作曲『愛が私に命ずること』ピアノソロ:1894年ベーゼンドルファー社製ピアノ(ウィーン式アクション/85鍵)で

中島みゆきの『愛が私に命ずること』を、いつもの1894年製ベーゼンドルファーで弾きました。

この『愛が私に命ずること』は2008年に公開されたミュージカル『SEMPO~日本のシンドラー杉原千畝物語』のために書き下ろされ、翌年2009年に発売されたアルバム《DRAMA!》の5曲めに収録されています。このアルバム《DRAMA!》は、ミュージカル『SEMPO 〜日本のシンドラー 杉原千畝物語〜』に提供した曲から選んだ前半6曲と、夜会 VOL.15『〜夜物語〜元祖・今晩屋』(2008年 - 2009年)、夜会 VOL.16『〜夜物語〜本家・今晩屋』(2009年)で歌われた書き下ろし曲から選んだ後半7曲との計13曲からなっています。

 すべて愛が私たちに命ずることなら
  ためらいはしない
  怖れもなく 後も見ず 歩いてゆけるだろう

朗々とした唄い出しにふさわしく、強靭で格好イイ決意表明ですね〜。他の者の言いなりにならず、あくまでも<>のみに従う、と。字面だけでも充分に格好イイのですが、この曲はミュージカルのための音楽ですから、主人公の人となりを併せて怪釈しなくちゃです (`・ω・´)

ミュージカル『SEMPO~日本のシンドラー杉原千畝物語』で描かれている杉原千畝(すぎはらちうね/1900-1986)は、第二次世界大戦中リトアニアに赴任していた際に、ナチスの迫害により欧州各地から逃れてきた難民たちに外務省からの訓令に反して1940年7月から8月にかけて大量の通過査証を発給したことで知られています。官僚組織とはどんなに冷酷な決定でも官僚個々人の罪悪感なしに粛々とコナせてしまう、という一面がありますよね。まぁそれぞれにお立場もご都合もございますし、それに対する評価をとやかく申し上げるのはヤボ。少なくとも、当時の杉原千畝氏にとっては本省からの「行先国の入国許可手続を完了し、旅費および本邦滞在費などの携帯金を有する者にのみに査証を発給せよ」という指示は<愛と違うものが命ずること>だったのでしょう。そして難民に対する人道的感情が<愛が私に命ずること>であったのでしょう。2番の唄い出しはナルホドさすがな対語法(・o・ゞ

 もしも愛と違うものが命ずることなら
  従いはしない
  立ち塞がる悲しみや痛みを見据えても

誰しも好き好んで難民になるはずはございません。同じく、本省の官僚も単なる意地悪で難民に対する通過査証の発給を拒絶したはずもなく、ただ発給条件の通りにせよという指示をしただけだったことでしょう。万人に等しく絶対的な正義は存在しませんし、同時に万人に等しい愛も与えるのは不可能であります。かなりの紆余曲折を経て、杉原千畝氏の日本政府による公式の名誉回復はようやく2000年のこと。生誕100年の節目であったのは偶然でしょうか。

 ある朝 誰の国と名付けられても
  王冠は日暮れには転がるもの

島国日本にいる我々にとってこの感覚は普通ではないと思いますが、多民族入り乱れ混血も進んでいる大陸では当たり前の感覚です。絶対的な安全も正邪もそもそも存在しないのであれば絶対的な規範もまた存在しないこととなり、これはめっっっちゃ不安ですよね〜。そのため、例えば自分の中に規範を設けようとしてそれが「愛」となったり、自分の外に規範を設けようとしてそれが「神」となったりするのではないでしょうか(そこに「権力」という奴がひそむとヤヤこしいのですが、それは別のハナシw)規範がブレて他の者の甘い言葉についノってしまうと残念な結果になる・・・こんな例には枚挙にいとまがありませんが、それでも人間ってヤツは弱いモンでしてねぃ。う〜む(・o・ゞ

 さまよう民となって離れるときも
  2つのかけら遠く呼び合うだろう
  誰の救けもらえたなら 私たちは寄り添うだろう

たとえ難民となって祖国を離れても、心は常に祖国とともにあり。かのショパン(1810-1849)は祖国ポーランドを離れて二度と戻れませんでしたが、ショパンの音楽は強烈な愛国心に満たされたものでした。大国のはざまで翻弄され続けたポーランドの民の愛国心とは、日本人にはおよそ想像を絶するほど強く固いものであったことでしょう。まさに強靭な<>そのものであります。<ショパンの作品は、花のかげに隠れた大砲である(シューマン)

それと同時に、この<2つのかけら遠く呼び合うだろう>は、中島みゆきのライフワークである『夜会』のテーマ曲とされている『二隻の舟』の世界観に直結しています。

 敢えなくわたしが 波に砕ける日には
  どこかでおまえの舟が かすかにきしむだろう
  それだけのことで わたしは海をゆけるよ
  たとえ舫い綱は切れて 嵐に飲まれても『二隻の舟』1989年)

このように「ともに歩めなくても艱難辛苦を超えて幸せに!」と相手の幸せを願い続けるには、それぞれを大きく包み込み結びつけて「より大きく幅広いひとつ」にするなにかが共有できていないと不可能なこと(そう言えば「隻」という漢字は「ひとつの」という意味を持っていますね)それはそれで素晴らしく尊いのですが、やはりそれだけでなく物理的wに寄り添いたいと願うのが人情。そのためには、やはりなにかしらの<救け(たすけ)>が必要なのがいわゆる社会というものなんだろうなぁと。現代に生きる我々にとって、この<救け>ってますます大切になってきている気がしませんか?

2019年7月29日 (月)

吴 祖强・杜 鸣心『水草舞』(バレエ《魚美人》のための音楽から)を、1894年ベーゼンドルファー社製ピアノ(ウィーン式アクション/85鍵)で

文化大革命前夜の1959年に北京で初演されたバレエ《魚美人》のための音楽から『水草舞』を、ウィーンアクションの1894年製ベーゼンドルファーで弾きました。

バレエ《魚美人》のための音楽は、戦後にソビエト連邦のチャイコフスキー音楽院で作曲を学んで北京の中央音楽院で教鞭をとったエリート作曲家、吴 祖强/Wu Zuqiang(1927- )と、杜 鸣心/Du Mingxin(1928- )の合作です。バレエ《魚美人》は民間伝承に基づいた作品で、1959年に北京で初公開されました。古典的なバレエ構造を参考にして中国の神話を表現しようとする試みで製作され、中国の民族舞踊の素材を幅広く吸収し、表現方法やキャラクターの特性を革新し、中国のダンスドラマの発展に貢献した重要な作品とのことです。

このバレエ《魚美人》のための音楽はなかなかの名曲ぞろいで、単独で演奏される曲も少なくありません。そのなかでもこの『水草舞』は、いかにもそれらしい雰囲気と東洋人である我々日本人にとってすぐわかる中国情緒に溢れたまことに美しいピアノ曲です。こんな美しい曲、中国国内だけにとどめておくのはもったいないですぜよ (・o・

まぁ、100年前に作られたウィーンのピアノで現代中国のピアノ曲を演奏する必然は全く全然これっぽっちもwございませんが。狭量なオリジナル絶対至上主義は偉大な方々wにお任せいたしましょう。どうぞお楽しみくださいませ〜! ヽ( ̄▽ ̄)ノ

2019年7月 7日 (日)

中島みゆき 作詞/作曲『鷹の歌』ピアノソロ:1894年ベーゼンドルファー社製ピアノ(ウィーン式アクション/85鍵)で

中島みゆきの『鷹の歌』を、いつもの1894年製ベーゼンドルファーで弾きました。

この『鷹の歌』は2010年に発売されたアルバム《真夜中の動物園》所収。中島みゆきにしてはかなり単純な曲調ですが、この曲調がむしろ堂々たる「鷹」のイメージに見事に合致していると思います。詩もかなり簡潔で、とても一部分を取り上げられるようなものではない気がします。

 あなたは杖をついて  ゆっくりと歩いて来た
  見てはいけないようで  私の視線はたじろいだ
  あなたはとても遅く  身体を運んでいた
  まわりの人はみんな  いたわりの手を差しのべた
  鷹と呼ばれていた人が
  這うように命を運ぶ
  「見なさい」  あなたの目が
  「見なさい」  私を見た
  「怖れるなかれ  生きることを」
  鷹の目が  見つめて来た


「鷹」を「誇り高き存在の象徴」と例えるのは、ごく普通のことでしょう。すなはち「老いた鷹」とは、身体こそ衰えて意のままにならなくなってしまっても誇りを失わずに堂々とした存在。周囲は限りないリスペクトを老いた鷹に捧げるも、悲しいかな、老いとは残酷なもの。

 鷹と呼ばれていた人が
  這うように命を運ぶ


大空を悠然と翔けていたはずなのに、今となっては<這うように>というありさまに。しかし、それを受け入れねばならぬのが人生。なんともやるせないことですが、死ぬまで<命を運ぶ>のがさだめ/運命ですね。ホント、この二行の印象の強さといったらもう、グッと来ますよ〜。しかも、その老いた鷹がたじろいだ私に<「見なさい」「怖れるなかれ 生きることを」>と、これは強烈ですね。中島みゆきは、老いを詠う詩の一つである『傾斜』で・・・

 のぼれども のぼれども
  どこへも着きはしない そんな気がしてくるようだ
『傾斜』1982年)

と老いの一つの特質を衝いていますが、それでも、ひとりひとりの人生を裏打ちしているのは各人の「誇り」ではないでしょうか。まぁ無論、ホンモノの鷹を目の当たりにしてしまうとたじろいで視線をそらしてしまうのも無理はございませんが。ハイすんません、ワタクシにも思い当たるフシが数限りなく(・x・ゞ

さて二番。

 世界は変わってゆく  あなたはいつもそれの
  変えてはならないことを  つよく叫び続けて来た
  世界は変わってゆく  あなたを嘲笑いながら
  私はあなたの歌を  痛々しく聴き返す
  灰色の翼は痩せて
  かすれた鳴き声をあげて
  「見なさい」  あなたの目が
  「見なさい」  私を見た
  「命を超えて続くものを」
  鷹の目が  叫んでいた


いま現在、社会が加速度的に「おかしく」なっているような感覚を持っている人は少なくないだろうと思います。この違和感はあまりにも漠然としているために論理立てて説明するのは困難なこと、それがためにいわゆる「エビデンス」を求められたとたんに口をつぐまざるを得ないんですよね。コレ、自分が世界に嘲笑われた瞬間とも言えようかと思います。・・・はて、鷹が叫び続けてきた<変えてはならないこと>とは・・・そうです。命を超えて続くものに他なりませんね。

科学技術も医療も目覚ましい発達を始めたのはわずかに百数十年程度昔のこと、この動画で使っているベーゼンドルファーのピアノは1894年製ですから、まさにその時代の楽器です。まだまだ解明できないことだらけで音楽に呪術的な意味が多分に残っていた時代に作られた楽器ですからそもそも「持っているモノ」が現代の楽器とは全く異なり、入手してからけっこうな年月が経ちますが、いまだにこんなに不可思議な音が出てくるのか! と驚かされることが少なくありません。このベーゼンドルファーが作られた19世紀末のウィーンと言えば、クリムト(1862-1918)が活躍していた時代でもあり、その当時の美意識がこのピアノに吹き込まれていたのは想像に難くないでしょう。芸術や思想とはまさに<命を超えて続くもの>であり、それはゴッホ(1853-1890)の例を挙げるまでもなく、生前に世間に知られたかどうかとは無関係です!

 街は回ってゆく 人1人消えた日も
  何も変わる様子もなく 忙しく忙しく先へと
  ・・・(中略)・・・
  100億の人々が
  忘れても 見捨てても
  宇宙の掌の中
  人は永久欠番
『永久欠番』1991年)

老いた鷹は生涯の終わりが近いことを知っているのでしょう。老兵は消え去るのみとも申しますが、それでも自分の歩みを変えず(変えてもイイ気もしますがネw)に命を超えて続くものを伝え続けてこその「生き様」であります (`・ω・´)

 あなたは停まりもせず  そのまま歩いてゆく
  面倒な道ばかりを  あえて歩き続けてゆく
  私は自分を恥じる  あなたを思って恥じる
  ラクな道へ流れくだる  自分の安さを恥じる
  鷹と呼ばれていた人が
  這うように命を運ぶ
  「見なさい」  あなたの目が
  「見なさい」  私を見た
  「怖れるなかれ  生きることを」
  鷹の目が見つめて来た


面倒な道ばかりをあえて歩く>ことが尊くて<ラクな道へ流れくだる>ことが恥ずかしい、と他を断ずるのはしてはならぬと思います。なにしろ、人間という存在はみな誰しも後ろめたさを背負って生きているワケでして。むしろだからこそ、偉大な存在を目の当たりにしたときに起きた自分の変化をどのように扱うかこそが、その人の個性としてにじみ出てくるのではないでしょうか。個性とは作るものではなく、普段の習慣や癖などなどから隠そうにも隠しきれずににじみ出てくるものなのでありま〜す。

2019年7月 2日 (火)

リスト『En rêve/夢のなかで(ノクターン)』を1894年ベーゼンドルファー社製ピアノ(ウィーン式アクション/85鍵)で

リスト(1811-1886)が亡くなる前の年(1885年)に作曲した『En rêve/夢のなかで(ノクターン)』を、まさに同時代の1894年ベーゼンドルファー製ウィーンアクションのピアノで弾きました。同時代の楽器を使いさえすればその時代の雰囲気が自動的に生成wされるほど現実は甘くございませんが、現代のピアノとは全く異なる雰囲気がかもし出されているのは聴き取っていただけようかと思います。

19世紀末の爛熟期のヨーロッパといえど科学技術が発展をはじめてあまり時間が経っていないころですから、人類の周りには理由が解らずに畏敬の念を呼び覚まさせられる存在に満ちていたでしょうし、そのような世界は、まだまだ夢のようであり、天界のようであり、言い知れぬ哀しみのようでもあり、魔界のようでもあったことでしょう。この動画で使っているウィーン式アクションのベーゼンドルファーも「神と対話するための楽器」という意味を十全に残していた時代のお道具ですから、とりわけこの曲のような不思議な曲では呪術的な威力を存分に発揮してくれます。単純に音色の美しさというだけでなく、多彩に何層にも折り重なった響きの美しさを際立たせてくれるんですよ〜(・ω・ゞ

『En rêve/夢のなかで(ノクターン)』が作曲された1885年は明治18年、日本ではようやく太政官制度に代わって内閣制度が創始された年です。ネット上には初代総理大臣の伊藤博文がこの数年前に西園寺公望と渡欧したときにリストの演奏を聴いて感銘を受け「あの者を日本に招くことはできないか」と思ったという記述が複数見られますがどれも出典が明示されておらず、不勉強ですみませんがウラも取れていないので、現時点では信憑性には難ありと言わざるを得ないなぁ・・・というのが正直な感想ですw

2019年6月 7日 (金)

中島みゆき 作詞/作曲『傾斜』ピアノソロ:1894年ベーゼンドルファー社製ピアノ(ウィーン式アクション/85鍵)で

中島みゆきの『傾斜』を、いつもの1894年製アンティークベーゼンドルファーで弾きました。

この『傾斜』は1982年に発売されたアルバム《寒水魚》のA面2曲め。死ぬまで長く長く一歩一歩歩み続けねばならぬ人生を「限りなき道程」に例えるのはごく普通の発想ですね。徳川家康の御遺訓が<人の一生は重荷を負ふて遠き道を行くが如し>で始まることを知っておられる方も少なからずと思います。
・東照公御遺訓:https://www.toshogu.or.jp/about/goikun.php

中島みゆきも、そのまんま『重き荷を負いて』という曲を2006年のアルバム《ララバイSINGER》に収録していたりします。この曲の歌詞もなかなかシビれるんですが、また今度(^o^;

ですが、この手の伝記資料は真偽が定かでない単なる「言い伝え」である可能性を常に頭において置かねばなりません。検索してみたら、やはり出てきました。さすがの「レファレンス協同データベース」で、これによると・・・
<この遺訓は家康が言ったという証拠はなく、徳川美術館館長徳川義宣氏の研究成果として、「いま流布している家康遺訓の底本は伝水戸光圀作「人のいましめ」『天保会記』1830年に見える)であったようである」と書かれています。>
とのことで、チト驚かされたでござる(・ω・ゞ
・細かくはこちらからどうぞ:http://crd.ndl.go.jp/reference/detail?page=ref_view&id=100009052

さて・・・『傾斜』の歌詞の一部分を切り取るのはチト面倒なので、1番の歌詞を。

 傾斜10度の坂道を
  腰の曲がった老婆が 少しずつのぼってゆく
  紫色の風呂敷包みは
  また少しまた少し 重くなったようだ
  彼女の自慢だった足は
  うすい草履の上で 横すべり横すべり
  のぼれども のぼれども
  どこへも着きはしない そんな気がしてくるようだ

  冬から春へと坂を降り 夏から夜へと坂を降り
  愛から冬へと人づたい
  のぼりの傾斜は けわしくなるばかり

  としをとるのはステキなことです そうじゃないですか
  忘れっぽいのはステキなことです そうじゃないですか
  悲しい記憶の数ばかり
  飽和の量より増えたなら
  忘れるよりほかないじゃありませんか


ワタクシ何十年も馬齢を重ねてきましたが、いろいろと重ねて来て思うのは、経験を重ねるということは実は何かをつかむってぇコトだけじゃないような気がするんですね。まぁ「経験」それ自体は「何かをつかむこと」なのでしょうが、その経験を重ねて行くうちに、こだわってしがみついている何かから解放されてラクになるときが何度となくあったんですわ。それと同時に加齢に伴って「老化」というこれまた避けづらい現象を突きつけられるのが残念なのですが、それもまたしゃ〜ないこと。

経験の多い少ないばかりを重視してしまうと、<風呂敷包みは また少しまた少し 重くなって>しまいますし、せっかく<自慢だった足>も長年の酷使ですり減ってしまった<うすい草履の上で 横すべり横すべり>してしまいます。そりゃ〜、<のぼれども のぼれども どこへも着きはしない そんな気がしてくる>に決まってますがな。そもそも<傾斜10度の坂道>は緩い上りにしか思えないかも知れませんが、スキーなら自然停止できないほどの急傾斜(中島みゆきは北海道出身!)であることにも気づいていただきたいです。傾斜10度の坂道>をずっっっと踏みしめながら上り続けるって、めっちゃキツいんですよ〜。

 足元の石くれをよけるのが精一杯
  道を運ぶ余裕もなく  自分を選ぶ余裕もなく
  目にしみる汗の粒をぬぐうのが精一杯
  風を聴く余裕もなく  人を聴く余裕もなく
『重き荷を負いて』2006年)

ですが、この『傾斜』の詩には素晴らしい救いの文言がありますね〜。

 としをとるのはステキなことです そうじゃないですか

この部分から、吹っ切れた感じどころかむしろ諦めを感じさせさえする明るさに楽曲の雰囲気が劇的に変貌しますが、この「経験の蓄積に伴う解放」「加齢に伴うほにゃららw」との間の葛藤がまことにウマいこと表現されているなぁと感服させられます。
「量より質」とは昨今のご時世では「ご無理ごもっとも」と受け取られるようになってしまったwフシもございますが、量ばかりを重視しているのは経験がロクに使えていない証拠。経験の量を忘れるほどに当たり前にできてこそ、その経験が自分の血となり肉となるのですぞ。逆にそうでないと記憶なんぞ簡単に<飽和の量>まで達してしまうワケで、それでは本当に<忘れるよりほかない>というチトもったいない状況に陥ってしまうと思いませんか? 量をどうやって質に転化させるか、情報過多というにも程があるほどの恐ろしい現代に生きる我々にこそ大切な視点であるはずでしょう (`・ω・´)
・・・ワタクシが人一倍物忘れがヨいことの言い訳とも言いますが(・x・ゞ

中島みゆきはこの『傾斜』発表から22年後(!)の2004年に別アルバム《いまのきもち》に違うアレンジで収録しており、<としをとるのはステキなことです>以降でも劇的に変化させず、全体を軽いサウンドに仕立てています。《いまのきもち》は中島みゆきのデビュー30年めのアルバム、それまで自分が横すべりすながらも少しずつのぼってきた傾斜を「ん〜、いろんなことがあったよね〜」てな一種の感慨をもって振り返っているのでしょうね〜。ココは深読みしなくてヨいでしょ(・o・ゞ

2019年4月 2日 (火)

ポンセ『間奏曲第1番』を1894年ベーゼンドルファー社製ピアノ(ウィーン式アクション/85鍵)で

メキシコの作曲家、ポンセ(1882-1948)の「間奏曲第1番」を、ポンセが生きていた時代の1894年ベーゼンドルファー製のピアノで弾きました。ベーゼンドルファーはメキシコではなくウィーンのピアノですが、まぁそこはご堪忍(・o・ゞ

ポンセはメキシコに生まれて幼くして大変な才能を発揮、メキシコからヨーロッパに一度ならず二度までも出向いて研鑽を積んだという、メキシコの西洋的調性音楽のいわば斬り込み隊長的な存在です。とりわけ有名なのは作詞も自身で行ったという「エストレリータ」でしょうね。

ポンセの作品の作曲年はあまり明確ではなく紛失してしまった作品も少なくないようですが、この「間奏曲第1番」は1909年ごろの作曲とされています。1905年に初めてヨーロッパに渡って1907年にメキシコに戻ってから作曲された作品で、物憂げでいながら悩ましい、といういかにもラテンな曲調はもっともっと人気が出てしかるべき曲ではないでしょうか。まぁどこにでもありそうなラテンなノリの軽〜い曲、という見方もできなくもないwかも知れませんが、それはそれで人気が出るために大切な要素の一つですよね〜。

2019年3月 7日 (木)

中島みゆき 作詞/作曲『彼女によろしく』ピアノソロ:1894年ベーゼンドルファー社製ピアノ(ウィーン式アクション/85鍵)で

中島みゆきの『彼女によろしく』を、いつもの1894年製アンティークピアノで弾きました。

この『彼女によろしく』は1984年に発売されたアルバム《はじめまして》のA面ラスト。あ、念のため、LPレコードは基本的に裏表に音溝が刻まれていて、A面B面(または1面2面)と表示されていたのですぞ。CDの出始めのころ、さすがCDってA面だけでも長いな〜と思いながら無意識にひっくり返して再生ボタンを押そうとしてもナニも起こらなかった・・・という笑い話はワリと普通にございましたでした。CDプレーヤー壊れないでヨかったネ(・o・ゞ

 あと幾日生きられるか 生命線に尋ねてみても
  昨日死んだ若い人の掌は長生き示してた


失恋ソングの女王wこと中島みゆきのA面ラストとしての面目躍如なこの曲ですが、『彼女によろしく』という題名の詩にして、なかなかの刺激的な唄い出しですねぃ。この『彼女によろしく』は、曲調こそ穏やかで淡々と寂しさを語る雰囲気ですが、詩に触れてみるとちょ〜っとアブない気にさせられます。主人公は男や相手の女に対しては恨みも憎しみも呪いも口に出さないのですが、だからこそ秘められた情感が強烈に迫ってくるのでしょうか。しかもこの唄い出しに続けて・・・

 明日が見えなくて良かったわ
  だからあなた信じられたもの


このつながりで、この詩が俄然恐ろしく感じられます。この一節を皮肉だと感じられるのは逆にまことに喜ばしく、幸せな人生を送ってきた方なんだろうなぁ・・・と。この詩では相手を失ったことで主人公は死んだも同然になってしまったのではないでしょうか。「信じる心」は生きるための原動力としてなにものにも勝りますが、当の信じてきた対象を失ってしまえばその痛手もまたはかりしれないものになってしまいます故。ですが、曲調はいきなりここで虚無感を漂わせる短調から前向きに変わりはじめ、<信じられたもの>の一言で劇的に長調に変貌します。

 時計は二度と回らない
  God bless you 彼女によろしく


二度と回らない時計>という「存在として死んでしまっているナニかの象徴」を使って主人公と相手との関係を示すのは、まぁ常套手段と言えましょう。それにしても、ここの転調はごく古典的で普通な転調であるのに、妙〜に明るく劇的な印象を与えてくれますね〜。この『彼女によろしく』は地味なようでかなり印象に残りやすいらしく、それもまぁ必然なのでしょう。

さて、ココであらためて<God bless you>を辞書で牽いてみると・・・実はコレが祝福の意味になるのは、ご好意を受けたときに「神のご加護があらんことを」と返すときだったんですね〜。イヤ知らなかった、すんません。そりゃ〜<God bless you>と唄っておきながら、主人公ってば祝福する気なんぞさらさらないと読めるのは当〜然でしたワw

 仕事をしていて良かったわ
  愛どころじゃないふりができる


中島みゆきの詩にわりと登場する「強がる女」ですね〜。そういえば、1988年のアルバム《中島みゆき》所収の『御機嫌如何』には、

 なさけないものですね あなたを忘れました
  女は意外と 立ちなおれるものなのでしょう
『御機嫌如何』1988年)

という一節があります。『御機嫌如何』では過ぎた恋を忘れた「私」をことさらに強調しますが、曲の締めくくりではまぁお約束、

 涙で 濡らした 切手を最後に貼ります『御機嫌如何』1988年)

・・・さて、こちら『彼女によろしく』の最終節。

 私が彼女にみえるほど
  酔った時だけ言えたね愛を


酒に酔ったときって意外とホンネがこぼれ出るものですが、はて、相手が酔ったのは酒だったのでしょうか。主人公に酔って彼女に見えりゃ、そりゃ愛を語りますでしょ〜。ひょっとしたら相手が本当に愛しているのは主人公なのかも知れませんね。心の底のホントのところでは<私>=主人公のことが好きなくせに、と主人公は言いたいのかもしれませんがしかし・・・ナンたることぞ = God bless you

 時計は二度と回らない
  God bless you 彼女によろしく


2019年1月 7日 (月)

中島みゆき 作詞/作曲『六花』ピアノソロ:1894年ベーゼンドルファー社製ピアノ(ウィーン式アクション/85鍵)で

中島みゆきの『六花』を、いつもの1894年製アンティークピアノで弾きました。

この『六花』は2000年『夜会VOL.11 ウィンター・ガーデン』オリジナル曲。舞台では、完膚なきまでに打ちのめされた心を慰めるように降る雪の場面で主人公の女(谷山浩子)と犬(中島みゆき)によって唄われ、そして、翌2001年に発売されたアルバム『心守歌』に収録されています。ここでは『心守唄』バージョンで弾きました。

「雪は天から送られた手紙である」と遺したのは雪の結晶の研究で名高い物理学者の中谷宇吉郎博士(1900-1962)ですが、中島みゆきはこの言葉を手がかりとして雪と氷の不思議な世界を『夜会VOL.11 ウィンター・ガーデン』で表現しようとしたとのこと。この『夜会VOL.11 ウィンター・ガーデン』を再現した詩詞集のまえがきで、中島みゆきは

 天からの数限りない手紙を、一行なりとも端切れなりとも読み受けたいと願いながら
  私は繰り返し雪の湿原に立ちました


と記しています。前述のように『夜会VOL.11 ウィンター・ガーデン』が上演されたのは2000年、詩詞集のまえがきにあるように<中谷博士が生まれてちょうど百年目の年の冬>であります。

 広い空の中には 罪もけがれもある
  広い空の中には 何もないわけじゃない
  広い空の上から さまよい降りて来る
  泣いて泣いてこごえた 六つの花びらの花


『夜会VOL.11 ウィンター・ガーデン』の主人公の女(谷山浩子)は原野商法に引っかかり、不正をはたらいてまで貯めたお金を「あの人」と暮らすことを夢見ていた不動産の頭金として全て取られてしまいました。しかもその不動産は早晩底なし沼に沈む運命の物件であり、「あの人」とは姉の夫。『夜会VOL.11 ウィンター・ガーデン』の終盤、姉からお腹に妊娠七ヶ月の赤ちゃんがいることを知らされ、<あの人と新しい時を刻む為に、居ない私になるんです・・・>と希望をもってこの原野の家に来て待っていた自分が気がつけば「あの人」の心の中にも居ない女になっていた・・・というまことに救いの無い状況で泣き崩れる主人公の女(谷山浩子)、それを慰めるように犬(中島みゆき)がこのように歌い始めます。

空から落ちてくる雪の結晶は、故中谷宇吉郎博士が述べたように、天から人間へのメッセージ。たとえそれが<>であっても<けがれ>であっても広く限りのない天からのメッセージであることには変わりがなく、あとは人間(=自分)がそのメッセージたちの何に気づくか、何を選ぶか、そして何をどう使うかの問題でありましょう。・・・それにしても<泣いて泣いてこごえた>メッセージなんですね〜(T_T)

 六花の雪よ 降り積もれよ
  すべてを包んで 降り積もれよ


雪国の方々は先刻ご承知、雪とは<すべてを包んで 降り積もる>もので、美しいよりも人間ごときの力ではどうすることもできない強大な相手なんですね。この強さはゆったりした雰囲気の曲調とは相容れぬように思えますが、実はこの雰囲気の曲調のようにしんしんと降り続く雪の中にこそ、恐るべき強さがひそんでいるのだと思います。『夜会VOL.11 ウィンター・ガーデン』の主人公の女がわずかずつの横領を続けて四千万円を作り出して不動産の頭金にしてのけた強さ、これを象徴すると「雪の強さ」なのかも知れませんね。

思春期を帯広で過ごした中島みゆきですから、一晩中音も無く降り続けた雪で翌朝の景色が全く変わってしまう経験はごく普通のことだったでしょう。そして北海道の地吹雪の凄まじさたるや、雪が上からも横からも下からも吹きつけてくるんですよ〜。ワタクシ、実は何度かマトモに巻き込まれたことがありまして、それこそ自分の目の前に伸ばした腕が途中で白い闇の中に消えてしまうほどでした。そりゃ、地吹雪のときにうかつに戸外に出たら、通い慣れた道でも簡単に凍死しますぜよ。

 地吹雪から運ばれる積雪の量は、降ってくる量の100倍!『夜会VOL.11 ウィンター・ガーデン』(2000年)槲の樹の言葉)

・・・そういえば、有名な「六花亭」は本社が帯広でしたっけ(・o・ゞ

 すさぶ大地の下で 花は眠っている
  吹きつける北風の 子守歌聴いている
  広い空の上では 手紙がつづられる
  透きとおる便箋は 六つの花びらの花


この一連、ホントに美しいですね〜。
強大な「雪」という存在に包まれ覆い隠されても、その雪が解ける春は必ずやってきます。春を迎えると雪は大地をうるおす恵みとなり(まぁ雪解けの頃の北海道のどろんこ具合ってハンパないのですがw)、なるほど、この意味でも「雪は天から送られた手紙である」ですよね。雪が敵となるか味方となるかは紙一重というか運命のいたずらというか裏表というか・・・まぁ、たまたまよ。たまたまw

氷雪の世界の限りなさに対して、中谷宇吉郎博士も中島みゆきもともに限りない畏敬の念を持っていますね。自然は偉大で美しく恐ろしく、そして身近な存在であります。

2018年11月 7日 (水)

中島みゆき 作詞/作曲『狼になりたい』ピアノソロ:1894年ベーゼンドルファー社製ピアノ(ウィーン式アクション/85鍵)で

中島みゆきの『狼になりたい』を、いつもの1894年製アンティークベーゼンドルファーで弾きました。

この『狼になりたい』は1979年のアルバム『親愛なる者へ』所収、通人の間では名作の誉れ高い曲とされているそうです。この曲がきっかけとなって中島みゆきにハマった人も数多いとのこと、確かに身につまされるというか、人生なんて所詮こんなモンなのかなぁとか、あ〜も〜ど〜すりゃいいんだよ〜とか、まことに複雑な気持ちにさせられる歌詞なんですよね〜(・x・ゞ

この詩は情景描写なので部分抜粋するワケにも行かず、全文引用します。場末も場末、夜明け前の「吉野屋(吉野家ではないw)」のカウンターで、数人の登場人物が酔ってまどろみながらグダっています。およそ流行歌の題材になんぞなろうハズのない、まことに見苦しい情景ですねw そしてこのグダグダつぶやいている情景をピアノで弾くという暴挙!

 夜明け間際の吉野屋では 化粧のはげかけたシティ・ガールと
  ベイビィ・フェイスの狼たち 肘をついて眠る

  なんとかしようと思ってたのに こんな日に限って朝が早い
  兄ィ、俺の分はやく作れよ そいつよりこっちのが先だぜ

  買ったばかりのアロハは どしゃ降り雨で よれよれ
  まぁ いいさ この女の化粧も同じようなもんだ

   狼になりたい 狼になりたい ただ一度

  向かいの席のおやじ見苦しいね ひとりぼっちで見苦しいね
  ビールをくださいビールをください 胸がやける

  あんたも朝から忙しいんだろう がんばって稼ぎなよ
  昼間・俺たち会ったら お互いに「いらっしゃいませ」なんてな

  人形みたいでもいいよな 笑える奴はいいよな
  みんな、いいことしてやがんのにな いいことしてやがんのにな
                        ビールはまだか

   狼になりたい 狼になりたい ただ一度

  俺のナナハンで行けるのは 町でも海でもどこでも
  ねえ あんた 乗せてやろうか
  どこまでもどこまでもどこまでもどこまでも

   狼になりたい 狼になりたい ただ一度
   狼になりたい 狼になりたい ただ一度


特別な存在である「狼」に「なりたい」と願うばかりで実際のところはしょ〜もない行動しかできないのが圧倒的多数で、それこそが「大衆」なのでしょう。おそらく、誰しもチクリと胸に刺さる刺を何本も持っていることでしょう。いやワタクシも苦しいっす (´・ω・`)ショボーン

 <夜明け間際の吉野屋では・・・>

横でうつらうつらしている<シティ・ガール>を<なんとかしようと思ってた(送り狼ですなw)のに断念せざるを得なかったのでしょう。ナンパするためにアロハまで買った主人公(これぞ1970年代!)、そっか、どしゃ降り雨でそれどころじゃなかったのかも。あぁ(送り)狼になりたい(なんか違うw)

 <向かいの席のおやじ見苦しいね ひとりぼっちで見苦しいね
  ・・・>

グダグダきわまりない主人公、自分より下に見られる存在を見つけてさげすむほどの救いの無さ、そう、ここは場末のおそらく安牛丼屋。このあふれ出るみじめな生活感はいったいなんでしょ。そして「おやじ」はいつの世にもさげすまれる存在ですな。ほっとけっっっw

さて「狼になりたい」というささやかでグダった想いが次第に強くなって、最後の<俺のナナハンで>以降の一連は、全てが主人公の心の中の叫びでしょう。

おそらくこの主人公はナナハンなんぞ持てるハズはないでしょう。ですが、このような場末の一人の主人公にも夢はあるでしょうし、それは等しく尊重されねばならないかけがえのない夢なのです。世の中にはさまざまな人生があり、このようにおよそ歌の題材になんぞならぬような人生を送らざるを得ない人々も数多くまたいるんですよね。中島みゆきの詩に詠まれる主人公は、よくもまぁこんなにも、と思えるほど多種多様ですね。

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