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カテゴリー「音楽>楽器>クラヴィコード」の50件の記事

2019年5月 7日 (火)

中島みゆき 作詞/作曲『誰のせいでもない雨が』ソロ:モーツァルトの旅行用クラヴィコード(1763, J.A.Stein)の複製(2002年)で

中島みゆきの『誰のせいでもない雨が』を、かの神童モーツァルトが7歳のとき(1763年)に買ってもらったJ.A.シュタイン製の旅行用クラヴィコードの複製で弾きました。ん? 歴史的楽器で現代の音楽を弾く必然性? 別に全っ然ございませんがナニか? ( ̄ー ̄)

クラヴィコードはピアノ以前の鍵盤楽器のなかで最も大切とされていたフシがあり、現代古楽器w周辺では「独りで音楽の神さまと向き合う」ための楽器とみなされて過度に神聖化wされていたりします。ですが、実は、そのような内なる世界は優しく親密な世界でもあるはずで、現代人にとって大切なのはむしろ後者の性格ですよね。なお、クラヴィコードの音量は世人の想像を超えて小さいですから、背景のノイズが気にならない程度の音量に抑えたうえで少〜し耳を澄ませてくださいませ。聴こえてきますよ〜(・o・ゞ

『誰のせいでもない雨が』は1983年のアルバム《予感》のB面最初に置かれた一曲。この全編に漂うなんとも寂しく悲しく孤独で切なくうすら寒い雰囲気と間奏部分のエレキギターの泣きったら、どうしてくれましょう。まぁ、そりゃ、雨が降ったらどんなに防護しても必ずどこかは濡れるwモノで、このときのなんとも言えぬ微妙な感覚って独特ですよね。難しいことを簡単な言葉で表現できてこその、一流の表現者でありま〜す。・・・まぁ単なる比喩の積み重ねなんですけどw

人の数ほど唯一無二の人生があります(これも中島みゆきのテーマの一つですね)が、<誰のせいでもない>というのは、とどのつまりはどうあがいても抗えない「決まりごと」であって、散るか諦めるか以外の選択肢はないのでしょう。だからこそ、その裏には言いようのない強烈な悲しみそして怒りその他もろもろ複雑な情緒が人の数ほど込められることになります。
そう思うと、この↓出だしって、むちゃくちゃ強烈と思いません?

 誰のせいでもない雨が降っている
  しかたのない雨が降っている

この詩の難解さは並みいる評論家諸氏の腕を鳴らすようですが、どうやらほぼ「学生運動の挫折と当事者の悲哀」という観点に基づく解釈で一致しているようです。・・・ですが、せっかく難解に詠まれた詩なのにそんなに直接的一意的に結論づけてしまってはもったいないと思いませんこと? 結論づけて「わかって」しまうと、下手するとそれ以上味わえなくなるかも知れないですぜ(・o・ゞ

 怒りもて石を握った指先は
  眠れる赤子をあやし抱き
  怒りもて罪を穿った唇は
  時の褥に愛を呼ぶ

東大紛争は1968〜1969年のこと、そして連合赤軍事件の数々は1971〜1972年のこと。中島みゆきは1952年生まれでデビューは1975年ですが、さまざまなコンテストに出場して「コンテスト荒らし」の異名をとっていたのはその少し前の学生時代、同世代が武装闘争で新聞紙上をにぎわせているときに中島みゆき(当時は本名の中島美雪ですな)は音楽で闘争していたのでありました。まぁここまで直接的に表現されれば、関連がないと見なす方に問題があるでしょうw

この『誰のせいでもない雨が』は、1983年発表の《予感》収録。このタイミングは武装闘争の闘士として(念のため賛否は表明しませんよ)活動していた二十台半ばの若者たちにとって干支が一回りして四十の声を聞くタイミング、そしてバブル経済前夜で社会全体がそんな時代を忘れかけていたタイミングなのだろうなぁと。当事者たちに限らず、己がアツかった青春時代を呼び覚ますような詩であったと同時に「あぁ、あいつらも四十に近づいているんだよなぁ」とも思われたでしょうね。「四十而不惑」は『論語』の一節。うぅぅむ。

 黒い枝の先ぽつりぽつり血のように
  りんごが自分の重さで落ちてゆく

人間稼業を重ねて来れば背負うものもまた重なり重くなってくるものでございまして、一人二人と血の涙を流しながら脱落(と言うのもいささかモンダイかも知れませんが(^^;)して社会に飲み込まれざるを得ないもの。ですが中島みゆきは前の年、こうも詠っています。己の業を忘れないことが良いのか、忘れちまうことが良いのか、人により時と場合により、そして都合にwよりますな。まぁそんなモンでしょうて ヽ( ̄▽ ̄)ノ

 としをとるのはステキなことです そうじゃないですか
  忘れっぽいのはステキなことです そうじゃないですか
  悲しい記憶の数ばかり
  飽和の量より増えたなら
  忘れるよりほかないじゃありませんか『傾斜』1982年)

詩的文学的な表現は多様な解釈を可能とさせることで逆に真意をおぼろげながら浮かび上がらせる、という側面があると思うのですが、それは比喩だったり抽象化だったりのレトリックのなせる技。そこにいきなり投下される<滝川と後藤>という人名にはびっくりさせられます。しかも<帰らなかったってね>ですから、全くもっておだやかぢゃございませんで、やはり投獄された闘士たちを思い起こさせられずにはいられませんが、主人公たちと違う世界に袂を分かったのかも知れませんし、はたまた冷たい水の底という怪釈もできなくはなさそうで(ちょっとヤバいかな(^^;)

 きのう滝川と後藤が帰らなかったってね
  今ごろ遠かろうね寒かろうね
  誰かあたしのあの人を救けてよと
  (はだし)の女が雨に泣く

とは言え、この詩は「学生運動の挫折と当事者の悲哀」を詠ったもの、と小さくまとめてしまうにはチト惜しいと思います。あくまでも「学生運動の挫折と当事者の悲哀」は主要題材に過ぎず、誰しも社会的生活を送っている限りは必ず直面するであろう「理想と現実とのはざまでの葛藤」の方を詠んでいるとしたいワタクシでありま〜す。

 もう誰一人気にしてないよね
  早く 月日すべての悲しみを癒せ
  月日すべての悲しみを癒せ

このフレーズがサビとして繰り返されますが、なんという痛切なメッセージでしょう。悲しみを癒せ>と叫んでいるのですから、主人公にとって<悲しみ>は月日の力をもってしてもいまだ癒されていないのです。それなのに現実世界では<もう誰一人気にしてない>という不条理。生きることとは不条理を受け入れることだとも思いますが、この<悲しみ>は底知れず深く冷たい。しかもそれが<誰のせいでもない>という表現によって、強烈な光を放ちます。なるほど、レコードのB面のトップに置かれるべくして置かれた一曲なんでしょうね。

2019年4月 7日 (日)

中島みゆき 作詞/作曲『グッバイ ガール』ソロ:モーツァルトの旅行用クラヴィコード(1763, J.A.Stein)の複製(2002年)で

中島みゆきの『グッバイ ガール』を、かの神童モーツァルトが7歳のとき(1763年)に買ってもらったJ.A.シュタイン製の旅行用クラヴィコードの複製で弾きました。ん? 歴史的楽器で現代の音楽を弾く必然性? 別に全っ然ございませんがナニか? ( ̄ー ̄)

『グッバイ ガール』は1988年のアルバム《グッバイ ガール》の収録曲と思うのが当然でしょうが、なんとまぁ、このアルバムには入っていないどころかこの『グッバイ ガール』の発売は1989年のシングル盤のみ、しかも2曲めとしてリリースされているというオチ。なのでこの「曲」をWebで検索するのは案外と面倒なのですが、中島みゆきにはもっと手強い相手がおりまして。《グッバイ ガール》と同じ1988年に《中島みゆき》というアルバムを発売していやがって、なんとまぁ検索しづらいことw

・・・閑話休題、クラヴィコードはピアノ以前の鍵盤楽器のなかで最も大切とされていたフシがあり、現代古楽器周辺では「独りで音楽の神さまと向き合う」ための楽器とみなされて過度に神聖化wされていたりします。ですが、実は、そのような内なる世界は優しく親密な世界でもあるはずで、現代人にとって大切なのはむしろ後者の性格ですよね。なお、クラヴィコードの音量は世人の想像を超えて小さいですから、背景のノイズが気にならない程度の音量に抑えたうえで少〜し耳を澄ませてくださいませ。聴こえてきますよ〜(・o・ゞ

 グッバイガール 何とでも 私のことを
  他人は語るがいいさ
  グッバイガール はじめから さよなら目当て
  そんなふうに 語るがいいさ


中島みゆきは「失恋歌の女王」とまで称されますし事実その通りだと思いますが、最初っっっから<さよなら目当て>と言われる主人公が登場するこの曲は、のっけからなかなかシビれますわな。「ふられぐせ」がついてしまったがごとき主人公ですが、今回ばかりは未練たっぷりで大変なようです。

 あの人は恋 私には恋
  誰も信じなくても だけど
  あの人は恋 私には恋
  あの人も信じないけど


この<あの人も信じないけど>が、ホントに切ないですね〜。主人公は自虐的になっているようなそぶりこそ見せて自分をも欺こうとしているようですが、この切なさはそれを突き抜けて心に刺さります。

 あの人は恋 私には恋
  いつでも忘れがたい だけど
  あの人は言う 街角で言う
  別れやすい奴だってさ


主人公が切々と恋いこがれているのに<あの人>と言ったら、まっっったくも〜。ですが、恋愛に限らずですが、強く強く想えば想うほど案外と自分一人で盛り上がってしまっていてナニも伝えられていないことが少なくない・・・と思いませんか? 態度に出しているつもりで全っ然出せていなかったとか、言葉に出したつもりなのに婉曲に過ぎてポカ〜ンとされちまうとか (´・ω・`)

 汚れてゆく雪のようです 女たちの心は
  汚れながら春になります 不埒でしょうか


もろもろのモヤモヤを吹き飛ばすような、締めくくりのこの二行。美しいだけでない、このナンとも言い難い雰囲気は一体どうしたことでしょうか。雪国で春が近づいて雪が溶け始めたときの凄まじい泥んこぐあいは札幌生まれ帯広育ちの中島みゆきですからイヤというほど経験しているわけで、そのような悲惨な泥んこぐあいがなければ<>は訪れない、と強く刷り込まれていることでしょう。中島みゆきにしては解りやすい比喩ではありますが、<汚れながら春になります>という表現ができるかどうかとはまた別なモンダイですね。まことに美しい表現でありますが・・・いやいや、泥んこで凄まじい汚れっぷりなんですけどw

さて、この動画で使っているクラヴィコードという鍵盤楽器の音は極めて小さく、弾き手の注意力は自然に研ぎ澄まされます。それがために「独りで音楽の神さまと向き合う」楽器とされるのでしょうが、その向き合い方は求道者のごとく禁欲的な姿だけではございません。クラヴィコードを弾くと世の中がいかに多種多彩な音に満ちているかにはっとさせられますし、それはとりもなおさず、自分が今まで気づかなかった外界の動きに気づかされる機会が与えられたことに他なりません。神さまとは実は身近な存在で、どれくらい身近かというと、自分の感性の中におはしまするぞ (`・ω・´)シャキーン

2019年2月 7日 (木)

中島みゆき 作詞/作曲『風にならないか』ソロ:モーツァルトの旅行用クラヴィコード(1763, J.A.Stein)の複製(2002年)で

中島みゆきの『風にならないか』を、かの神童モーツァルトが7歳のとき(1763年)に買ってもらったJ.A.シュタイン製の旅行用クラヴィコードの複製で弾きました。

『風にならないか』は1994年のアルバム《LOVR OR NOTHING》の一曲。演歌調にただただ独りごちて「・・・まいっか(・ω・ゞ」というような地味な曲調は、深遠で高潔な思想とは無縁の世界観。それでいながらちょっとした言葉のスパイスが耳に残る佳曲だと思います。いつもながら対語法が秀逸。

クラヴィコードはピアノ以前の鍵盤楽器のなかで最も大切とされていたフシがあり、現代古楽器周辺では「独りで音楽の神さまと向き合う」ための楽器とみなされて過度に神聖化wされていたりします。ですが、実は、そのような内なる世界は優しく親密な世界でもあるはずで、現代人にとって大切なのはむしろ後者の性格ですよね。なお、クラヴィコードの音量は世人の想像を超えて小さいですから、背景のノイズが気にならない程度の音量に抑えたうえで少〜し耳を澄ませてくださいませ。聴こえてきますよ〜(・o・ゞ

 むずかしい言葉は自分を守ったかい
  振りまわす刃は自分を守ったかい
  降りかかる火の粉と 降り注ぐ愛情を
  けして間違わずに来たとは言えない


中島みゆきの曲でのっけからこう始まると「来たな」と身構えたくなりますが、このユルい曲調だとなんだか身構えようがないwのも事実。「頑張るのはご苦労なこったけど、わりかし勘違いするんだよねぃ」な程度の雰囲気を感じるのはワタクシだけでしょうかw ふむ、確かに<降りかかる火の粉>と<降り注ぐ愛情>って、意外と間違いやすいような気はしますね。

さて、モンダイは2番の歌詞、なかなか意味深でございます。

 自由になりたくて孤独になりたくない
  放っておいてほしい 見捨てないでほしい


なんだかコレ、かまってちゃんwな雰囲気満載ですが、誰しもこのような想いに至ってしまうのではないでしょうか。自由な状態とはある意味「我関せず」な状態ですが、だれしも多かれ少なかれ承認欲求はあるもので、本当に「我関せず」になってしまっては実は満足できないんですよね〜。声高に「人は人、自分は自分」と吹聴しながら実際のところは理解者を切望してしまうのは、仙人でもない限り、無理もないことでありま〜す。

 望みはすばしこく何処へでも毒をまく
  やがて自分の飲む水とも知らないで


自由でありたい人は往々にして意識が高い方々であることが多く、そのような方々の承認欲求は実は笑っちゃうぐらいに高かったりします。自分の「意識の高さ」はそもそも他者から独立しては存在し得ず、孤高の存在であろうとすればするほど逆にあちこちに顔を出して口を出して疎まれてしまったり。「自分は人とは違う」とか「自分の方が正しい」とか「自分が見ている世界こそが本物だ」とか、ま〜、なんつ〜か、いわゆる「勘違いオヤジ」なマウンティングの典型ですわな。・・・あ、しまった、こうやって書いているコト自体が<何処へでも毒をまく>展怪ではないかっっっw

 我が身可愛いと心は揺れる
  あてにならぬ地図を持ち ただ立ちすくんでいる
  もう風にならないか
  ねぇ風にならないか


人間なんて所詮は人間関係から逃れられるハズもなく、自分が可愛くてどうしようもない存在。そのようなものである人間にとっての本当の自由とは、さまざまな関係性を描いた<あてにならぬ地図>の間をさらさらと吹き抜けて行く風のような存在になることでしょう。まぁこのように利いた風な口を叩いたところで、この「風」とはなんぞやと常に考えずして自由は得られず、よしんば「風の通り道を記した地図」を手に入れたところで逆に地図に縛られる可能性が浮上しますから、結局、考えることでしか自由は得られないのです。・・・どないせぇっちゅ〜んじゃw

さて、この動画で使っているクラヴィコードという鍵盤楽器の音は極めて小さく、弾き手の注意力は自然に研ぎ澄まされます。それがために「独りで音楽の神さまと向き合う」楽器とされるのでしょうが、その向き合い方は求道者のごとく禁欲的な姿だけではございません。クラヴィコードを弾くと世の中がいかに多種多彩な音に満ちているかにはっとさせられますし、それはとりもなおさず、自分が今まで気づかなかった外界の動きに気づかされる機会が与えられたことに他なりません。この「外界の動き」とはある意味で空気の動きであり、それはまさに<風>であります。たとえ屋内であっても、クラヴィコードの周辺では<風>の存在を意識することができるんですよ〜 (`・ω・´)シャキーン

2018年12月 2日 (日)

中島みゆき 作詞/作曲『ピアニシモ』ソロ:モーツァルトの旅行用クラヴィコード(1763, J.A.Stein)の複製(2002年)で

本日(12/2)は不肖ワタクシの誕生日でございまして、まぁ、なんつ〜か、こんなヤツですみませんw。中島みゆきの『ピアニシモ』を、ワタクシの所有、かの神童モーツァルトが7歳のとき(1763年)に買ってもらったJ.A.シュタイン製の旅行用クラヴィコードの複製で弾きましたので、聴いていただけたら幸いにございます。m(._.)m

『ピアニシモ』は2012年のアルバム《常夜灯》の一曲。題名からして、クラヴィコードという極めて小さな音しか出せない楽器で弾くには最適な題材です。曲調も優しく親密で、主人公に対して謎掛けのように知らぬ世界を見せて去っていった「あの人」への暖かなあこがれがまことに美しく感じられます。

クラヴィコードはピアノ以前の鍵盤楽器のなかで最も大切とされていたフシがあり、現代では「独りで音楽の神さまと向き合う」ための楽器とみなされて過度に神聖化されていたりします。ですが、実は、そのような内なる世界は優しく親密な世界でもあるはずで、現代人にとって大切なのはむしろ後者の性格ですよね。なお、クラヴィコードの音量は非常に小さいので、背景のノイズが気にならない程度の音量に抑えて少〜し耳を澄ませて聴いてくださいませ(・o・ゞ

 あらん限りの大声を張りあげて  赤ん坊の私はわめいていた
  大きな声を張りあげることで  大人のあいだに入れると思った


ひとは誰しも大声で泣くしかできぬ赤ん坊として生まれ、少しずつ少〜しずついろんな表現や判断力を身につけていきます。それを一般的に「成長」と申しまして、大きな声を張りあげる以外の表現方法をいかに多く知っていたとしても、<大きな声を張りあげることで大人のあいだに入れる>としか思えない人は、俗に「未熟者」とか、まぁ他にもいろんな呼び方がされますね(^^;;

 だって歴史たちが示している
  シュプレヒコールもアジテイションもみんな
  わめかなければ届くものじゃない  がならなければ振り向きもされない


・・・とは言え、気づいてもらえなければ存在しないのと同じなのもまた確かでして。気づいてもらうためにデカい声を出して派手な主張を繰り広げる、という際限のない競争が繰り広げられているのがこの現代社会、いやむしろ人間社会なんつ〜のはその繰り返しなのでしょう。「大衆というものは、感心させるよりもびっくりさせる方がたやすい」とは、かのチェルニー先生もおっしゃっていること(・o・ゞ

 大きな声と同じ力で  ピアニシモで歌ってください

大きな声や派手な主張が幅をきかせやすい人間社会のなかでピアニシモで=極めて小さくナニかを伝えるのはおよそ不可能に思えますが、それだけに<大きな声と同じ力で>という表現が光ります。小さな声で大きな声と同じパワーを出しているように見せるには、実は大きな声を出すためのパワーよりはるかに強い意思の力が必要なのでありますからして。一見目立たない人の心のうちには実は強靭な意思が隠されているのかも知れませんし、実際にそのような人と出会った方も少なからずいらっしゃるのではないでしょうか。ホレ、普段静かでめったに感情を表に出さない人が万が一怒りという感情を表に出したら、周囲はめっっっちゃめちゃビビりますよね〜w (((( ;゚Д゚)))

社会にはいろんな声の人がいていろんな伝え方の人がおりまして、自分が知らない声や伝え方を体験してそれらを参考にすることで、自分の想像力が豊かになります。それはひいては自分の人生を豊かにすることに他ならず、また、はっきり言ってしまうと角が立ちそうなときに婉曲な言い方をすることでいさかいを未然に回避する知恵を身につけることにもつながろうかと。「フォルテシモで歌う」とは「単刀直入に伝えること」で、「ピアニシモで歌う」とは「婉曲に伝えること」という読み方もできましょうか。

 それしか言わない  あの人は言わない
  戸惑った私は  あの人を憎んだ
  屈辱のようで腹を立てていた  仕返しのように小さく歌った
  言わんことじゃない  ほら案の定
  通行人は誰も振り向きもしない
  けれどその代りに私には  それから初めて聴こえたものがある
  今すれ違った  気弱な挨拶


「あの人」に<ピアニシモで歌ってください>とリクエストされた主人公はその意図を理解できず、それでも小さく歌ってみた結果、不思議なことが起きたようです。<今すれ違った><気弱な挨拶>は一般には伝える必要のない個人的な小さな動きに過ぎませんが、それに気づけたのは主人公にとっては驚きと言っても過言ではない心の変化だったことでしょう。主張ばかりをしていると周囲が目に入らなくなってしまいますが、この主人公も同じだったのかもしれませんね。

さて、この動画で使っているクラヴィコードという鍵盤楽器の音は極めて小さく、弾き手の注意力は自然に研ぎ澄まされます。それがために「独りで音楽の神さまと向き合う」楽器とされるのでしょうが、その向き合い方は求道者のごとく禁欲的な姿だけではございません。クラヴィコードを弾くと世の中がいかに多種多彩な音に満ちているかにはっとさせられますし、それはとりもなおさず、自分が今まで気づかなかった外界の動きに気づかされる機会が与えられたことに他なりません。この「外界の動き」とは『ピアニシモ』の歌詞では<今すれ違った  気弱な挨拶>であり、クラヴィコードの周辺では「神さまのしわざと思えるほどの世の中の多彩さ」なのでありま〜す。『ピアニシモ』をクラヴィコードで弾いてみることには本質的な意味wがあるのですぞ! (`・ω・´)シャキーン

2018年5月26日 (土)

八王子、山野辺工房襲撃(・o・ゞ

本日(5/26)は、八王子の秘密基地までエラくひっさびさのご機嫌伺い。

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いつもながら発想の豊かさに舌を巻かされるクラヴィコードをはじめとして、さまざまなアイディアにあふれた楽器の数々、楽器好きにとって地上の楽園でありま〜す(*゚▽゚)ノ

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2018年3月11日 (日)

「未来を語る」企画収録の一日

さまざまな分野の達人を集めて未来を語る企画に参画ちぅ、ワタクシが達人かどうかはともかくとしてw、いつものモーツァルトクラヴィコードでチビッと収録終了〜。温故知新、未来を語るのに古楽器は不可欠でありま〜す(*´-`)

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・・・はてさて、どのように料理されるか、はたまたカットされるwか、どうなることやら(`・ω・´)

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2017年11月 6日 (月)

クラヴィコード演奏会@名古屋甚目寺、盛会御礼

雨男のワタクシなのにとっても気持ちよく晴れたw11月5日、名古屋のあま市甚目寺の「ローリーポップ」にて「ぴあのすく〜るSan's」主催でのクラヴィコード演奏会(・o・ゞ

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ココの2階がミーティングルームという形になっており、多少階下の営業音は聞こえるにしても、少し低音が響き気味になってくれるなかなかの音響でビックリ。階段がエラく狭く急だったので、まさかのモーツァルトの旅行用クラヴィコードの本領発揮。造作もなく設置完了〜^^

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3連休の最終日でしたが、適正規模での名古屋かな、違うw、和やかな落ち着いた会ができた模様です(^^)v
みなさま、どうもありがとうございました!

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2017年10月29日 (日)

クラヴィコード演奏会@蓮田、新空間、盛会御礼

雨男のワタクシが召喚してしまったw台風がちょうど本州南岸を通過した10月29日、こだわりの「Café 新空間」にてクラヴィコード演奏会でした(・o・ゞ

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・・・にもかかわらずお客さまが続々と。蓮田駅から歩くと15分ちょいかかってしまう場所に雨の中歩いてくださった方々も! クラヴィコードというまだまだ特殊な楽器に反応していただける方々の熱心さ、ナニモノにも代え難いありがたさでございます。

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ココは「新空間」という名称の通り、真空管オーディオな方々も集う場所。クラヴィコードもなかなかに濃ゆい世界ですが、真空管オーディオもまことにディ〜プな世界。この空間に多少の余裕を持たせた15人弱の方々が静かに耳を傾ける世界、まことに愉しいひとときでした。終演後にオーナーの久保田博氏とパチリ(^^)

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台風がいよいよ首都圏南部を通過するタイミングでwwwお食事場所に移動、久保田氏と来年はナニやりましょうか・・・とかなんとか盛り上がって店を出たら、あ〜ら不思議。台風は過ぎ去った後でしたとさ。雨男ですが最悪の状況は常に怪避できる、というジンクスがまた増えました(・ω・ゞ

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2017年10月14日 (土)

クラヴィコードライヴ@Bar Valse 盛会御礼!

本日(10/14)夕刻、目黒にあるクラシック音楽を中心とした Bar Valse にてクラヴィコードライヴでした。ココ、クラヴィコードがとっても素直に鳴り響く場所(残響が多いワケでは決してない!)で、こりゃ定期的にヤラねばっっっ(・o・ゞ

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・・・そしてシメは、Bar Valse 特製の具だくさん豚汁饂飩(^^)

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初の試みとして、前半しぅりょう後に「SNS拡散ネタ収録タイムw」を設けてみたら、実に楽しいひとときに( ̄∇ ̄)

さっそく熱心な ayapiano (@ayapiano2017) さんによるありがたきアップ、どうぞお楽しみくださいませ。曲は、19世紀にモーツァルトの管楽のためのディベルティメント数曲から改編されたとおぼしき、「6つのウィーンソナチネ」から、第6番の第4楽章です。調子にノって少しオーバースピードだったかなwと心配するも、まぁ大丈夫だった模様(`・ω・´)

お待たせしました! モーツァルトが7歳の時に旅行用に買ってもらったクラヴィコードの複製の音です! . モーツァルトはこの楽器を使っていたのか。 と思うと、なんだかなるほどー!!!と妙に納得してしまったのでした。 . すごくシンプルな作りの楽器。 鍵盤は薄くて、弾いてみると弦の振動が指に伝わって来るほど。 . 触れてみるとまるでおもちゃみたいだし、音も小さいんだけれど、、 音色はとっても生命力に溢れてる。そんな風に感じました。 . 本当に良い経験しました。 モーツァルト弾いてみたくなった! #クラヴィコード #clavichord  #Mozart #sonatine #モーツァルト #複製 #貴重な楽器 #古楽器 #鍵盤楽器 #博物館クラス #ピアノ好き #ピアノ #ピアノマニア #音楽 #モーツァルト研究 #インスタピアノ同好会

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2017 10月 14 8:18午前 PDT

2017年9月 1日 (金)

パッヘルベル洗礼祭によせて『アリエッタ へ長調』を、小型クラヴィコードで

今日(9/1)は、ドイツ中部南部で活躍した大オルガニスト:パッヘルベル(1653−1706)の洗礼日ですよ〜。

パッヘルベルと言えば泣く子も黙る(?)超有名曲『カノン』の作曲者としてばかりが有名ですが、当代随一のオルガニストとして生前から有名でした。その膨大なオルガン作品から『アリエッタ へ調』を、2013年イタリアでの国際クラヴィコード・シンポジウムでのライヴ録画でどうぞ。

クラヴィコードの製作は、新潟のおなじみ 高橋靖志 さん。1600年ごろにイタリアの修道院で作られた小型クラヴィコードの複製楽器です。このシンポジウムで発表者が突然キャンセルになったとのことで枠が一つ空き、高橋さんのクラヴィコードの発表機会が降って湧いてきて来たというナゾの展怪に。同時にワタクシの演奏機怪も降って湧いた・・・という成り行きでの演奏だったのでした(・o・ゞ

録音の有効音量wが小さくて演奏自体は少々聴きづらいでしょうが、逆にクラヴィコードの周りにじわ〜っと拡がる音空間がなかなかイイ感じで入っています。どうぞ心の耳で感じ取ってくださいませ〜。

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