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カテゴリー「音楽>中島みゆき」の22件の記事

2018年7月14日 (土)

中島みゆき 作詞/作曲『ララバイSINGER』ピアノソロ:1894年ベーゼンドルファー社製ピアノ(ウィーン式アクション/85鍵)で

中島みゆきの『ララバイSINGER』を、いつもの1894年製アンティークベーゼンドルファーで弾きました。

この『ララバイSINGER』は2006年のアルバム《ララバイSINGER》のラストを飾る曲ですが、そもそも「ララバイ」とは子守唄のこと。子守唄をアルバム名そしてラストの曲にしてしまうというセンス。まぁ中島みゆきがタイトルとして選んでいるほどですから、この「ララバイ」は普通の意味での癒やしの「子守唄」であろうはずがございませんね。『ララバイSINGER』とは直訳wすれば「子守唄歌い」で、ヒネりは「子守唄」の解釈にありと見ます ヽ( ̄▽ ̄)ノ

 <歌ってもらえるあてがなければ  人は自ら歌びとになる
  どんなにひどい雨の中でも  自分の声は聞こえるからね


自分の歌は自分で歌うものですが、これは前向きの意思を示すだけでなく、歌うのは自分しかいない・・・という孤独をも同時に示すのですね。中島みゆきの楽曲からは、どのような形を取ろうとも生き続けろ! というメッセージを強く感じさせられることが少なくありません。それを一歩進めて(魂の)死と再生を何度でも繰り返せ! という形を取ったのが『肩に降る雨』でしょう。

 <肩に降る雨の冷たさは生きろと叫ぶ誰かの声
  肩に降る雨の冷たさは生きたいと迷う自分の声
『肩に降る雨』1985年)



・・・そう言えば、『拾われた猫のように』という救いようがなく孤独な曲にも、こんな一節がございます。

 <自分の声を子守歌にずっと生きてたから『拾われた猫のように』1995年)



どれほど孤独であっても、<自分の声>が聞こえないことは原理的にあり得ないこと。しかし表面的にはそうであっても自分とは当事者に他ならず、<自分の声>をバイアス少なく正確に聞くのは生半可でなく難しいです。中島みゆきは1995年、阪神大震災と地下鉄サリン事件が起きて間もなくの時期に大阪のコンサートで歌った『ファイト!』の導入でこう語りかけました。

 <夢は叶ったほうがいいです
  でも叶わない夢もあります
  どうしようもない 形を変えでもしない限り
  どうにもならない夢というものもあります

  だから
  どんなに姿かたちを変えながらでも
  どんなに傷つきながらでも
  いつかきっと あなたの夢が
  叶いますように


どんなに姿かたちを変えながらでも どんなに傷つきながらでも>見続けられる夢・・・もはや「業」と言うべきか・・・こそが真の<自分の声であり、そしてそれこそが「我々は何処から来て何処へ行くのか」を読み解く鍵でありましょう。一過性の夢ではなく生涯を通して見続けられる夢とはなんだ? というのが中島みゆきから我々へのメッセージに違いありません。

 <その船を漕いでゆけ おまえの手で漕いでゆけ
  おまえが消えて喜ぶ者に おまえのオールをまかせるな
『宙船(そらふね)』2006年)

この『宙船(そらふね)』も同じアルバム《ララバイSINGER》に収録されており、ここにもやはり変わらぬ強い意思を感じます。

 <ララバイ ララバイ 眠れ心  ララバイ ララバイ すぐ明日になる

睡眠と覚醒は、死と再生の一種とみなせるでしょう。死とは一種のやすらぎ、そして生きている我々にとっては睡眠こそがつかの間のやすらぎ。睡眠は手伝えても覚醒は手伝えない存在が子守唄歌いである中島みゆきであって、覚醒するのは個々人それぞれの生きる意思=生涯を通して追い続ける夢があってこそ。

・・・そして同時に睡眠とは「夢を見る時間」であって、これすなはち「自己の内面と独り静かに向き合う時間」の象徴にも感じられてきました。その時間に我々を導いてくれるのが、他ならぬ「子守唄歌い」である中島みゆきなのかもしれませんね。

2018年6月12日 (火)

中島みゆき 作詞/作曲『肩に降る雨』ピアノソロ:1894年ベーゼンドルファー社製ピアノ(ウィーン式アクション/85鍵)で

中島みゆきの『肩に降る雨』をアンティークピアノで弾きました。

この『肩に降る雨』は1985年のアルバム《miss M.》のラストを飾る・・・というにはあまりにも落ち着いており、それでいながら歌詞のどん底ぐあいがけっこう激しい曲。しかもそれを悲しいとか苦しいとか恨むとかの言葉を一切使わずに表現しており、繰り返される<肩に降る雨の冷たさ>がさらに拍車をかけているような。中島みゆきの筆力、恐るべし。

 <肩に降る雨の冷たさにまだ生きてた自分を見つけた

ならまだカワイイもんで、その先ではこうですからどん底もどん底、冗談じゃないっす (´・_・`)

 <あの人がくれた冷たさは薬の白さよりなお寒い

この「白い薬」は覚せい剤でもまして風邪薬でもござらずw、睡眠薬ですね。そういえば、中島みゆきにはこのようなとんでもない歌詞がありましたっけ。しかもコレ、曲の出だしですぜ (((( ;゚Д゚)))ガクブル

 <自殺する若い女が この月だけ急に増える
  それぞれに男たち 急に正気に返るシーズン
  大都会の薬屋では 睡眠薬が売り切れる
  なけなしのテレビでは 家族たちが笑っている
『十二月』1988年)

こりゃいくらなんでもクリスマスシーズンである12月を題名とした曲の出だしとして、あまりにもあんまり。ですが、凄惨さを織り込むところこそが中島みゆきの歌詞で、この不思議な魔力は一体全体なんとしたことでしょう。

 <遠くまたたく光は遙かに私を忘れて流れてゆく流れてゆく

一度でも「絶望」を体験すれば、漢字二文字ごときで表現できるようなナマヤサシイ状況ではないのは自明の理。主人公は一筋の光明さえも見出だせなくなってしまい、魂が肉体を離れてしまったかのような感覚に陥ってしまったようです。このあとの間奏(1:40)〜が茫然自失な雰囲気を実に巧みに描き出しており、ワタクシ、この曲の隠れた名場面と思っています。

 <幾日歩いた線路沿いは行方を捨てた闇の道
  なのに夜深く夢の底で耳に入る雨を厭うのは何故


光明がない<行方を捨てた闇の道>ですが、主人公が<耳に入る雨を厭う>という行動を取ったのは・・・無意識のうちに何かメッセージを聞きたかったのでしょうか。そして、とぼとぼ力なく歩むテンポ感を前向きに変え、キーも半音上げて(3:23)〜力強く唄い出すのがこの一節。

 <肩に降る雨の冷たさは生きろと叫ぶ誰かの声
  肩に降る雨の冷たさは生きたいと迷う自分の声


誰かの声>がメッセージとして<生きろ>と聴こえ、それをきっかけとして<生きたいと迷う>自分の内なる声に気づいた主人公。ひょっとしたら気づかぬ(=死ぬ)方が楽だったのかも知れませんが、やはり「生き抜く」ことこそが人間。(魂の)死と再生を何度でも繰り返せ! という中島みゆきからのメッセージなのか。

 <肩に降る雨の冷たさも気づかぬまま歩き続けてた
  肩に降る雨の冷たさにまだ生きてた自分を見つけた


ふむ・・・『肩に降る雨』のもう一つの姿は、万物を芽吹かせ再生させる慈雨なのかも。しかし冷たい雨なので人生が甘くないことは変わらず、慈雨であってもぬるま湯につからせてはくれませんね〜 ヽ( ̄▽ ̄)ノ

2018年5月23日 (水)

中島みゆき 作詞/作曲『愛詞(あいことば)』ピアノソロ:1894年ベーゼンドルファー社製ピアノ(ウィーン式アクション/85鍵)で

中島みゆきの『愛詞(あいことば)』をアンティークピアノで弾きました。

この『愛詞(あいことば)』は2013年に中島美嘉に中島みゆきが提供した曲で、MBS・TBS系テレビアニメ『宇宙戦艦ヤマト2199』のエンディングテーマに採用されました。そして中島みゆき自身も翌2014年にアルバム《問題集》でセルフカバーしています。しかも1曲めという特別な位置でしてね

中島みゆきは自身の詩の解釈を徹底して読み手に任せて「黙して語らず」の姿勢を貫いていますが、この『愛詞(あいことば)』では英語の題名『PASSWORD OF LOVE』のおかげで大変に怪釈wしやすくなっている気がします。

・1番のラスト
 わかる人にしかわからない それでいい愛詞(あいことば)

・2番のラスト
 心の扉の鍵になれ ひと粒愛詞(あいことば)

なるほど、まさに<PASSWORD>ですね。このささやかな愛は厳にあなたとわたしだけのもの、他人にはわかってほしくない・・・という気持ちを表現するために<PASSWORD=愛詞(あいことば)>という語を使うとは、今さらですが中島みゆきの尋常ならざる言語センスに慄然とします。心のうちに秘めつつ相手を想いつづける苦しみはまことに厄介ですが、ま〜、これがまた甘美なんですよね〜(・x・ゞ

 ありふれた男と ありふれた女が
  群像の中で 突然の中で 特別な人になる


『愛詞(あいことば)』をひとたび交わした間柄になると、どんなに混沌とした状況でも常に<特別な人>として心の中に居続けてくれるということ、誰もが身に覚えがあることでしょう。まぁそうでない「片想い」という状況も勝手に相手を<特別な人>に仕立ててしまうモンですが、それはさておきw、恋とはそれこそ前触れもなく襲いかかってくるシロモノで、<突然の中で>「落ちる」ものでありま〜す(・o・ゞ

 願いごと増えました 独りなら願わない

この対句法のな〜んとまぁ巧みなことでしょう! だいたい、人間なんつ〜弱い存在は他者との関係が希薄だと不安に陥るwもので、孤独感とは他者から必要とされていないだけで生じるものではなく、他者を必要としないと思い込んでいるはずの「己」にも実はのしかかってくるんだよなぁ・・・と。

 ひとりでも私は生きられるけど
  でもだれかとならば 人生ははるかに違う
  強気で強気で生きてる人ほど
  些細な寂しさでつまずくものよ
『誕生』1992年)

 もしもあなたが全て正しくて とても正しくて 周りを見れば
  世にある限り全てのものは あなた以外は間違いばかり
  つらいだろうね その1日は
  嫌いな人しか 出会えない
  寒いだろうね その1生は
  軽蔑だけしか いだけない
『NOBODY IS RIGHT』2007年)

強がりは孤独の裏返し、そして、強がりは自己洗脳。あらゆるひとに<心の扉の鍵>は天から等しく用意されているはずですが、この鍵をどうやって見つけ、そしてどのように使うのかは結局は「己」次第だ!

2018年4月27日 (金)

中島みゆき 作詞/作曲『慕情』ピアノソロ:1894年ベーゼンドルファー社製ピアノ(ウィーン式アクション/85鍵)で

中島みゆきの『慕情』をアンティークピアノで弾きました。

『慕情』は、2017年のテレビ朝日系『帯ドラマ劇場・やすらぎの郷』の主題歌。2017年に発売された中島みゆきの2年ぶり通算42枚め(!)のフルオリジナルアルバム『相聞』のラストを飾る曲です。

『やすらぎの郷』は、脚本家の倉本聰が「夜のゴールデンタイムに若者向けのドラマが数多く放送され、大人の観るドラマが少ない」として企画。昭和世代にテレビの世界で活躍した人物だけが入居する老人ホーム「やすらぎの郷 La Strada」を舞台に、“家族の絆”・“友情”・“愛情”・“死”などがテーマ。テレビドラマでありながら現代のテレビのあり方に対する痛烈な皮肉や風刺に満ちていたとのこと、大重鎮たる倉本聰だからこそできたのでしょうね〜(・x・ゞ

 甘えてはいけない 時に情は無い
  手離してならぬ筈の何かを 間違えるな


この一節、普遍的な真実を語っているように思えます。この曲について言われる「人生を振り返りつつ、 改めて人を愛することの大切さを歌った歌詞」に留まらず、テレビという媒体、否、それどころかおよそ人の生き方全てに打ち込まれる一節ではないでしょうか。まぁ自分の生き方を振り返ってみても、刹那的な愉しみや惰性に流されてばかりでめっっっちゃとほほwなのですが、その結果・・・

 振り向く景色はあまりに遠い

んですよね〜〜〜〜 (´・ω・`)ショボーン

時による淘汰こそが真に残酷で情け容赦がなく、ヤマハのポプコンで賞を獲ったような選ばれしスターたちですら、だれもが中島みゆきのように40年以上もトップを走り続けられるはずもなし。しかし、賞なぞ獲ってもいないごくごく普通の人々の中にこそ手離してならぬ筈の何かをつかみ続けている真の「人生の職人」が当たり前のようにひしめいていることは、『地上の星』を例に出すまでもなくみなさんご存知でしょう。個人が残らなくとも継承されてきた「ナニか」こそが、技術であり文化であり伝統でありま〜す。

 地上にある星を誰も覚えていない
  人は空ばかり見てる
『地上の星』2000年)

星の数ほど存在するのが人生で、その圧倒的多数が手離してならぬ筈の何かに気づくことがかなわず、地上にある星にすらなれずに一生を終えてしまうのかも知れません。まぁしかし、それ自体は確かに嘆かわしいのでしょうが、ご無理ごもっともw。それであっても素敵に輝き得るのは、やはり「人を愛する」ことなのかなぁと。コレ、恋愛に限ったハナシではございませんですね。

 限りない愚かさ 限りない慕情

人生なんて綺麗事なんかでなく、それぞれが置かれた状況の狭間で悩みもがき傷つき苦しみ葛藤するもの。しかし・・・生きねばならぬ!

 ファイト!   闘う君の唄を
  闘わない奴等が笑うだろう
  ファイト!   冷たい水の中を
  ふるえながらのぼってゆけ
『ファイト!』1983年)

2018年3月16日 (金)

中島みゆき 作詞/作曲『春なのに』ピアノソロ:1894年ベーゼンドルファー社製ピアノ(ウィーン式アクション/85鍵)で

世の中は卒業式シーズン、定番ちぅの定番、中島みゆきの『春なのに』をいつもの1894年製ベーゼンドルファーで弾きました。

この曲はもともと1983年に当時17歳だった柏原芳恵のために書かれた曲。そして中島みゆき自身は、1989年のセルフ・カバーアルバム第3弾「回帰熱」の最後に『春なのに』を入れています。今さら指摘するまでもない、卒業式の情景そして青春まっただ中の揺れる心情を、ストレートであると同時に美しくつづった名曲ですね。卒業式で幾度となく繰り返されてきているごく当たり前のある意味陳腐な題材でしょうが、中島みゆきの手にかかると陳腐どころか時代が進んでも色あせない輝きを放ちますね〜。

 <記念にください ボタンをひとつ
  青い空に捨てます


いやはや・・・この一節、一度聞いたら忘れられぬくらいに強烈な一節。1983年と言えばワタクシは高校一〜二年生(同世代だeye)、歌謡曲なんぞ全く聞いていなかったのですが、これは妙〜にアタマに残っています(*´-`)



さて、柏原芳恵の唄う『春なのに』はYouTube上に数多くアップされておりますが、とりわけこの動画が秀逸と思います。



ここで柏原芳恵は「相手が自分のことを友だちとしてしか思っていなかった」という複雑なそして誰もが体験しているであろう思いを、目線の動きとフレーズ後半をため息まじりにすることで素晴らしく表現しています。このころ、柏原芳恵は詩の主人公とほぼ同じ年齢で説得力は無限大、そしてこの時代のアイドルたちって、歌手としても舞台人としても上手だったんだなぁ・・・と(・x・ゞ

対して中島みゆきのアルバム「回帰熱」版はアコーディオンによる哀愁を帯びた前奏で、なんとなく「成長してあとから思い返している」ような感覚にさせられます。日本中で毎年「卒業式」シーズンには青春の一コマを象徴する悲喜こもごもが。ワタクシのこの動画は「回帰熱」バージョンに合わせて編曲しました。

2018年2月23日 (金)

中島みゆきの生誕祭によせて『歌姫』を、1894年製ウィーン式アクションのベーゼンドルファーで

本日(2/23)は、中島みゆきの誕生日ですよ〜。
ウチの秘蔵っ子120年選手、ウィーンアクションの1894年製ベーゼンドルファーを使ったピアノソロで有名な『歌姫』をどうぞ(・o・ゞ

1982年発売のアルバム「寒水魚」の最後を飾るこの曲、稀代のストーリーテラーである中島みゆきの真骨頂の一つと言っても過言ではないでしょう。このアルバム「寒水魚」(タイトルは「熱帯魚」に対する中島みゆきの造語とのこと)およそ派手さとは無縁のアルバムですが、なんと1982年度のオリコンチャート1位を獲得しています。瞬間風速として1位にかするwことはあっても、このメンツ↓の中での1位とはハンパない価値ではないでしょうか。

 1位 寒水魚/中島みゆき ・・・ 75.7万枚
 2位 FOR YOU/山下達郎 ・・・ 69.7万枚
 3位 Nude Man/サザンオールスターズ ・・・ 69.6万枚
 4位 起承転結II/松山千春 ・・・ 66.6万枚
 5位 over/オフコース ・・・ 64.7万枚
 6位 パイナップル/松田聖子 ・・・ 58.5万枚

1980年の国勢調査によると日本の世帯数は3601万5000世帯、単純に割り算すると、当時はオリコン上位のレコードが1年間で2%程度の世帯=50世帯に1枚くらいの割合で行き渡る時代だったのですね〜。「寒水魚」のようにキャッチーさが少ないアルバムであっても、その中に秘められた中島みゆきの詩のパワーと歌唱力の高さあってのこの結果なのでしょうが・・・そんな曲をピアノという歌詞の無い楽器で弾こうとするワタクシ、我ながらアホな挑戦でございます(・x・ゞ

 <淋しいなんて 口に出したら
  誰もみんな うとましくて逃げ出してゆく
  淋しくなんかないと笑えば
  淋しい荷物 肩の上でなお重くなる


人とはすべて孤独を抱えている存在でしょうが、そんな姿を他人に見せたところで仕方ないですし、だいたい親しい友人であってもそんな「弱い自分」なんて簡単には見せられようはずがございませんね。それなのにこの1番の出だしで<淋しい>が3回も出てくるのは、刷り込みとしてかなりの効果と言えましょう。

 <南へ帰る船に遅れた
  やせた水夫 ハーモニカを吹き鳴らしてる
  砂にまみれた錆びた玩具に
  やせた蝶々 蜜をさがし舞いおりている


日本人の国民性を表しているであろう演歌は「北」志向が非常に強く、<北へ向かう>とか<北へ帰る>とかが非っ常〜にw多いです。対してこの2番の出だしの<南へ帰る>という表現は、その他歌謡曲系であっても滅多にお目にかからない印象があります。ここへ思い出してほしいのはアルバム名が「熱帯魚」ではなく「寒水魚」という、イメージとして南の温かい水ではなく北の冷たい水の中で生きている魚であること。さびれた港町の一角の荒涼と寒々しげな情景と相まって、どこか諦めのような空しさがつのるような気がします。

 <男はいつも 嘘がうまいね
  女よりも子供よりも 嘘がうまいね
  女はいつも 嘘が好きだね
  昨日よりも 明日よりも 嘘が好きだね


男は嘘がうまく、女は嘘が好き、それならば人生がみな<>になるのもむべなるかな。それでも人は嘘で塗り固めた己の人生を、空しくても諦めずに生き続けねばならぬワケでして。
・・・そういえば、かのベートーヴェンの最期の言葉とされているのは<諸君、喝采したまえ、喜劇は終わった(Plaudite, amici, comoedia finita est)>でしたっけ。
*ベートーヴェンの言葉はご多分に漏れず脚色されているそうで、正確には異なるとのことですがw

人の一生は<>みたいなもの、それを粛々と受け入れつつ生き続け、詩の各節の最後に高らかに唄いあげるのが・・・

 <夢も哀しみも欲望も 歌い流してくれ

これぞ神の一つの化身であろう『歌姫』に向かって投げかける、人生の代弁者である中島みゆきからの詩と唄を通した深く強いメッセージなのではないでしょうか。最後にやはり思い出したいのは、翌年1983年に発表されたアルバム「予感」のこれまた最後を飾る『ファイト!』というこれまたこれまた強い強〜い曲の各節の最後、皆に向かって投げつける力強いメッセージ。

 <ファイト!   闘う君の唄を
  闘わない奴等が笑うだろう
  ファイト!   冷たい水の中を
  ふるえながらのぼってゆけ


この『ファイト!』の導入部で語られる 私の敵は 私です という一言は、多少なりとも人生に揉まれた人物ならばぐっさりと突き刺さってくる刃ではないでしょうか。そして同時に最後の一節、キーをぐいっと上げて唄うのが・・・

 <ああ 小魚たちの群れきらきらと 海の中の国境を越えてゆく
  諦めという名の鎖を 身をよじってほどいてゆく


この閉塞感からの開放感、中島みゆきの詩の中でもとりわけ美しい表現なのではないでしょうか。中島みゆきの詩と唄に救われた人は想像以上に多いようですが、これら『歌姫』『ファイト!』の2曲だけでもなるほど・・・と思わされます。いやはや、恐るべし。

2018年1月22日 (月)

中島みゆき 作詞/作曲『霙の音』ピアノソロ:1894年ベーゼンドルファー社製ピアノ(ウィーン式アクション/85鍵)で

首都圏が大雪snowsnowsnowのこのタイミングですが、中島みゆきの『霙の音』をいつものウィーン式アクション1894年製ベーゼンドルファーで弾きました。

2015年発売のアルバム『組曲(Suite)』所収のこの曲、まず「みぞれ」を<霙>と漢字で表記しており、この字形と単語のモノモノしさからして、またいつものように「来る」だろうな、と身構えます。ですが、ここで中島みゆきはいつもの「失恋歌の女王」という方向wとは違う方向から主人公を唄っています。それにしても、この微妙すぎるほどの変化に満ちた歌声ときたら、ピアノという楽器でどないせぇっちゅ〜んぢゃ(・o・ゞ

 <聞きたい話じゃないでしょうけど
  好きな人ができたの私 少し前から

まさかの失恋ではなさそうな導入。しかし2番ではやはり「本命」がど〜〜〜〜〜〜しても好き、という「いつもの」主人公に。

 <本気で好きと心を決めてから
  あなたと似た声のせいだと気づいたの

まさかの導入のあとだけに、みな一様にホッとする箇所wではないでしょうか。そして実はつづく3番で、決定的な状況説明がががが。この詩、起承転結の典型例としても秀逸かと(・ω・ゞ

 <私は手札をテーブルの上に
  愚かに顕わに放り出し
  あなたは静かに窓の外を見てる
  静かに誰かを隠してる

この出口も救いもない孤独と絶望感を霙(みぞれ)と重ねあわせ、甘えたような諦めたような声色で淡々と
 <ねぇ 霙って音がするのね
と唄ってのける中島みゆきとは何者ぞ。もはや『霙の音』しか聞こえないではないか。

題名の「霙(みぞれ)」とは、雨でも雪でもない降水現象。しかも季節の変わり目という「はっきりしない」という状況ばかりでなくイレギュラーな状況をも示せる、という実に曖昧模糊とした一語ですね。中島みゆきの詩には「雨」も「雪」も極めて頻繁に登場しますが、この「霙」という<雨とも違う>そして<雪より寒い>という存在を、おそらく初めて2015年のアルバムに投下したのは・・・そっか、2015年は中島みゆきのデビュー40周年なんだなぁ・・・とかなんとか。

2017年12月 2日 (土)

中島みゆき 作詞/作曲『時代』ピアノソロ:1894年ベーゼンドルファー社製ピアノ(ウィーン式アクション/85鍵)で

今日(12/2)は、ワタクシの51歳の誕生日ですよ〜(・ω・ゞ

去年の50歳の誕生日に『誕生』をアップしてからな〜んと月イチで1年間続けてしまった、1894年製ウィーン式アクションのベーゼンドルファーで弾く中島みゆきシリーズ、2年目の皮切りは名曲の誉れ高い『時代』ですぞ (`・ω・´)シャキーン

1975年10月の第10回ポピュラーソング・コンテストでグランプリ獲得、続いて11月に第6回世界歌謡祭でもグランプリ獲得。同年12月発売のセカンド・シングル所収(B面は『傷ついた翼』、そして翌1976年のファースト・アルバム『わたしの声が聞こえますか』所収。中島みゆきのデビュー曲は『アザミ嬢のララバイ』ですが、中島みゆきを世間に知らしめたのはこの『時代』と言ってよいでしょう。

この『時代』、名曲だけにさまざまなバージョンが入り乱れており、「どんな姿が本当の『時代』か」なんつ〜のは、もはや考えても仕方がない域かと。ここはやはり初期、シンプルで透き通った、だからこそなんとも言いようのない寂しさあふれるファースト・アルバム所収のバージョンを採りました。・・・ピアノソロで弾くためのハードルを好き好んで上げちまったのは言うまでもない(・x・ゞ

 <旅を続ける  人々は
  いつか故郷に 出逢う日を
  たとえ今夜は 倒れても
  きっと信じて ドアを出る

この2番の出だし、まさに厳しく切なく果てがない人生の現実。人生を<>とするのはごく普通の概念ですが、<故郷>は生まれたところで「帰る」場所なはずなのに、ひとたび人生という旅を始めてしまったら<いつか故郷に出逢う日を>と探し求め続けるのだ・・・というところまで展開させちまっています。すなはち、故郷>を「我々は何処から来て何処へ行くのか」の「何処」と重ね合わせており、単なる励ましの詩とは到底思えません。デビュー当時23歳の中島みゆきの心の中、一体全体どのような。

・・・そう言えば、『異国』という恐ろしい曲がこの5年後1980年のアルバム『生きていてもいいですか』に。しかもアルバムの最後という (((( ;゚Д゚)))ガクブル
 <百年してもあたしは死ねない
  あたしを埋める場所などないから
  百億粒の灰になってもあたし
  帰り仕度をしつづける

2017年11月14日 (火)

中島みゆき 作詞/作曲『休石』ピアノソロ:1894年ベーゼンドルファー社製ピアノ(ウィーン式アクション/85鍵)で

中島みゆきの『休石』を、いつものウィーン式アクション1894年製ベーゼンドルファーで弾きました。

2015年発売のアルバム「組曲(Suite)」所収のこの曲、いかにも晩秋・・・というような雰囲気の美しくどこか悲しげな曲想、郷愁とか追憶とかがとっても似合う曲ですね。ここで中島みゆきは例のごとく、このような歌詞に見せかけてw強い内容を詩に織り込んでいます(・o・ゞ

 <あなたは痛む足を引き上げ引き上げながら
  登って行った 見えなくなるまで登って行った

 <「もういいよ」 伝えれぱよかった言の葉が散っている
  私は両手に掻き集め 後悔坂を這い登る

 <待ってください 呼ぶ声は切れぎれに
  日の暮れがたに 石段は長い

「あなた」に伝える想いをつづるこの詩、音楽に乗せられて聞き流すのであればラクなのですが、文字で読んでみると慄然とさせられます。中島みゆきの詩の大きな方向性である「相手への届かぬ想い」は、この『休石』の中で何故届かぬのかと言うと・・・主人公にとって「あなた」がもはやこの世にいない存在となってしまったからではないでしょうか。まぁこのように決めてしまうのは中島みゆきの詩の読み方ではないとも思いますが。見えなくなるまで登って行ってしまった「あなた」に、伝えられなかった言葉を掻き集め、後悔の念を積み重ね(「坂」ですね)、決して届かぬ想いを「待ってください」と切れ切れに。

・・・ん〜と、でも、こう考えてみると「あなた」がこの世にいる存在かどうかなんて、関係ない気もしてくるんですけどね〜。実は、これこそが中島みゆきの世界観なのかも。あららら(・x・ゞ

さて、実は中島みゆきの曲には「語り」な部分が多くて、ピアノ弾きとしてはなかなかに難儀なんですわ。なにしろ、「語り」の表現はピアノ的には「16分音符の同音連打」となるワケで、この同音連打ちぅシロモノ、そもそもが鍵盤楽器にとってかなり難しいテクニック。

この『休石』で通常の指を替える同音連打をしてしまってはカツカツな超〜ピアニスティック打撃になってしまって、「あなた」に向けて届かぬ想いを切々と綴る曲調になろうハズもなく、基本的に一本指連打で弾いています。コレ、腕や手首が固まっているかどうかのチェックにもなりますので、どうぞお楽しみ、いや、お試しくださいましね〜(・ω・ゞ

2017年10月16日 (月)

中島みゆき 作詞/作曲『萩野原』ピアノソロ:1894年ベーゼンドルファー社製ピアノ(ウィーン式アクション/85鍵)で

昨日(10/15)アップしたブラームスのop.119-1と同じ1894年製ウィーン式アクションのベーゼンドルファーピアノで、中島みゆきの『萩野原』を弾きました。雰囲気の違いを是非にお楽しみいただければ(・ω・ゞ

1991年の夜会VOL.3「KAN(邯鄲)TAN」にて未発表曲として歌われ、翌年のアルバム「EAST ASIA」に収録されているこの曲。いかにも白日夢のような心象風景のような雰囲気の曲ですが、やはり中島みゆき、ノスタルジックな夢想ばかりではなく影の部分というか問いかけをきっちり詩に織り込んでいます(・o・ゞ

2番から3番にかけてのこの部分・・・
(ここで半音上げの転調をしているのもポイント高し!)

・2番結尾
 <目をさますと 暗い部屋で泣いています
  知らぬ人の腕の中で泣いています
  思い出せるあの人は いつも少年です


・3番初め
 <なつかしい野原は今もあるのでしょうか
  いつか私が帰ってゆく白い野原は
  その中に私は 住むことができるでしょうか
  何も起きない頃のように 笑うでしょうか


「現在=現実」と「過去=想い出=夢」を対比させる、ちぅ観点はまぁ珍しい観点ではないとは思いますが、このことさらに美しい音楽(そ〜言えば「宮城野の萩」は大変に美しい萩とのこと。仙台銘菓は「萩の月」)にこの観点が載せられてしまうと・・・寂しさというより諦念すらを感じてしまいますね〜。まぁ、そりゃ、大人が現在の現実に生きるとゆ〜コトは、大事な何かを忘れる、いやむしろ捨てるとゆ〜コトですからねぃ。

それでも主人公が少女時代の純真な心を捨てずに大切にしていることは、<あの人>を<少年>として<思い出せる>ことで象徴されています。しかしその純真な心は、大人として汚れた現実(=<目をさますと>以下に象徴)の中で生き続ける中で変質したのかも知れません。だからこその不安にみちた3番の歌詞。風にそよぐ萩の花のごとく、心が揺れるようになることが「心が成長する」ということではないでしょうか。そしてこの心の揺れを抑え込んで自分を欺いて「物わかりが良くなってしまう」のが、いわゆる「オトナになる」というコトですよねん(・x・ゞ

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