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2019年9月の5件の記事

2019年9月30日 (月)

リスト『La lugubre gondora I/悲しみのゴンドラ第1』を、EHRBAR/エアバーが1928年ころに作ったアップライトピアノで

リスト(1811-1886)が最晩年(1882年)に作曲した『La lugubre gondola I/悲しみのゴンドラ第1』を、ウィーンで1928年ころに作られたEHRBAR/エアバーのアップライトピアノで弾きました。リスト(1811-1886)は大変な長命で、ブラームス(1833-1897)が亡くなったのがリストが亡くなった11年後というのはちょっと時空が歪んでいるような気さえしませんか?w

最晩年のリストのピアノ小品は調性を逸脱させようという実験的な試みがなされている・・・というような記述がそれこそそこら中にコピペされてそれで「以上、終了」な印象wを受けますが、ちょ〜っと待っていただきたい。かのワーグナー(1813-1883)が古典的機能和声の崩壊の端緒となったとされる『トリスタンとイゾルデ』を作曲したのは四半世紀も昔の1857年から1859年にかけてですし、リストはワーグナーの作品をさんざんピアノソロ編曲して熟知(我々凡人が想像すらできないレベルで「熟知」していたのも当然ですネ)していたに決まってますし、いまさらナニが「調性を逸脱させようという実験的な試み」だと思うわけで。とは言え、最晩年のピアノ曲はリストの曲としてよく知られている響きとは全く異なる響きに満ちているのもまた確かですけどね〜(・x・ゞ

このエアバーは某超絶強烈変態wピアノヲタクな知り合い(特定できちまうかナwww)の持ちものでして、ボロボロな状態で店頭に放置されていたも同然なお道具を救出できてご満悦、そりゃ〜世の中に知らしめるために動画を録って差し上げるのが、友人としての当然の努めでありま〜す(・o・ゞ

EHRBAR/エアバーは今となってはほとんど知られていませんが実はその創業は非常に古く、なんと1801年でベーゼンドルファーより古いんですよ〜。ですが1930年ころを境に生産台数がガタ落ちになっており、大恐慌(1929年)の影響をいやでも感じずにはいられません。100年ぐらい昔のウィーン周辺にはピアノのメーカーがそれこそ100社やそこらはあったワケでして、知られざるメーカーもそれこそ星の数ほど。そして古い楽器は履歴の個体差こそがその楽器の個性、という一面もございます。唯一無二の響きをどうぞ!

2019年9月29日 (日)

1878年製スタインウェイ社製スクウェアピアノコンサート by 西野智也

今年はチェコフェスティバルには不義理して、市川駅すぐの隠れ家的な工房までピアノマニアな 西野智也 氏(ワタクシの周りはこんなヤツばっかw)によるスクエアピアノコンサートの応援に参上っ(`・ω・´)

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スタインウェイ1878年製88鍵でなんと3本ペダルというバケモノ。1878年当時はソステヌートペダルを搭載しているピアノ自体がめっちゃレアだったのですから、ま〜驚くまいことか。古き佳き亜米利加の夢と希望がてんこ盛りな逸品でございました。

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スクエアピアノの修復はなかなか厄介(というかめっちゃ面倒σ^_^;)で音響振動を与えては再調整の繰り返しにやたらと時間がかかるのですが、響板が超絶に健康で割れ一つないのが奇跡的。これからどんな楽器によみがえっていくのか楽しみですね〜(*´-`)

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2019年9月23日 (月)

古き佳き時代をめぐる旅路@大宮公園

一昨日(9/21)原宿のカーサ・モーツァルト所蔵1920年代のベヒシュタインK型と同時代のフルートの共演は盛況、ありがとうございました!

さておつぎは10月5日に大宮公園にて、1927年製ベヒシュタインL型(165cm)を使ったソロ演奏会です。選曲は我ながらオモロくできた感触ありですよ〜 (`・ω・´)

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・*:..。o♬*゚・*:..。o♬*゚・*:..。o♬*゚・*:..。o♬*゚

古き佳き時代をめぐる旅路
100年前のベヒシュタインピアノで愉しむ


ベヒシュタインピアノ:筒井 一貴

2019年10月5日(土)14時開演(13時半開場)
3000円(手作りケーキ&紅茶付/40名要予約)
大宮公園、バッハアカデミー(さいたま市大宮区寿能町2−210−2)

主催 バッハアカデミー http://www002.upp.so-net.ne.jp/bach/
問合せ bach@zb3.so-net.ne.jp(バッハアカデミー)
bergheil69@me.com(筒井)  

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E.サティ (1866−1925)
 『星たちの息子』への3つの前奏曲(1891)
J.ハイドン (1697-1773)
 ソナタ Hob.XVI:20 ハ短調(1771)
F.リスト (1811−1886)
 悲しみのゴンドラ第1(1882)
L.v.ベートーヴェン (1770−1827)
 ピアノソナタ第17番(テンペスト)op.31-2 ニ短調(1801/02)

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2019年9月16日 (月)

自動演奏ピアノ110年の歴史をたどる聴き比べコンサート@ピアノプラザ群馬

昨日(9/15)はひさびさに高崎のピアノプラザ群馬を訪問。SP時代のピアノ録音の発掘&再評価に命を懸ける サクラフォン夏目久生氏 と超絶ピアノヲタクな 松原聡氏 による、1916年製スタインウェイロール式ピアノ、ヤマハ・ディスクラヴィア、スタインウェイ"SPIRIO" の3台を使って自動演奏ピアノ110年の歴史をたどる聴き比べコンサートなんて、世界広しといえどもなかなかナイですからね〜 (`・ω・´)


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100年前の自動ピアノは紙に孔を開けて演奏を記録するという現代人にとっては冗談のような機構ですが、さすがにこの時代の人類の血と汗と涙と怨念が込められているだけあって、コレがむちゃくちゃすんげぃんですわ。とりわけ、ショパンの衣鉢を継ぐフランシス・プランテ(1839-1934) の「華麗なる大ポロネーズOp.22」にはシビれさせられっぱなし。


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まぁ、現代人である限りは簡単には逃れられないであろう「揃える」という方向性のもたらす功罪、どのように自分の中で折り合いをつけていくかが大変に難しいことも同時に突きつけられました。どないせぃっちゅ〜んじゃw

2019年9月 7日 (土)

中島みゆき 作詞/作曲『ひとり上手』ソロ:モーツァルトの旅行用クラヴィコード(1763, J.A.Stein)の複製(2002年)で

中島みゆきの『ひとり上手』を、かの神童モーツァルトが7歳のとき(1763年)に買ってもらったJ.A.シュタイン製の旅行用クラヴィコードの複製で弾きました。ん? 歴史的楽器で現代の音楽を弾く必然性? 別に全っ然ございませんがナニか? ( ̄ー ̄)

クラヴィコードはピアノ以前の鍵盤楽器のなかで最も大切とされていたフシがあり、現代古楽器界w周辺では「独りで音楽の神さまと向き合う」ための楽器とみなされて過度に神聖化wされていたりします。ですが、実は、そのような内なる世界は優しく親密な世界でもあるはずで、現代人にとって大切なのはむしろ後者の性格ですよね。なお、クラヴィコードの音量は世人の想像を超えて小さいですから、背景のノイズが気にならない程度の音量に抑えたうえで少〜し耳を澄ませてくださいませ。聴こえてきますよ〜(・o・ゞ

『ひとり上手』は1981年のアルバム《臨月》の中の一曲ですが、それに先行して1980年にシングルで発売されています。1977年にシングルで発売され、1978年のアルバム《愛していると云ってくれ》所収の『わかれうた』ほどの大ヒット(オリコンシングルチャート1位を獲得!)にこそなりませんでしたが、まさに「ふられソングの女王」としての面目躍如。フラれたときの複雑にねじ曲がった心の動きをこんなにも単刀直入に表現できるのは、やはり言葉の選び方が と び っ き り なんでしょうね〜。

さて、一番の歌詞全体をどうぞ。

 私の帰る家は
  あなたの声のする街角
  冬の雨に打たれて
  あなたの足音をさがすのよ

  あなたの帰る家は
  私を忘れたい街角
  肩を抱いているのは
  私と似ていない長い髪

  心が街角で泣いている
  ひとりはキライだとすねる
  ひとり上手とよばないで
  心だけ連れてゆかないで
  私を置いてゆかないで
  ひとりが好きなわけじゃないのよ


未練たっぷりの主人公に、すでに「済んだコト」として気にも止めていない昔のオトコ。いやそれどころか、その昔のオトコは主人公のことをひとり上手な女だからオレがいなくたって大丈夫だろ・・・とすら思っているようにすら読めます。中島みゆきの詩によ〜く登場する「ちょっと恋して(恋した気になって)すぐ独りになってしまう女」ですね〜。

 わかれはいつもついて来る 幸せの後ろをついて来る
  それが私のクセなのか いつも目覚めれば独り
『わかれうた』1977年)

 あの人は言う 街角で言う
  別れやすい奴だってさ
『グッバイ ガール』1989年)

ひとり上手>と思われてしまう主人公の芸風wにもいささかの問題はありましょうが、オトコってぇヤツは、ま〜、なんつ〜か、身勝手なヤツでございますね〜。まぁ人間世界、ま〜さかこんなパターンだけなハズはございませんが、中島みゆきの詩ですから泣くのは基本的に主人公のオンナなのでありま〜す ヽ( ̄▽ ̄)ノ

オンナでもオトコでも<ひとり上手>と自称していようが他称されていようが、程度の差こそあれひとりでは生きて行けないのがいわゆる社会的存在である人間。だからこそ、ラストの < ひ と り が 好 き な わ け じ ゃ な い の よ > という表現に大きな説得力が生まれるのではないでしょうか。それなのに、意識がお高くあらせられて「自分は世の中と一線を画していて、自分の美意識に生きている!」とかなんとか世間さまに猛アピールする方々が少なくないのには失笑を禁じ得ません。世間さまに猛アピールすること自体が独立独歩とは真逆でナンセンスの極みであることに気づけないおめでたい方々こそが「ひとりが好き」なんでしょね。否、「ひとりが好きな自分が好き」な自己愛をこじらせた連中でありま〜す。ネット歴が無駄に長いワタクシゆえ「本当は群れるのはキライなんだけど、ナゼか素敵な人たちが集まってくれて感謝してます」な〜んて発言を目にしたことは何度となくございますが、この十重二十重に歪みきった精神にはさすがに病理を感じてゾッとしますね〜 (((( ;゚Д゚)))

 争う人は正しさを説く  正しさゆえの争いを説く
  その正しさは気分がいいか
  正しさの勝利が気分いいんじゃないのか
『Nobody is Right』2007年)

いろいろ逸脱してすんません。こんな長い駄文をココまで読んでくださった貴方、ホント、心から感謝しております(・x・ゞ

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