フォト

カテゴリー

« 2017年11月 | トップページ | 2018年1月 »

2017年12月の12件の記事

2017年12月30日 (土)

一人忘年怪&2018年3月4日演奏怪ほぼ決定!

いよいよおしせまった30日、地元というにはちょっとだけ離れていますが、スカイツリーの根っこの「日本酒と器」の店:押上文庫にて一人忘年怪ヽ(´▽`)/

26047049_1515772695208130_391058786

ここにはご店主所有の、手ごわい手ごわい1959年製ハンブルクスタインウェイがございまして・・・実は持ち主のご店主の方がもっと愉しく手ごわかったりするのですがw。ワタクシ、幸いにもこのお宝を鳴らせられそうだと認めていただけたようで、3月4日の日曜日の午後(おそらく14時怪演w)に演奏怪ができそうです(`・ω・´)

26046960_1515772691874797_835848935

ウィルヘルム・ケンプが活躍していた時代のハンブルク・スタインウェイですし、やはり独逸なプログラムのつもりです。

26047140_1515772741874792_417084899

みなさま、どうぞよろしくお願いします。そして酔いお年をお迎えくださいませ!m(._.)m

2017年12月28日 (木)

大中寅二 作曲『前奏曲 No.K262 イ長調』を、1928年製西川リードオルガンで

さて、昨日(12/27)に引き続き、リードオルガンの動画です。今日は大中寅二(1896-1982)による、まさにリードオルガンだけを念頭に書かれた曲です。

大中寅二はゆうに1000曲を超すリードオルガン曲を作曲したと言われておりますが、すっっっかり忘れられてしまっています。大中寅二 作曲(1966(昭和41)年11月4日)、前奏曲 No.K262 イ長調 を、渡邉祐治氏による丁寧な修復を経てよみがえった、1928年西川オルガン改め日本楽器横浜工場製の小型リードオルガンで弾きました。小型のリードオルガンは風袋が小さいので足踏みペダルで生み出す「息」が波打ちやすいのですが、シンプルで軽いためでしょうか、反応と鳴りの良さが素晴らしいです。

日本楽器=ヤマハ製とは言え、この横浜工場は西川オルガンの工場を買収したもので、オルガンの設計も製作も西川オルガン当時ほぼそのままだったとのことで「西川オルガン」と言って差し支えない楽器です。音域はヘ音記号で少し下に飛び出た「ド」〜ト音記号で少し上に飛び出た「ド」までの4オクターヴ、なるほど、ピアノ弾きが普通に見ている上下二段の「大譜表」の音域にも意味がありそうな気がしませんかの?(・ω・ゞ

2017年12月27日 (水)

鷲見五郎 作曲『前奏曲 イ短調』を、1954年製ヤマハ5号リードオルガンで

音楽産業の最大手YAMAHAの始まりは、創業者の山葉寅楠が足踏みオルガンであるリードオルガンを製作したところから・・・とご存知の方は特にピアノな方々には相当に少ないのではないでしょうか。明治維新ごろのいわゆる「洋楽導入」から第二次大戦後しばらくまでの長い間、市井の人々の音楽の大切な部分をリードオルガンが占めていたことも、なんと100万台を超す楽器が世に出ていたことも、現代ではすっかり忘れ去られてしまいました。

現代は電気モーターのおかげでオルガニストは「風の送り方」を考えずに音が出せるようになりましたが、実はそれはオルガンが管楽器であることを無視しても大丈夫になったということです。何百年も昔に電気が使えていたハズはなくw、本来はどんなに大きなパイプオルガンでも人間が風を送っていました。風の送り方は管楽器で言えば息の送り方、すなはち自力で「音楽を活かせる風の送り方」ができてはじめてオルガン音楽が理解できることに他ならず、足踏みオルガンを知らないオルガニストが少なくない現代って幸せな時代であるのか・・・実は大問題だったりします(・x・ゞ

・・・まぁここまで難しく言わなくても、単純にリードオルガンの素直で温かくしかも演奏者の悪知恵w次第で多種多彩な表現ができる魅力は、一部の世界だけに留めさせるにはあまりにも惜しい素敵な世界、ということなのですが(・o・ゞ

このリードオルガンの世界に大中寅二とともに大きな意義を感じていたのが鷲見五郎(1916-2000)です。氏の作曲による『前奏曲 イ短調』を、おなじみ渡邉祐治氏による丁寧な修復を経てよみがえった、1954(昭和29)年ヤマハ製5号オルガンで弾きました。木部が合板でなく無垢材だった最後の世代の楽器、堂々とした鳴りっぷりにシビれますよ〜(・ω・ゞ

2017年12月24日 (日)

ポリカーボネート中空板で簡易二重窓のでっちあげ〜

年賀状の印刷発注も済み、延ばし延ばしにしていた日曜大工をここ一週間でのんびりと・・・日曜大工ぢゃナイかヽ(´▽`)/

ウチは築50年のオンボロ高層住宅、おかげで家賃が安めでめっちゃ助かっておるのですが・・・ご多聞にもれず断熱がダメダメで、母親ともども寒がりなので大〜変っ。よ〜やっと重すぎる腰を上げて、数年前から知っていたw簡易二重窓シロウト施工を敢行しましたぞよ(`・ω・´)

まぁ実はそれほど難しいコトではなく、既存の窓サッシが取り付けられている木枠に塩ビ製のガラス戸用レールを両面テープで貼って、そこにポリカーボネート製中空板をはめ込む・・・という「測って切って貼るだけw」ミッション(まぁコレが基本か)。一週間ぐらいかけてガラス戸用レールの貼りつけを四辺とも済ませておくのが、手早く済ませるカギ。

25659267_1510240809094652_402006458

ポリカ中空板は「ツインカーボ」という4mm厚の、まさに断熱のためにあるような素材。サブロクの定尺で、カッターナイフで地道にスジをつけていけば簡単に切断完了。短くなっちまうとマトモにハマらないので、寸法取りは慎重に慎重を期して。切断用の長い定規も安くないので、ツインカーボのしなり防止の角材を援用w

25593849_1510240829094650_189422161

・・・効果は歴然、バシャバシャだった結露が止まって、暖房の効きも明らかに怪善しました。東側の2.6m幅の窓が91cm幅のポリカ中空板3枚でウマく重なりを取って塞げられたのはツイてたなぁと( ̄∇ ̄)

25591669_1510240792427987_128941463

このシロウト施工例はネット上にけっこう転がっているので、気になる方はググれば良いレポートが見つかりますよ〜ヽ(´▽`)/

2017年12月23日 (土)

シベリウスの『樅の木 op.75-5』を、ウィーン式アクションの1894年製ベーゼンドルファーで

クリスマスシーズンにはチト遅れをとった模様ですがxmas・・・シベリウスのピアノ小品集 op.75より、第5曲『もみの木』です。この op.75 は北欧のピアノ曲を多数紹介してきた舘野泉氏の校訂による全音版につけられた「樹の組曲」という愛称で知られていますが、念のため、これはシベリウスがつけた名称ではなくあくまでも舘野氏による提案にすぎない、ということが楽譜に明記されています。

シベリウスは1865年に生まれて1957年に亡くなっているという大変に長命な作曲家・・・ということは、著作権が死後70年の国ではまだ切れていないという驚きが。シベリウスはピアノよりもむしろヴァイオリンが良く弾ける作曲家で、50歳にしてようやくスタインウェイのピアノを新品でプレゼントされたとのこと。この動画の op.75 は1914年の作曲ですから、実はこの1年前のことだったのでした。

この動画では1894年製のベーゼンドルファーを使っています。シベリウスが有名な交響詩『フィンランディア』を書いた5年前、50歳以前の(以後でもw)シベリウスがどのようなイメージをピアノに持っていたかは憶測する以外に手だてがありません(手だてと云うのか?www)が、論より証拠で一つの方向性が聴こえるかもしれませんよ〜。50歳以前の(以後でもw)シベリウスがどのようなイメージをピアノに持っていたかは憶測する以外に手だてがありませんが、論より証拠で一つの方向性が聴こえるかもしれませんよ〜。シベリウスが1889年にベルリンに留学し、さらにウィーンでも学んでいる・・・ということは、心に留めておいても悪くなさそうな(・o・ゞ

2017年12月18日 (月)

12月16日『チェンバロは語り、歌い、踊る ACT.6』実況動画:ロワイエ『クラヴサン組曲』より『Le Vertigo/めまい』を、フレンチクラヴサンで

2017年12月16日におこなった演奏会『チェンバロは語り、歌い、踊る ACT.6』本編後半で弾いた、ロワイエ(c.1705-1755)の「クラヴサン曲集」より『Le Vertigo/めまい』です。

ロワイエの「クラヴサン曲集」の出版は1746年・・・ということはJ.S.バッハの亡くなる4年前であると同時に、W.A.モーツァルトが生まれるたった10年前だったりします。おふらんすなバロック音楽の世界が爛熟していた時代のクラヴサン音楽で、とりわけこの動画の『Le Vertigo/めまい』はかなりぶっ飛んでいますよ〜 (`・ω・´)シャキーン

チェンバロは優雅で繊細でか弱い楽器・・・という美しいイメージ自体は決して誤りではございませんが、それだけに留まる楽器では、ピアノの誕生以前の鍵盤楽器として表舞台に立ち続けられるハズがございませぬ。時代も国も違えば言葉も楽器の好みも異なってくるのは理の当然でして、現代のようにいわゆる「グローバライゼイション」に対する一面的理解のもとに画一化がまかり通ることなんぞあろうはずがない、多種多様で豊かな世界が昔の世界だったのでしょう。論より証拠、このような世界もチェンバロの世界の一面です。どうぞお楽しみくださいませ!

2017年12月17日 (日)

とん平@登戸

昨日(12/16)の演奏会:チェンバロは語り、歌い、踊る act.6、みなさまご来場いただきありがとうございました!

25398063_1406027792856514_306785562

ワタクシ雨男にもかかわらず良く晴れたおかげで、会場が温室になってw暑くなってしまったのが驚きでしたがσ^_^;

25348559_1503497513102315_910579027

終演後、一年半前に見つけて渋さにぶっ飛んだ登戸駅前の「とん平」へ。ホントに登戸駅前すぐそばなのに、ガス管も下水管もなしのこの一角の不可思議さよ。トイレが ま さ か の 非 水 洗 ボ ッ ト ン 便 所 であるのが、いろんな意味でwまことに香ばしくヽ(´▽`)/

25354081_1503497509768982_801143183

駅前再開発がすぐ側まで進んで脇まで更地になってしまいましたが、まだ二年は続けられるそうでこれまたビックリ。女将が一人で切り盛りしているので手早さはありませんが、そもそもこ〜ゆ〜トコで手早さを求めるのが間違いでありま〜す。・・・しかも計算はそろばん!( ̄∇ ̄)

25443244_1503497519768981_498883226

2017年12月11日 (月)

12月16日/チェンバロは語り、歌い、踊る ACT.6@世田谷、松本記念音楽迎賓館

さて今年も残すところ3週間、今週末の土曜日はチェンバロの演奏会ですぞ!

2017年12月16日(土)14時開演(13時半開場)
世田谷、松本記念音楽迎賓館(世田谷区岡本2-32-15)
4000円(当日精算/50名)
共催 松本記念音楽迎賓館
申し込み 03-3709-5951(松本記念音楽迎賓館)
  bergheil69@me.com(筒井)

10497300_614459078672834_1940906180

世田谷の閑静な超高級住宅街の一角、パイオニアの創業者である故松本望氏の邸宅を、その遺志にもとづいて一般に開放している「松本記念音楽迎賓館」があります。
・・・閑静な超高級住宅地、ということは不便、ということでもありますが、チェンバロの(に限らずですが)演奏会には何と言っても雰囲気が大切であります。最大50名しか入れない木をふんだんに使ったホールで、チェンバロは水を得た魚のごとく響き渡ります。
是非ともその雰囲気を「浴びに」いらっしゃってくださいませ!


<プログラム>
 ルイ・マルシャン (1669-1732) 「クラヴサン曲集第二巻」
 J-P. ラモー (1683-1764) 「新しいクラヴサン曲集」より
                未開人、エンハーモニック、エジプトの女
 J-N-P. ロワイエ (1705?-1755) 「クラヴサン曲集」抜粋

2017年12月 7日 (木)

大中寅二 作曲『前奏曲 No.K255 ヘ長調』を、1954年製ヤマハ5号リードオルガンで

音楽産業の最大手YAMAHAの始まりは、創業者の山葉寅楠が足踏みオルガンであるリードオルガンを製作したところから・・・とご存知の方はなかなかおられないのではないでしょうか。明治維新当時のいわゆる「洋楽導入」から(織田信長周辺など、とかいうツッコミがアサッテなのはわかってますねw)第二次大戦後しばらくまでの長い間、市井の人々の音楽の大切な部分をリードオルガンが占めていたことも、なんと100万台を超す楽器が世に出ていたことも、現代ではすっかり忘れ去られてしまいました。

自分でふいごを足で踏んで送風するというコトは音楽の性格に応じて送風を加減できる・・・というコトで、すなはち、リードオルガンはクラヴィコード同様にヴィブラートがかけられる鍵盤楽器でもあり、演奏者の悪知恵w次第で多種多彩な表現ができるのでありま〜す。この魅力は、一部の世界だけに留めさせるにはあまりにも惜しい、否、皆が知っていなければならぬ世界ではないでしょうか (`・ω・´)シャキーン

このリードオルガンの世界に大きな意義を感じていたのが、国民歌謡『椰子の実』の作曲者として歴史に名を残す、大中寅二(1896-1982)です。ゆうに1000曲を超すリードオルガン曲を作曲したと言われておりますが、これまたすっかり忘れられてしまっています。大中寅二 作曲前奏曲 No.K255 ヘ長調(1966(昭和41)年10月20日) を、おなじみ渡邉祐治氏による丁寧な修復を経てよみがえった、1954(昭和29)年ヤマハ製5号オルガンで弾きました。木部が合板でなく無垢材だった最後の世代の楽器、堂々とした鳴りっぷりにシビれますよ〜(・ω・ゞ

2017年12月 5日 (火)

12月2日『リードオルガン解体新書』実況動画:フランク『ニ長調とニ短調のための7つの小品』より第3曲を、1954年製ヤマハ5号リードオルガンで

2017年12月2日、高崎のアトリエミストラルで行ったワークショップ&コンサート『リードオルガン解体新書』。使ったリードオルガンは、おなじみ渡邉祐治氏の修復による、YAMAHAの1954年製5号オルガン。この5号オルガンは戦後まで長〜く作り続けられたモデルで、木部が合板でなく無垢材の時代の生き残りです。

実況録画の一部をご紹介〜。曲は、フランクが最晩年に作曲し続け、その悲劇的な死(1890.11.8.)によって中断されてしまった、ハルモニウムのための曲集:『L'Organiste』より『ニ長調とニ短調による7つの小品』の第3曲です。

明治維新後から第二次大戦後しばらくまでのかなり長い間、市井の人々の音楽のかなり大切な部分をリードオルガンが占めていたことは、ほぼ忘れ去られてしまいました。まぁ一時期歴史を担っていたというだけで意味があるほど単純な世界ではございませんwが、自分でふいごを足で踏んで送風する、という本質的にファジーな楽器がリードオルガン。この素直で温かくしかも演奏者の悪知恵w次第で多種多彩な表現ができる魅力は、一部の世界だけに留めさせるにはあまりにも惜しい素敵な世界です。リードオルガン復権、そろそろ機は熟しているのではないでしょうか (`・ω・´)シャキーン

César Franck(1822-1890) - No.3 of "Sept pièces en re majeur et re mineur" from "L'Organiste" on a YAMAHA No.5 reed organ(1954) restored by Yuji Watanabe, JAPAN

2017年12月 3日 (日)

佐野青竹手打ちらーめん 王将@太田市

本日(12/3)も、せっかくなのでリードオルガンでYouTube用の動画を収録しようと、アトリエミストラル襲撃(`・ω・´)

24294303_1490167927768607_478562777

リードオルガン修復の渡邉氏も通りすがり、少しでも電車賃の安い館林から帰宅。途中に見つけましたの「佐野青竹手打ちらーめん 王将」ヽ(´▽`)/

24174682_1490167924435274_884063117

人気店らしく、18時開店と同時に行列、確かに納得の醤油ラーメンもつ煮セットでした。おなかいっぱい(^^)

24231881_1490175557767844_260541147

2017年12月 2日 (土)

中島みゆき 作詞/作曲『時代』ピアノソロ:1894年ベーゼンドルファー社製ピアノ(ウィーン式アクション/85鍵)で

今日(12/2)は、ワタクシの51歳の誕生日ですよ〜(・ω・ゞ

去年の50歳の誕生日に『誕生』をアップしてからな〜んと月イチで1年間続けてしまった、1894年製ウィーン式アクションのベーゼンドルファーで弾く中島みゆきシリーズ、2年目の皮切りは名曲の誉れ高い『時代』ですぞ (`・ω・´)シャキーン

1975年10月の第10回ポピュラーソング・コンテストでグランプリ獲得、続いて11月に第6回世界歌謡祭でもグランプリ獲得。同年12月発売のセカンド・シングル所収(B面は『傷ついた翼』、そして翌1976年のファースト・アルバム『わたしの声が聞こえますか』所収。中島みゆきのデビュー曲は『アザミ嬢のララバイ』ですが、中島みゆきを世間に知らしめたのはこの『時代』と言ってよいでしょう。

この『時代』、名曲だけにさまざまなバージョンが入り乱れており、「どんな姿が本当の『時代』か」なんつ〜のは、もはや考えても仕方がない域かと。ここはやはり初期、シンプルで透き通った、だからこそなんとも言いようのない寂しさあふれるファースト・アルバム所収のバージョンを採りました。・・・ピアノソロで弾くためのハードルを好き好んで上げちまったのは言うまでもない(・x・ゞ

旅を続ける  人々は
 いつか故郷に 出逢う日を
 たとえ今夜は 倒れても
 きっと信じて ドアを出る

この2番の出だし、まさに厳しく切なく果てがない人生の現実。人生を<>とするのはごく普通の概念ですが、<故郷>は生まれたところで「帰る」場所なはずなのに、ひとたび人生という旅を始めてしまったら<いつか故郷に出逢う日を>と探し求め続けるのだ・・・というところまで展開させちまっています。すなはち、故郷>を「我々は何処から来て何処へ行くのか」の「何処」と重ね合わせており、単なる励ましの詩とは到底思えません。デビュー当時23歳の中島みゆきの心の中、一体全体どのような。

・・・そう言えば、『異国』という恐ろしい曲がこの5年後1980年のアルバム『生きていてもいいですか』に。しかもアルバムの最後という (((( ;゚Д゚)))ガクブル
百年してもあたしは死ねない
 あたしを埋める場所などないから
 百億粒の灰になってもあたし
 帰り仕度をしつづける

« 2017年11月 | トップページ | 2018年1月 »

2018年1月
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31      

最近のコメント

無料ブログはココログ