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2019年10月18日 (金)

ROS Gathering 2019 二日め

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ROS gathering 2019 の2日め、まさかのw快晴で放射冷却のためか朝の気温が0度だったのにビックリ。紅葉が綺麗なのは期待通りでやったぜの朝(*´-`)

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修復工房併設の博物館なので(逆かもw)基本のお題が修復なのは当然のこと。調律&整音講座、風袋(ふうたい、空気袋のこと)張替の実演そしてリードオルガン演奏法解説に加えて、まさかのエジソン蝋管録音オリジナルを再生しながらの讃美歌講座、という大充実の一日(`・ω・´)

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アメリカはメシが決してウマくないのは織り込み済みですが、会場で供された lunch も supper もおそらく手づくりで美味だったのが嬉しい誤算(・x・ゞ

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風袋の張替えはくっそ面倒で時間がかかるのに、ま〜オトコのコたちってば疲れも見せずにしゃべくりながらだらだらと眺めつづけられるんですね〜。

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さすがに一人減り二人減りでしたけど(^o^;;;

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空き時間にはオルガンそっちのけでジグソーパズルに興ずる女性軍も。我が英語力が壊滅的なのがなんとも残念でありま〜すσ^_^;

2019年10月17日 (木)

Conklin Reed Organ & History Museum, MI

実はメキシコは単なるトランジットでトロントまで飛んだので、いはゆる「南回り」だったんですね〜(^o^;

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さて、今回の目的は2年前にも参加した『ROS gahering 2019』でして、トロントから550kmぐらい、国境を越えたアメリカのわずか人口450人弱の小さな村にある、なななんとリードオルガンが100台もある博物館(`・ω・´)

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まぁ「fully restored」なワリには雑で音が出ない個体も少なからずですが、この威容を見てしまうと、そこに触れるのはヤボですね。

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2年ぶりの再会を喜びたいところなのですが、相〜変わらず我が英語力が破滅的なのが残念で。まぁ冗談のように安い航空券のおかげで二年前に引き続き来ることができたのでよしとしましょ(*´-`)

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2019年10月16日 (水)

メキシコシティの屋台通りすがりの巻

Aeromexico 航空の激安チケットが転がりこんで、まさかの中南米初体験となりましてな(`・ω・´)

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メキシコシティ空港でのトランジット6時間の間でちょっとだけ地下鉄に乗って2駅の Pantitran で降りたら、なんとも香ばしい雰囲気に大興奮。

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適当に歩いたら地下鉄の跨線橋に出くわして、見下ろしたらさっそく見つけましたの屋台通り (*´-`)

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やはり本場の屋台で食うタコスではなくトルタ( torta 、メキシコ風ホットサンド)はむっちゃウマいのなんの。言葉なんて通じなくても大丈夫!(実はタコスを頼んだつもりでトルタになったのはココだけのハナシw)

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この通りは空港第二ターミナルに続いているのになんとも庶民的な通りで、治安が悪くて有名との解釈もまぁ理解できなくもないかも(^^;;;

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2019年10月12日 (土)

フロール・ペーテルス『OFFRANDE』を、100年前の大型リードオルガンで

ボストン近郊の Bridgewater で1930年代始めまで頑張っていたパッカード社1905年製の大型棚つきリードオルガンで、Flor Peeters(1903-1986) の「60の小品集」より『OFFRANDE/お供えもの』を弾きました。

この手の大型棚つきリードオルガンは100年ちょい昔の北米にはごく普通にあった楽器です。見た目はパイプオルガンに匹敵するくらいに派手ですが、実は普通の箱型のリードオルガンの上に豪華な装飾棚(しかも意外と軽いw)を載せているだけなので、構造や機能自体は普通のリードオルガンと一緒と考えて差し支えないのでした。見た目で身構える必要は全〜然ないんですよ〜(・o・ゞ

Flor Peeters/フロール・ペーテルス(1903-1986)はベルギーで活躍した作曲家&オルガニストです。くくりとしては一応「現代作曲家」ですが、作曲は基本的に古いスタイルでおこなっています。この「60の小品集」の出版は1955年で、とりわけ親しみやすい小品の数々が手鍵盤のみで弾けるように書かれています。まことに魅力的な作品集ですぞ。

リードオルガンの魅力は大向こうをウナらせるような超絶技巧では断じてなく、柔らかく優しい世界観にこそ。忙しすぎる現代人にこそ、この世界でユルんでいただきたいなぁと思ってやまないワタクシでありま〜す。

2019年10月11日 (金)

『YELL - いきものがかり』を、100年ちょい前の大型リードオルガンで

いきものがかりの『YELL(2009年)』を、100年ちょい前の1905年に北アメリカのパッカード社で作られた棚付きリードオルガンで弾いてみました。現代の音楽に100年前のリードオルガンをどこまで追随させられるか、どうぞお愉しみくださいませ!(`・ω・´)

リードオルガン(足踏みオルガン)はロクに修復がなされていないことが少なからず、そのためもあって「懐かしいね〜」だけで強制終了wされてしまいがちな楽器ですが、実はマトモなリードオルガンは多彩な表現ができる可能性に満ちた楽器なんですよ〜。リードオルガンは現代的合理的な設計がされておらず修復の労が「 馬 鹿 馬 鹿 し い く ら い に 面 倒 」なのですが、館林の渡邉祐治氏はその馬鹿馬鹿しさをゴマかさずに根本から精密にできる希有の大職人です。

リードオルガン修復:渡邉祐治
https://www.youtube.com/channel/UCSiix1iGPuO6XR54th_BjHw

「100%理想的な状態」というのがやはり理想論でしかあり得ないのは、人間稼業を続けていれば感づかれているかと思います。多かれ少なかれ限定された状況で「カタチにして仕上げる」ためにはやはり愚直で泥臭い作業に勝るものはなし、渡邉氏の手にかかったリードオルガンを弾くたびに、ホント痛感させられます。

いわゆるクラシック音楽な作曲家でオルガンを弾いていたヒトがかなり多いという史実、意外と重要視されない印象があります。また、壮大華麗な大パイプオルガンだけがオルガンではなく、リードオルガンやハルモニウムなどの足踏み送風式のオルガンは100年ちょい昔の欧米ではごくごく普通に目にするような楽器だったこともなかなか着目されません。さらには日本でも明治維新後に最初に広まったどこにでもあった鍵盤楽器はリードオルガンで、かのヤマハもカワイもオルガン製造から会社を興したのですが、電子ピアノ隆盛の現代では「ナニそれ?」だったりするのがまことに遺憾ですね〜 (´・_・`)

2019年10月10日 (木)

ハイドンの『ソナタ Hob.XVI:20 ハ短調』から第二楽章を、バッハアカデミー(大宮公園)の1927年製ベヒシュタインL型(165cm)で

大宮公園の「バッハアカデミー」主宰の山田康弘氏が「ドミソを弾いただけで惚れ込んだ」・・・という、まさに運命的な出会いをした1927年製のベヒシュタインL型(165cm)を使って2019年10月5日におこなった演奏会:古き佳き時代をめぐる旅路 の実況録画です。ハイドンの中期の傑作と言われる『ソナタ Hob.XVI:20 ハ短調』から第二楽章を、最初っから最後まで右ペダルをベタ踏みしっぱなしで 弾いていてみました (`・ω・´)
・バッハアカデミー:http://www002.upp.so-net.ne.jp/bach/

ハイドンやモーツァルトの時代のフォルテピアノのダンパー機構は「膝レバー」であったと信じられて疑いないようですが、実はかなりの割合でもっと古い「ハンドストップ(=手動式)」という機構だったのです。ということは細かいパダル操作は全く不可能で、ダンパーを上げるならしばらく上げっぱなし、という使い方だったのですよ〜。まぁそれを現代の楽器に無批判で使うのは愚の骨頂ではあるのですが、古いベヒシュタインという音それぞれが混ざらずに別れて聴こえるピアノを弾く機会に恵まれたのならば試したくなる、ってぇのは悪知恵(悪ノリとも言うw)なオトコのコとして当然の姿でありま〜す。どうぞご期待くださいませ〜。

つくづく思いますが、楽器って新しい古いに関わらず「出会った必然」を耳にすることが少なくなく、なんだかわからないですが「単なるモノ」ではない存在なんですよね〜。まぁ現代の工場で作るような楽器に比べれば、古い楽器の方が作り手が込める手の力そして意思の力ははるかに強かったであろうことは容易に想像できますし、古い楽器の方が「いろんな運命」を感じることが多いような気もしますが、電子楽器の周りであっても「出会いの感動」はちゃぁんと存在しているようです。このベヒシュタインL型がバッハアカデミーにやってきたのは2018年4月とのこと、1年半を経て空気にもなじんできたことでしょう、光栄にもお声をかけていただけて演奏会ができました。古いベヒシュタインで良い修復がされているようで、古臭い音色ではなく現代的に平板になりやすい(おっとw)わけでもない、という素晴らしい楽器です。

 

2019年10月 9日 (水)

ショパン『前奏曲 op.28-4 ホ短調』を、100年前の大型リードオルガンで

ボストン近郊の Bridgewater で1930年代始めまで頑張っていたパッカード社1905年製の大型棚つきリードオルガンで、Chopin(1810-1849) の『24の前奏曲 op.28』から、第4番ホ短調を弾きました。

ショパンは、この曲と第6番ロ短調そしてモーツァルトのレクイエムを葬式で演奏して欲しいという遺言を遺して旅立ちました。ショパンは学生時代にピアノだけでなくオルガンも習っており、それどころか学校のミサの奏楽を任されるほどの名手だったのですが、あまりにも即興の才が勝りすぎていて奏楽の進行そっちのけで楽想のおもむくままに弾き続けてしまったことも少なからずだったとか。人類の歴史の残るほどの大天才の少年時代として、いかにもありそうなエピソードだと思いませんか?

この手の大型棚つきリードオルガンは100年ちょい昔の北米にはごく普通にあった楽器です。見た目はパイプオルガンに匹敵するくらいに派手ですが、実は普通の箱型のリードオルガンの上に豪華な装飾棚(しかも意外と軽いw)を載せているだけなので、構造や機能自体は普通のリードオルガンと一緒と考えて差し支えないのでした。見た目で身構える必要は全〜然ないんですよ〜(・o・ゞ

リードオルガンの魅力は大向こうをウナらせるような超絶技巧では断じてなく、柔らかく優しい世界観にこそ。忙しすぎる現代人にこそ、この世界でユルんでいただきたいなぁと思ってやまないワタクシでありま〜す。

2019年10月 7日 (月)

中島みゆき 作詞/作曲『伝説』ピアノソロ:1894年ベーゼンドルファー社製ピアノ(ウィーン式アクション/85鍵)で

中島みゆきの『伝説』を、いつもの1894年製アンティークピアノで弾きました。

この『伝説』は1996年に発売されたアルバム《パラダイス・カフェ》の2曲めに収録されています。元々は1994年の映画『四十七人の刺客』(監督:市川崑)のために作られたのですが、すでに別の曲の起用が決まっていたことでお蔵入りとなってしまった曲です。このエピソード、なんだかこの曲の詩と相通じるような気がしませんか?

 風につづるしかなかった手紙 あなただけは読んで
  雪でつくるしかなかった形見 あなただけを抱いて
  記された文(ふみ)だけがこの世に残ってゆく
  形ある物だけがすべてを語ってゆく
  叫べども あがけども だれがそれを知るだろう
  だれも だれも だれも……
  (だれも だれも だれも……)>


>や<>を使うのは中島みゆきの常套手段で、やはり十勝平野ど真ん中の帯広で青春を送り感性を育んだ環境あればこそでしょう。風も雪も人間ごときの力では太刀打ちできないほどに強大な相手なのですが、過ぎ去ってしまえば嘘だったかのように跡形もなく消えてしまうこともまた同じ(被害ばかりが残ることもまた同じか(^^;;;)自分ごときの存在なんて広大な宇宙の中ではどれほどのものでもない、という意識に人知れず心乱れつつせめて被害ぐらいは与えたいモンですが、いやいやいやw

この曲ってタイトルとして『伝説』という言葉がつけられているのに、実際に詠われているのは残る伝説ではなく風や雪のように消えてしまう方の伝説、というのがなかなかのねじれっぷりですね。まぁ消えてしまう存在であってもてめぇは叫んであがいて精一杯生きねばならぬのが世の常でございまして、なんとも切ないです。そう感じないで人生を送れるようなおめでたさが羨ましくなることもありますが、それはそれでまたフクザツな人生であるという現実もあり。

この詩の<あなた>とは想いびとでも自分の理解者でもなんでもいいですが、とにかく<あなた>という存在を乞い願う気持ちは自分がただ消えるだけでない何か生きている証(=実感)を乞い願う気持ちなのでしょう。人間とは一個の孤独な存在なのは確かですが、本当に孤独になってしまうと生き続けるのは不可能であります。消える伝説も残る伝説もございますが、残る伝説であっても分野が違えば気にも留められないのが当然のことでして。それにかかわらず、全てのひとの生きざまは『伝説』にふさわしい存在なのです。存在自体が消えてしまうことは断じてございませぬぞ (`・ω・´)

 100億の人々が
  忘れても 見捨てても
  宇宙の掌の中
  人は永久欠番
『永久欠番』1991年)

2019年10月 3日 (木)

フロール・ペーテルス『TALE』を、100年前の大型リードオルガンで

ボストン近郊の Bridgewater で1930年代始めまで頑張っていたパッカード社1905年製の大型棚つきリードオルガンで、Flor Peeters(1903-1986) の「60の小品集」より『TALE/おとぎ話』を弾きました。

この手の大型棚つきリードオルガンは100年ちょい昔の北米にはごく普通にあった楽器です。見た目はパイプオルガンに匹敵するくらいに派手ですが、実は普通の箱型のリードオルガンの上に豪華な装飾棚(しかも意外と軽いw)を載せているだけなので、構造や機能自体は普通のリードオルガンと一緒と考えて差し支えないのでした。見た目で身構える必要は全〜然ないんですよ〜(・o・ゞ

Flor Peeters/フロール・ペーテルス(1903-1986)はベルギーで活躍した作曲家&オルガニストです。くくりとしては一応「現代作曲家」ですが、作曲は基本的に古いスタイルでおこなっています。この「60の小品集」の出版は1955年で、とりわけ親しみやすい小品の数々が手鍵盤のみで弾けるように書かれています。まことに魅力的な作品集ですぞ。

リードオルガンの魅力は大向こうをウナらせるような超絶技巧では断じてなく、柔らかく優しい世界観にこそ。忙しすぎる現代人にこそ、この世界でユルんでいただきたいなぁと思ってやまないワタクシでありま〜す。

2019年10月 1日 (火)

『Lemon - 米津玄師』を、100年ちょい前の大型リードオルガンで

米津玄師の『Lemon(2018年)』を、100年ちょい前の1905年に北アメリカのパッカード社で作られた棚付きリードオルガンで弾いてみました。現代の音楽に100年前のリードオルガンをどこまで追随させられるか、どうぞお愉しみくださいませ!(`・ω・´)

リードオルガン(足踏みオルガン)はロクに修復がなされていないことが少なからず、そのためもあって「懐かしいね〜」だけで強制終了wされてしまいがちな楽器ですが、実はマトモなリードオルガンは多彩な表現ができる可能性に満ちた楽器なんですよ〜。リードオルガンは現代的合理的な設計がされておらず修復の労が「 馬 鹿 馬 鹿 し い く ら い に 面 倒 」なのですが、館林の渡邉祐治氏はその馬鹿馬鹿しさをゴマかさずに根本から精密にできる希有の大職人です。

リードオルガン修復:渡邉祐治
https://www.youtube.com/channel/UCSiix1iGPuO6XR54th_BjHw

「100%理想的な状態」というのがやはり理想論でしかあり得ないのは、人間稼業を続けていれば感づかれているかと思います。多かれ少なかれ限定された状況で「カタチにして仕上げる」ためにはやはり愚直で泥臭い作業に勝るものはなし、渡邉氏の手にかかったリードオルガンを弾くたびに、ホント痛感させられます。

いわゆるクラシック音楽な作曲家でオルガンを弾いていたヒトがかなり多いという史実、意外と重要視されない印象があります。また、壮大華麗な大パイプオルガンだけがオルガンではなく、リードオルガンやハルモニウムなどの足踏み送風式のオルガンは100年ちょい昔の欧米ではごくごく普通に目にするような楽器だったこともなかなか着目されません。さらには日本でも明治維新後に最初に広まったどこにでもあった鍵盤楽器はリードオルガンで、かのヤマハもカワイもオルガン製造から会社を興したのですが、電子ピアノ隆盛の現代では「ナニそれ?」だったりするのがまことに遺憾ですね〜 (´・_・`)

2019年9月30日 (月)

リスト『La lugubre gondora I/悲しみのゴンドラ第1』を、EHRBAR/エアバーが1928年ころに作ったアップライトピアノで

リスト(1811-1886)が最晩年(1882年)に作曲した『La lugubre gondola I/悲しみのゴンドラ第1』を、ウィーンで1928年ころに作られたEHRBAR/エアバーのアップライトピアノで弾きました。リスト(1811-1886)は大変な長命で、ブラームス(1833-1897)が亡くなったのがリストが亡くなった11年後というのはちょっと時空が歪んでいるような気さえしませんか?w

最晩年のリストのピアノ小品は調性を逸脱させようという実験的な試みがなされている・・・というような記述がそれこそそこら中にコピペされてそれで「以上、終了」な印象wを受けますが、ちょ〜っと待っていただきたい。かのワーグナー(1813-1883)が古典的機能和声の崩壊の端緒となったとされる『トリスタンとイゾルデ』を作曲したのは四半世紀も昔の1857年から1859年にかけてですし、リストはワーグナーの作品をさんざんピアノソロ編曲して熟知(我々凡人が想像すらできないレベルで「熟知」していたのも当然ですネ)していたに決まってますし、いまさらナニが「調性を逸脱させようという実験的な試み」だと思うわけで。とは言え、最晩年のピアノ曲はリストの曲としてよく知られている響きとは全く異なる響きに満ちているのもまた確かですけどね〜(・x・ゞ

このエアバーは某超絶強烈変態wピアノヲタクな知り合い(特定できちまうかナwww)の持ちものでして、ボロボロな状態で店頭に放置されていたも同然なお道具を救出できてご満悦、そりゃ〜世の中に知らしめるために動画を録って差し上げるのが、友人としての当然の努めでありま〜す(・o・ゞ

EHRBAR/エアバーは今となってはほとんど知られていませんが実はその創業は非常に古く、なんと1801年でベーゼンドルファーより古いんですよ〜。ですが1930年ころを境に生産台数がガタ落ちになっており、大恐慌(1929年)の影響をいやでも感じずにはいられません。100年ぐらい昔のウィーン周辺にはピアノのメーカーがそれこそ100社やそこらはあったワケでして、知られざるメーカーもそれこそ星の数ほど。そして古い楽器は履歴の個体差こそがその楽器の個性、という一面もございます。唯一無二の響きをどうぞ!

2019年9月29日 (日)

1878年製スタインウェイ社製スクウェアピアノコンサート by 西野智也

今年はチェコフェスティバルには不義理して、市川駅すぐの隠れ家的な工房までピアノマニアな 西野智也 氏(ワタクシの周りはこんなヤツばっかw)によるスクエアピアノコンサートの応援に参上っ(`・ω・´)

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スタインウェイ1878年製88鍵でなんと3本ペダルというバケモノ。1878年当時はソステヌートペダルを搭載しているピアノ自体がめっちゃレアだったのですから、ま〜驚くまいことか。古き佳き亜米利加の夢と希望がてんこ盛りな逸品でございました。

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スクエアピアノの修復はなかなか厄介(というかめっちゃ面倒σ^_^;)で音響振動を与えては再調整の繰り返しにやたらと時間がかかるのですが、響板が超絶に健康で割れ一つないのが奇跡的。これからどんな楽器によみがえっていくのか楽しみですね〜(*´-`)

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2019年9月23日 (月)

古き佳き時代をめぐる旅路@大宮公園

一昨日(9/21)原宿のカーサ・モーツァルト所蔵1920年代のベヒシュタインK型と同時代のフルートの共演は盛況、ありがとうございました!

さておつぎは10月5日に大宮公園にて、1927年製ベヒシュタインL型(165cm)を使ったソロ演奏会です。選曲は我ながらオモロくできた感触ありですよ〜 (`・ω・´)

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・*:..。o♬*゚・*:..。o♬*゚・*:..。o♬*゚・*:..。o♬*゚

古き佳き時代をめぐる旅路
100年前のベヒシュタインピアノで愉しむ


ベヒシュタインピアノ:筒井 一貴

2019年10月5日(土)14時開演(13時半開場)
3000円(手作りケーキ&紅茶付/40名要予約)
大宮公園、バッハアカデミー(さいたま市大宮区寿能町2−210−2)

主催 バッハアカデミー http://www002.upp.so-net.ne.jp/bach/
問合せ bach@zb3.so-net.ne.jp(バッハアカデミー)
bergheil69@me.com(筒井)  

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E.サティ (1866−1925)
 『星たちの息子』への3つの前奏曲(1891)
J.ハイドン (1697-1773)
 ソナタ Hob.XVI:20 ハ短調(1771)
F.リスト (1811−1886)
 悲しみのゴンドラ第1(1882)
L.v.ベートーヴェン (1770−1827)
 ピアノソナタ第17番(テンペスト)op.31-2 ニ短調(1801/02)

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2019年9月16日 (月)

自動演奏ピアノ110年の歴史をたどる聴き比べコンサート@ピアノプラザ群馬

昨日(9/15)はひさびさに高崎のピアノプラザ群馬を訪問。SP時代のピアノ録音の発掘&再評価に命を懸ける サクラフォン夏目久生氏 と超絶ピアノヲタクな 松原聡氏 による、1916年製スタインウェイロール式ピアノ、ヤマハ・ディスクラヴィア、スタインウェイ"SPIRIO" の3台を使って自動演奏ピアノ110年の歴史をたどる聴き比べコンサートなんて、世界広しといえどもなかなかナイですからね〜 (`・ω・´)


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100年前の自動ピアノは紙に孔を開けて演奏を記録するという現代人にとっては冗談のような機構ですが、さすがにこの時代の人類の血と汗と涙と怨念が込められているだけあって、コレがむちゃくちゃすんげぃんですわ。とりわけ、ショパンの衣鉢を継ぐフランシス・プランテ(1839-1934) の「華麗なる大ポロネーズOp.22」にはシビれさせられっぱなし。


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まぁ、現代人である限りは簡単には逃れられないであろう「揃える」という方向性のもたらす功罪、どのように自分の中で折り合いをつけていくかが大変に難しいことも同時に突きつけられました。どないせぃっちゅ〜んじゃw

2019年9月 7日 (土)

中島みゆき 作詞/作曲『ひとり上手』ソロ:モーツァルトの旅行用クラヴィコード(1763, J.A.Stein)の複製(2002年)で

中島みゆきの『ひとり上手』を、かの神童モーツァルトが7歳のとき(1763年)に買ってもらったJ.A.シュタイン製の旅行用クラヴィコードの複製で弾きました。ん? 歴史的楽器で現代の音楽を弾く必然性? 別に全っ然ございませんがナニか? ( ̄ー ̄)

クラヴィコードはピアノ以前の鍵盤楽器のなかで最も大切とされていたフシがあり、現代古楽器界w周辺では「独りで音楽の神さまと向き合う」ための楽器とみなされて過度に神聖化wされていたりします。ですが、実は、そのような内なる世界は優しく親密な世界でもあるはずで、現代人にとって大切なのはむしろ後者の性格ですよね。なお、クラヴィコードの音量は世人の想像を超えて小さいですから、背景のノイズが気にならない程度の音量に抑えたうえで少〜し耳を澄ませてくださいませ。聴こえてきますよ〜(・o・ゞ

『ひとり上手』は1981年のアルバム《臨月》の中の一曲ですが、それに先行して1980年にシングルで発売されています。1977年にシングルで発売され、1978年のアルバム《愛していると云ってくれ》所収の『わかれうた』ほどの大ヒット(オリコンシングルチャート1位を獲得!)にこそなりませんでしたが、まさに「ふられソングの女王」としての面目躍如。フラれたときの複雑にねじ曲がった心の動きをこんなにも単刀直入に表現できるのは、やはり言葉の選び方が と び っ き り なんでしょうね〜。

さて、一番の歌詞全体をどうぞ。

 私の帰る家は
  あなたの声のする街角
  冬の雨に打たれて
  あなたの足音をさがすのよ

  あなたの帰る家は
  私を忘れたい街角
  肩を抱いているのは
  私と似ていない長い髪

  心が街角で泣いている
  ひとりはキライだとすねる
  ひとり上手とよばないで
  心だけ連れてゆかないで
  私を置いてゆかないで
  ひとりが好きなわけじゃないのよ


未練たっぷりの主人公に、すでに「済んだコト」として気にも止めていない昔のオトコ。いやそれどころか、その昔のオトコは主人公のことをひとり上手な女だからオレがいなくたって大丈夫だろ・・・とすら思っているようにすら読めます。中島みゆきの詩によ〜く登場する「ちょっと恋して(恋した気になって)すぐ独りになってしまう女」ですね〜。

 わかれはいつもついて来る 幸せの後ろをついて来る
  それが私のクセなのか いつも目覚めれば独り
『わかれうた』1977年)

 あの人は言う 街角で言う
  別れやすい奴だってさ
『グッバイ ガール』1989年)

ひとり上手>と思われてしまう主人公の芸風wにもいささかの問題はありましょうが、オトコってぇヤツは、ま〜、なんつ〜か、身勝手なヤツでございますね〜。まぁ人間世界、ま〜さかこんなパターンだけなハズはございませんが、中島みゆきの詩ですから泣くのは基本的に主人公のオンナなのでありま〜す ヽ( ̄▽ ̄)ノ

オンナでもオトコでも<ひとり上手>と自称していようが他称されていようが、程度の差こそあれひとりでは生きて行けないのがいわゆる社会的存在である人間。だからこそ、ラストの < ひ と り が 好 き な わ け じ ゃ な い の よ > という表現に大きな説得力が生まれるのではないでしょうか。それなのに、意識がお高くあらせられて「自分は世の中と一線を画していて、自分の美意識に生きている!」とかなんとか世間さまに猛アピールする方々が少なくないのには失笑を禁じ得ません。世間さまに猛アピールすること自体が独立独歩とは真逆でナンセンスの極みであることに気づけないおめでたい方々こそが「ひとりが好き」なんでしょね。否、「ひとりが好きな自分が好き」な自己愛をこじらせた連中でありま〜す。ネット歴が無駄に長いワタクシゆえ「本当は群れるのはキライなんだけど、ナゼか素敵な人たちが集まってくれて感謝してます」な〜んて発言を目にしたことは何度となくございますが、この十重二十重に歪みきった精神にはさすがに病理を感じてゾッとしますね〜 (((( ;゚Д゚)))

 争う人は正しさを説く  正しさゆえの争いを説く
  その正しさは気分がいいか
  正しさの勝利が気分いいんじゃないのか
『Nobody is Right』2007年)

いろいろ逸脱してすんません。こんな長い駄文をココまで読んでくださった貴方、ホント、心から感謝しております(・x・ゞ

2019年8月31日 (土)

《トリスタンとイゾルデ》第二幕、SP盤コンサート

久々に小渕沢まで、やっぱり高原は気持ち良いですわ〜。

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ヴァーグナーによる楽劇《トリスタンとイゾルデ》第二幕のオリジナル78回転盤(SPレコード)は17面あるのですが、それを全て大型蓄音機クレデンザで聴く、という唯一無二な(酔狂とも言うw)試み。藤森朗さんによる解説でございました。しかも盤は1928年に初めてバイロイトで全曲録音された盤・・・と来れば、出向かないワケにはいかないでしょう。ステレオなんて要らないとさえ思えるような呆れるほどの立体感そして臨場感、90年前の録音ってホントに凄かったんだなぁと(`・ω・´)

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クレデンザの写真なんて普通にあるでしょうから、この「南アルプスサロン」の様子でもお楽しみくださいませ〜(*´-`)

2019年8月25日 (日)

ヤナーチェク「草かげの小径にて 第一集」から第4曲『フリーデクの聖母マリア』を、EHRBAR/エアバーが1928年ころに作ったアップライトピアノで

チェコ東部モラヴィアの作曲家ヤナーチェクによる『草かげの小径にて 第一集』から第4曲「フリーデクの聖母マリア」を、ウィーンで1928年ころに作られたEHRBAR/エアバーのアップライトピアノで弾きました。Frýdek とはシレジアの町の名前で、ヤナーチェクが生まれた寒村 Hukvaldy の近くです。今は Frýdek-Místek と呼ばれ、町の中央を流れる Ostravice 川の東側がシレジアの Frýdek 、西側がモラヴィアの Místek です。このシレジアという地域はとてつもなく複雑で、とうてい一つの解釈ができるはずがないようです。

1928年はヤナーチェクが亡くなった年で、しかも、ヤナーチェクは1876年製のエアバーピアノを愛用していたとのこと。それならばこのピアノでヤナーチェクを弾いてみたくなるのは当然の成り行き。両者には50年のへだたりがあるのでそれがど〜したwなのも確かですが、なかなかに趣き深い結果になりました。この1928年製のエアバーは某超絶強烈変態wピアノヲタクな知り合い(特定できちまうかナwww)の持ちものでして、ボロボロな状態で店頭に放置されていたも同然なお道具を救出できてご満悦、そりゃ〜世の中に知らしめるために動画を録って差し上げるのが、友人としての当然の努めでありま〜す(・o・ゞ

EHRBAR/エアバーは今となってはほとんど知られていませんが実はその創業は非常に古く、なんと1801年でベーゼンドルファーより古いんですよ〜。ですが1930年ころを境に生産台数がガタ落ちになっており、大恐慌(1929年)の影響をいやでも感じずにはいられません。100年ぐらい昔のウィーン周辺にはピアノのメーカーがそれこそ100社やそこらはあったワケでして、知られざるメーカーもそれこそ星の数ほど。そして古い楽器は履歴の個体差こそがその楽器の個性、という一面もございます。唯一無二の響きをどうぞ!

2019年8月23日 (金)

よみがえる古き佳き響きの世界 〜 100年前のフルートとベヒシュタインピアノ 〜 モーツァルトのクラヴィコードとともに

こないだウチの地元で昭和な焼肉を愉しんだ 素来聡子さん & 石井孝治さん は、100年前の逸品フルートを素晴らしい音色で奏でる稀有の存在でしてな。

そのお二人とワタクシが奏く カーサ・モーツァルト 所蔵1920年代のベヒシュタインK型という、まさに同時代の楽器の共演です。これに加えて筒井所蔵のモーツァルトのクラヴィコードとの共演も聴ける、というお得感満載(?)の演奏会ですよ〜 (`・ω・´)

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よみがえる古き佳き響きの世界
100年前のフルートとベヒシュタインピアノ
モーツァルトのクラヴィコードとともに

フルート:
素来 聡子石井 孝治
ピアノ&クラヴィコード:筒井 一貴

2019年9月21日(土)15時開演(14時半開場)
4000円(全席自由/50名/要予約)
原宿、カーサ・モーツァルト(渋谷区神宮前1丁目10ー23 3階)

主催 音楽マネージメント ファルベ http://www.flutefarbe.com/
問合せ 044-572-0747(音楽マネージメント ファルベ)
           farbefl24.info@gmail.com(音楽マネージメント ファルベ)
bergheil69@me.com(筒井)  
後援 一般社団法人 日本フルート協会

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J. B.ルイエ (1680-1730)
 トリオソナタ op.II/12 ト長調(1725)
クヴァンツ (1697-1773)
 トリオソナタ 変ホ長調 QV 2:18(after 1720?)
モーツァルト (1756-1791)
 ヴァイオリンソナタ K.304 から、第2楽章
  (悲しみのメヌエット)(1778)
ゴーベール (1879-1941)
 ギリシャ風ディヴェルティスマン(1909)
 組曲(1921)
ハーティ (1879-1941)
 アイルランドにて(1918)
ヒンデミット (1895-1963)
 フルートソナタ(1936)

2019年8月22日 (木)

平和苑@金町南口

9/21に原宿の カーサ・モーツァルト で一緒に演奏会を開く、フルート教室ファルベ主宰の 素来さん & 石井さん との合わせ稽古をウチで行い、5分歩いてやって参りましたの焼肉でござい(`・ω・´)

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無煙なんてどこ吹く風な昔ながらの焼肉、一歩店に入れば昭和そのままの姿そして無敵な香り。これだけでメシが何杯も食えそうな(*´-`)

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19時ぐらいには地元の家族連れを含めてほぼ満席でしたが、1時間もするとサクッと引き上げるというめっちゃカジュアルで適価な焼肉なのも素晴らしく、まさに現代に生きる普通の焼肉でした。実はもう一軒あったのですが、半年ほど前に更地に(^^;;;;;

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2019年8月20日 (火)

Boëly(1785-1858) の教会用小品ホ短調を、100年前の大型リードオルガンで

ボストン近郊の Bridgewater で1930年代始めまで頑張っていたパッカード社1905年製の大型棚つきリードオルガンで、Alexandre-Pierre-François Boëly(1785-1858) の教会用小品を弾きました。リードオルガンの魅力は大向こうをウナらせるような超絶技巧ではなく、柔らかく優しい世界観にこそ。忙しすぎる現代人にこそ、この世界でユルんでいただきたいなぁと思ってやまないワタクシでありま〜す。

この手の大型棚つきリードオルガンは100年ちょい昔の北米にはごく普通にあった楽器です。見た目はパイプオルガンに匹敵するくらいに派手ですが、実は普通の箱型のリードオルガンの上に豪華な装飾棚(しかも意外と軽いw)を載せているだけなので、構造や機能自体は普通のリードオルガンと一緒と考えて差し支えないのでした。見た目で身構える必要は全〜然ないんですよ〜(・o・ゞ

曲は、日本の「基督教音楽出版」から出版された『教会オルガン前奏・間奏・後奏曲集(全音調による)オルガン・ブック』(木岡英三郎、1974)の第50曲です。原曲は1842年出版の『24のオルガン曲集 op.12』17曲め。この曲集 op.12 は5つの組曲に加えて独立した1曲のオッフェルトリウムからなり、その4つめの組曲ホ短調の第2曲がこの「Un poco lento, sur les jeux de fonds」です。足鍵盤つきの曲ですが、上記『オルガン・ブック』では和音を一ヶ所勝手に変えているだけでほぼそのまま手鍵盤用に書き直しています。

まぁこんなことはこの手の曲集にはわりかし頻繁にあることでして。市井の人々の間にかつてあふれていた音楽はとにかく自由なものでちょっとした集会所のスクエアピアノやリードオルガンそしてハルモニウムの周りに生まれていたわけですし、そのための音楽のための作曲家/編曲家もそれこそそこら中に存在していたようです。そのような普通の人々のための普通の曲集では長い曲をバッサリ切り詰めたり調号の少なく読みやすい調性に移調したりしてあるのもごく当たり前のこと、考えてみれば、現代の通俗曲でも全く同じことやってますよね〜。

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